先日アカデミー賞の候補が発表されたが、どの候補に入った映画のどれひとつ観ていなかったことに気がつき、これは発表がある前にちゃんと観ておかなければいけないと思いたった。それで芸術作として評判も高く、SF的な要素も含む『ベンジャミン・バトンの数奇な一生』を観ることにした。(日本では二月七日封切り)
普通カカシが映画を評価する時は、その映画の出来云々よりもその映画そのものを作る価値があったかどうかということが最低基準となる。どれほど画像がきれいだろうと配役が豪華だろうと特撮が優れていようと、その映画が何か観客に訴えるものを持っていなければその映画はただのフィルムの無駄使いである。しかも、そういうくだらない映画がアカデミーにノミネートなどされてしまうと、ノミネートされた映画くらいは観ておかなければと考えるカカシのような観客の大切な三時間までもが浪費されてしまうのだからはた迷惑もいいところだ。
ここまで書けばお察しの通り、カカシはこの映画は気に入らなかった。全く観る価値がないとさえ言わせてもらう。
この映画の設定は、ブラッド・ピット扮するベンジャミン・バトン(カタカナ表記は「ボタン」とすべき。彼の苗字は生家の事業であるボタン製造会社にちなんだもの)という第一次世界大戦の終戦の日に生まれた男が、赤ん坊としてではなく、肉体的には80歳を超える老人として生まれ、時が経つとともに若返り最後には赤ん坊になって死ぬという話だ。すでに読者諸君が予告編を観ていたら、わざわざ映画館に足を運ぶ必要はない。なにも三時間も時間を無駄にしなくても、すべてのことはその三分間の予告で知ることができるからだ。
この映画は完全にアイデア倒れだ。カカシはSFファンなのでこの映画のSF要素に魅かれたのだが、製作者は単に年寄りが若返るという設定以外に全く科学空想としての想像力が働かなかったと見える。三時間という長時間をかけたにも関わらず、語った話は取り立てておもしろくもおかしくもない、つまらない男のくだらない人生を語るだけで済ましてしまっている。これが同じ筋で赤ん坊で生まれ、年をとって耄碌して死んだ男の人生を語ったとしても、全く違和感のないありきたいりの人生を語っているのだ。ベンジャミン・バトンの人生は数奇どころか何ひとつ面白いことがおきない退屈極まりない生涯だ。若返る男という不思議な宿命を持つ男なら、もっと面白い体験があってもよさそうなものだ。
だいたいこの映画は観客に何を訴えたいのだ?
映画はベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)の生涯の恋人デイジー(ケイト・ブランシェット)が年老いてハリケーンカトリーナが近づくニューオーリンズの病院で死の床に着いているところから始まる。病院で付き添っているのはデイジーの中年の娘キャロライン(ジュリア・オーモンド)。
キャロラインの口ぶりからして、娘と母親の間はあまり親密ではなかったようで、娘が病床につきそっているのも、母親との間が疎遠のままで死に別れたくないという理由からだ。プロのバレリーナとしてアメリカ人では初めてソ連のボリショイバレエ団にゲスト出演を許可された母親のデイジーの逸脱したキャリアに比べ、娘のキャロラインは特にこれといった才能がなく、本人はそのことを恥じて母親に対して卑屈になっている印象を受ける。母親のデイジーが娘に自分の昔の恋人であるベンジャミン・バトンという奇妙な男の日記を読んで聞かせてくれと頼むところから、回想シーンが始まって本編となる。
こういうふうにお膳立てをしたからには、ベンジャミンの生涯を娘に語らせることによって、デイジーは親を失望させたと卑屈になっている中年娘に何かしら言いたいことがあるはずだ。普通なら回想シーンが終わった時点で娘が何かを悟るように物語が転回されるべきだ。ところが、三時間の退屈な映画を全編見終わっても、いったいこの物語を語ることでデイジーは娘のキャロラインに何を伝えたかったのか観客にはさっぱり解らないのである。
産時に妻を失い悲嘆にくれるベンジャミンの父親(ジェイソン・フレミング)は、しわくちゃで老人のような赤ん坊のベンジャミンを老人ホームの階段に捨てる。それを見つけた老人ホームの黒人管理人クイニー(Taraji P. Henson)はベンジャミンを保護し自分の子供として育てる。
物語の最初の方でベンジャミンが80歳くらいから60代前半に若返るまでの17年間に、彼の養母が管理する老人ホームに、訪れては死んで行った人々の話がされるが、これらの老人たちの話がベンジャミンの人格形成にどのような役に立っているのかさっぱりわからない。ベンジャミンと当時7歳だった後の恋人デイジー(エル・ファニング)が出会うのはこの頃だ。ベンジャミンは実家の老人ホームに居る祖母のホリスター夫人(フィオナ・ヘイル)を度々訊ねて来るデイジーに不思議な魅力を感じる。
映画のほぼ全編にベンジャミンを演じるピットのモノトーンのナレーションが入るのだが、このナレーションに全く感情が込められていないせいか、ベンジャミンによる周りの人々への感情移入が全く感じられない。まるでベンジャミンは部外者で周囲の人間を単に観察しているかのような印象を受けるのだ。
ベンジャミンが独立して実家を出て船乗りとしての生活を始めてからも、この部外者のような無表情さは変わらない。これはブラッド・ピットの演技が下手なせいなのか、それとも演出が悪いのか解らないのだが、従船の船長(ジャレッド・ハリス)をはじめとするカラフルな船員たちとの出会いや、アラスカのホテルのロビーで出会いベンジャミンが恋におちる人妻エリザベス(ティルダ・スイントン)との関係にしても、ベンジャミンがこれらの人々との交流において何を感じたのか、彼の人生はこれらの出会いによってどう変わったのかといった話が全くされないのだ。つまりこれらの出会いや逸話が映画の前後の話と全くつながらないのである。
第二次世界大戦終戦後、ベンジャミンは実家の老人ホームに戻り、すっかり年老いた養母のクイニーと一緒に再び暮らし始める。そこで帰省中の美しく成長してプロのバレリーナになったデイジーと再会するのだが、、、、
と、もしもこの先の筋をすべてここでばらしても、決してネタバレなどという大げさなものにはならない。何故ならこの先の一時間半に渡っての映画の中では特にこれといって驚くようなことも感動するようなことも起きないからだ。
ベンジャミン・バトンの人生にはいったいどんな意味があったのだ?彼を愛したデイジーの人生はどう影響を受けたのだ?その話を後に学んだ娘のキャロラインは何を感じたのだ?
そうした問いかけに、まったく無頓着なのがこの映画、ベンジャミン・バトンの数奇な一生である。


2 responses to 退屈きわまりないベンジャミン・バトンのつまらない一生

cite11 years ago

理路整然とこの映画の疑問/問題点をご指摘されてるのと、その小気味好い文章に、心がスカッとしました!!! 私も とことん、同感です!!!
> 若返る男という不思議な宿命を持つ男なら、もっと面白い体験があってもよさそうなもの
ごもっとも!!!
> こういうふうにお膳立てをしたからには
> 何かしら言いたいことがあるはず
> キャロラインに何を伝えたかったのか観客にはさっぱり解らない
おぉ確かに!!! その点については私ゃぜんぜん気にしてませんでしたが(汗)、そーいや、本当の父親がこーゆー変わった人だった、なんてこと、逆に言う必要ないって気ぃすらしますしねw
> ベンジャミンがこれらの人々との交流において何を感じたのか、彼の人生はこれらの出会いによってどう変わったのかといった話が全くされない
そうそう!これが “致命傷” と思います!!!
他にも、なるほどーーーーと唸らされる見解が多く、とても勉強になりました。ありがとうございました!!!

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Sachi11 years ago

citeさん、
わざわざコメントありがとうございます。映画評論家がこぞってほめ讃えるので、つまらなかったのは私だけなのかと思ってたんですが、同意見の方に会えてうれしいです。
映画の評論て、プロでもあまり中身の濃い分析をしませんけど、citeさんの批評はおもしろくて声をあげて笑っちゃいました。まったくその通りだと、もった扇子をばったと落とし、小膝たたきたくなったですよ。
ところで映画のほうは、あまり興行成績はよくないようですね。
今年のアカデミーは評判倒れの作品が多いみたいで、どれも興行成績はいまひとつですね。
カカシ

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