ハワイ島、溶岩大地のなかで迷子になった苺畑夫婦

もう先月のことになるが、チリのチャイテンで一万年も休火山だった火山が爆発したという記事を読んで、9年前に苺畑夫婦が新婚旅行の際ハワイのビッグアイランド(ハワイ島)へ溶岩を見に行った時の話を思い出した。それで本日は苺畑夫婦の溶岩訪問の思い出話をしたいと思う。
ミスター苺は火山活動に関する小説を書きたいと考えていたので、苺畑夫婦はハワイ島にある国立火山研究所を訪れた。所長さんの名前は忘れてしまったが、日系人の気さくな人で、空手キッドのパット森田そっくりだった。
研究所の中を色々見学させてもらい、研究生対象の授業まで受けさせてもらった後、我々夫婦はキラウエア火山国立公園で溶岩の上をあるくハイキングに挑戦した。こちらの観光サイトによると、

ハワイ火山国立公園内には、「キラウエア・カルデラ」と「キラウエア・イキ火口」を取り巻くようにクレーター・リム・ロードがぐるりと1周しています。個人差はありますが、ざっと見て回って 1時間から3時間かかります。

そのクレーター・リム・ロードから海に向かって片道32キロのチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが走っています。展望台もある景色のいい道です。この道は流れ込んだ溶岩によって行き止まりとなります。
行き止まりとなったところからは、真っ黒でゴツゴツした溶岩が広がる大地の上を歩くハイキングができます。溶岩大地のハイキングは、運動がしやすく履き慣れた靴(できれば紐のついた靴)と長ズボン、そして忘れずにお水を持参しましょう。
また、 雨が降ると溶岩の上はとても滑りやすくなるので十分注意してください。
万一、夕方にかかり暗くなることが予想される場合には、必ず “1人 1本”の懐中電灯を持参してください。

ここで書かれていないことに、溶岩が流れているところまで歩いていくには一時間以上のかなりキツいハイクが必要だということがある。しかも溶岩はすでに固まって冷たくなっているものも、まだ熱くドロドロしているものも、どちらも銀色に光っており全く区別が付かないということである。
ガイドなしでむやみやたらに歩いていると、固いと思って踏みつけた地盤が崩れて、下は灼熱の溶岩だったなんてことになりかねない。それに日が暮れたら周りはどこもかしこも同じ様な景色なので懐中電灯など持っていてもほとんど役にたたない。どんどん帰り道から遠ざかってしまう可能性がある。
上記のサイトでもあるように我々はチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが溶岩で塞がっているところから歩き始めた。一応お水はたくさん持って行ったのだが、溶岩の上を歩くというのは思ったよりも大変だった。
岩がごつごつしているというが、そんな生易しいものではない。まるでガラスの破片の上を歩いているような感覚で、しっかりしていると思った足場がガシャッと崩れて、その度にバランスを失う。
我々はだいたいこっちの方角だろうと一時間ぐらい当てずっぽうに歩いていたら、周り中同じような銀色の地肌が続くため、何がなんだかわからなくなってしまった。
これではいつまでさまよっていても赤く流れる溶岩など見られないだろう、いやそれだけではなく、どうやって帰ればいいのかさえ怪しくなってきた。
そこへ背の高い金髪の若者につれられたやはり背の高い数人の若い男女が通りかかった。先頭を歩いていた青年は地元のガイドで、シャツを脱いで腰にまいてる青年の裸の肌は赤ちゃっぽく日に焼けていた。後ろの男女はドイツ人の観光客だった。そこでミスター苺はガイドのおにいちゃんに「お金を払うから一緒に連れて行ってほしい。」と頼むと、「お金は要らない。付いてきたければ付いてきてもいいが、日暮れが近いので急ぐからそのつもりで」と言われた。
ガイドの青年も観光客の若者たちも皆背が高く年齢も我々より10歳は若い。中年で背も低く小太りの我々に比べたら人種どころか種別が違うのではないかと思われるような体系だ。彼らがエルフなら我々夫婦はさしずめホビットである。
我々のこんな短い脚ではどうせ付いて来れないだろうとガイドは踏んでお金を断ったのだろう。
しかしここで置いて行かれたら、溶岩が見られないどころの騒ぎではなく帰れないかもしれないと思った我々は彼らの長い脚についていくべく必死に歩いた、、、というより彼らにとっては早歩きでも、我々ホビット夫婦にとってはほとんどジョギング状態で一時間以上走るはめになったのだ。
突然ガイドが立ち止まり、指を指した方向をみると、銀色の地肌の下を赤く流れる溶岩が見えた。溶岩が目の前にあるのにほとんど熱さを感じないと思っていたら、突然風向きが変わり、まるでオーブンを開けたようなむっとする熱風が我々を襲った。

KilaueaVolcano

キラウエアの溶岩


我々の立っているところからちょっと離れたところに、銀色の宇宙服のような耐熱防着を着た人数人が火山の中を見下ろすように立っているのが見えた。多分研究所の科学者たちだろう。
10分くらいそうやって流れる溶岩に見入っていたが、ガイドが「日が暮れる」とかなり焦り始めた。慣れているガイドでも日暮れの溶岩は怖いらしい。ガイドは再び早歩きを始めたが、今度は彼自身も小走りで、行きはふざけながら歩いていた観光客らも帰りは沈黙してまじめに走っていた。そのう後ろを走ってくっついていくホビット夫婦はもう必死である。
日がほとんど西の空に隠れる頃、我々はようやく元の駐車場近くまで戻ってきた。不思議なことに我々夫婦は確かに疲れてはいたが、息がつけないほど荒れていたわけでもなく、看板あたりに集まっていたほかの観光客とだべったりする余裕があったが、あれだけ元気だったガイドやドイツ人観光客は皆座り込んで靴を脱いでいた。特にガイドのお兄ちゃんの足は水ぶくれが出来ていてかなり痛々しかった。
さっすが苺畑夫婦はホビットだけあって足に毛が生えてるのかな?


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カネオヘ湾でカヤックと格闘した苺畑夫婦

ミスター苺はいつもカカシに冒険的なことをやらせたがる。私としてはワイキキビーチでマイタイをすすりながら寝そべっているだけで充分なのだが、ミスター苺は何か危ないことをやってないと気に入らないひとだ。しょうがないので今日はカネオヘ(Kaneohe Bay)湾にてカヤック乗りに挑戦することとなった。こちらにゴージャスな写真が載っているので参照のこと)
我々は「ゴーバナナ(Go Banana)」というカパフル通り(Kapahulu Avenue)にあるカヤックのレンタル店でカヤックを借りた。店の店員が車の上にカヤックを結びつけるやり方を簡単に教えてくれた。借り物だ、失くしてしまったら元も子もない。海水と日差しですっかりこんがらがっている長い金髪の日焼けしすぎの若い店員は、我々に救命チョッキと、ドライバッグという防水の袋を渡した。それが済むと我々はずらずらと注意事項が並んでいる書類に何枚も署名させられた。しかも万が一の時にお店には全く責任がないという内容のものばかり。 待てよ、救命チョッキは常備着用とか、なにがあってもお店を訴えるナとか、もしかしてカヤキングてそんなに危険な活動なの?「もし転覆したどうなるの?」とミスター苺が店員に聞くと、お兄ちゃんは今日の海はとっても静かだから全く問題ないよと答えた。「第一、ずっと浅瀬だもの、歩いたって大丈夫なくらいだよ。」救命チョッキも着ていることだし、もし転覆してもちょっと濡れるだけの話、どうってことないさ。
なんだか心もとない保証だなあ。私は100%安心したわけではないのだが、すでにカヤックは車の屋根にくっついてしまっているし、今更行きたくないなどというわけにもいかない。ま、しょうがないか。
カノエヘ湾を見つけるのは全く問題なかった。しかしカヤックを駐車場から桟橋まで運ぶのは一苦労だった。店員はカヤックはたったの70ポンドだとミスター苺に言ったという。カカシは自慢ではないが、長年にわたってかなりの筋トレをしていきたのでミスター苺と半分づつの35ポンドくらいの重量を運ぶのはなんということはない。だが、二人がかりでこれだけ苦労して運んだこのボートがたかが70ポンドだなんてことは絶対にありえないと断言できる!
えっちらおっちらとふたりでふらふらと長~い道のりを苦労しながらカヤックを運んだのに、何と着いたところはボートの出発点でカヤックを始めるところではなかった!カヤックの出発点はカヌービーチというところ。そんなこと誰も教えてくれなかったじゃないかあ~、などと言ってみても遅い。「せっかくここまで来たんだから、ボートランチでもええやん、ここから始めよう」とカカシ。なにせカヌーランチまでは今来た道を引き返したうえに、別の桟橋まで運ばなければならなかったからだ。しかしモーターボートや中型の船が出港するボートランチからのカヤック出航はたいへん。なにせこれらの大型船に轢かれない様に必至で漕がなければならなかったからだ。
我々の目的地はカパパ島、浜辺から2.25マイル沖合いの島だった。
言い忘れたが我々は二人乗りのカヌーに乗っていたので、最初はお互いのパドルがぶつかりあったりして進み方はかなりゆっくりだった。しかし、だんだんとリズムがわかってきて結構スムーズに進むようになった。ミスター苺によると、途中に沈没した島があるという。私にはそれがどういう意味なのか解らなかったのだが、とつぜん海の色が深い青から薄い緑色に変化した。しかも海底がすぐそばに見えてきたのである。カヌーのすぐ下にさんご礁が見えた。まるで丘の上を浮かんでいるようだった。
ここでミスター苺は、この沈没した島の上を歩いてみようと言う気になった。それはそれでいいのだが、彼は私にそれを言わずに突然カヤックから飛び降りた。私が何事かとおもって振り向いたのがいけなかった。バランスを崩してカヤックは半回転して、あっという間にカヤックの中にはいっていたお弁当もペットボトルもカカシともども海の中。
エメラルドの海面から見たときは、海はかなり浅く見えたが、実際には4フィートくらいの深さだった。私の背が5.2フィート(158センチ)だから4フィートなんてどうってことないと思うかもしれないが、救命チョッキを着ているうえに、波が結構あったので、我々は自分達の体を思うようにコントロールできない。まるでコルクのように海に浮かんで波が来るたびに上がったり下がったりしてしまうからである。我々のパーカやペットボトルやTシャツやお弁当が、どんどん波に乗って遠ざかっていくのを泳いで追いかけるのは一苦労だった。
なんとかパーカとシャツとお弁当は取り戻したが、水の入ったペットボトルの一本は逃してしまった。今日一日二人で一本のペットボトルで過ごさなければならない。しかも我々はまだカヤックの上ではなく海の中である。
カヤックに乗るのはおもったより容易なことではなかった。まず最初に私はカヤックの片方につかまって足をかけて乗りあがろうとしたのだが、足をカヤックにかける度にカヤックが回ってしまう。それでミスター苺がカヤックの一方を押さえている間に私が乗りあがる方法を試みた。
何回かこれを繰り返すうちに、私はなんとかカヤックに乗ることができた。今度はミスター苺の番である。ミスター苺は右側から乗るので私に左側に重心を置けと言った。しかし彼が左に傾けと言ったとき、私は傾きすぎてしまい、あっという間に再び海のなか。 なんてこった、また元の木阿弥だ。
そこで今度は、ミスター苺が最初に乗って、私を引っ張り上げるのがいいのではないかと考えた。しかしこれもミスター苺が乗ったと思ったとたん、カヤックは転覆。三たび我々は海の中である。
ここまで来ると私は多少不安になってきた。我々は浜辺からは1マイル以上離れた場所に居る。もしこのままカヤックに乗れなかったらどうなるのだろうか? 三度めの正直でまた私が先にカヤックに乗った。ミスター苺が乗るときも私はあまり重心を変えないように努力した。なんとか彼が乗り上げて、「やったー!」と万歳をした途端にバランスが崩れてまたもやカヤックは転覆。もう、ちょっといい加減にしてよ!
ミスター苺がぜーぜー言いながら私に怒りを押さえつけながらゆっくり言った。「よし、カカシ、お前が最初に乗れ。俺が乗るときは何があっても身動きするな!じっとしてろ、いいな!」カカシはこの時点で半分パニックに陥っていた。しかし今度はなんとか二人とも無事にカヤックに乗りあがることが出来た。ここではじめて気が付いたのだが、なぜかこの間私のサングラスはずっと顔についたままはずれなかった!結局失くしたのは飲料水のペットボトル一本だけ。
もうこの時点でカカシは島へいくことになど完全に興味を失っていた。第一浜辺からこれ以上遠ざかってまた転覆したどうするのだ?私はすぐにでも引き返したい気分だった。 しかしミスター苺は断然やる気。引き返すなんてとんでもない。「せっかくあんなに苦労したのに、引き返すだって?冗談じゃないよ。第一、、」すでに我々は半分以上島に近づいている。このまま島へいったほうが引き返すよりも近い。「ここまで来て引き返したら絶対後悔するぜ。」まあ、そういわれてみればそうだが、、結局ミスター苺の説得に負けて我々は島へ向かった。
信じ固いことだが、浜辺から島へむかう途中の海はほんの3フィートから4フィート程度の浅瀬だった。しかしながら目的のカパパ島に近づいてくると波のクロスファイアーに出会った。これは沖からの波が島にあたって島の両側から波が島を囲むようにして向かってくることを言う。わたしたちのカヤックはちょうど両側の波がぶつかり合うところに入っていったのである。
ガイドブックではこのことを警告していたが、本で読むのと実際にその場にいるのとでは大違い。両側からの波が押し寄せるため舵がとれない。しかしこの当たりで海は非常な浅瀬になり、船が転覆するのも不可能なほどになっていた。パドルが海底にあたるほど浅くなったので、私たちはカヤックから降りて島までカヤックをひっぱることにした。
ところが遠くからは柔らかな砂浜に見えた浜辺は、実は砕かれた珊瑚礁につつまれていた。カヤックを引き上げるには最低の場所だったが、今更しょうがない。浜辺にあがってカヤックをヒッパタ時、勢いがつきすぎて珊瑚礁のなかに尻餅をつき、腕や足が珊瑚礁でひっかかれて切り傷だらけになった。でもとにかく丘の上だ!
カヤックを上げるのに苦労しているのを見かねたのか、島にいた若い男性が手を貸してくれた。男性にはイギリスなまりがあるように思えたが、ミスター苺は南アフリカ訛りじゃないかと言っていた。この男性と友達の過ヤッキングクラブの仲間はこの島にキャンプしているのだという。私たちは少しゆっくり島で休んでから帰るつもりだと言うと、今は静かだが天候は急に変わるので、今日中に帰るつもりならあまり島に長居をしないほうがいいと忠告してくれた。そこで私たちは急いでお弁当のサンドイッチを食べ、数枚写真を撮り(カメラは何度もの転覆を無事生き延びていた)イギリス人の男性に二人の写真を撮ってもらい小島を後にした。
帰りは行きよりもずっと楽だっった。それというのも波は岸に向かってなびいていたからで、何もしなくても風が私たちを押し流してくれたからだ。時々波が後ろから忍び寄ってきて思いも寄らぬサーフィンをするはめになったが、転覆するほどのひどさではなく助かった。
ただ困ったのは、ところどころ海底が非常に浅くなったため、カヤックが底についてまったく身動きしなくなってしまったことだ。所によってはその浅さほんの1フィート(30センチくらい)!観光客がボートから降りて我々のカヤックの周りを歩き回っていた。海のまんなかで歩けるほど浅いところがあるなんて、不思議なところだ、まったく。
行きはこんなことには気がつかなかったところをみると、どうやら潮が引いたとみえる。
途中ちょっとカパパ島で休憩したとはいえ、あとは4時間ほとんど漕ぎっぱなしだったが、やっと私たちは桟橋まで帰ってきた。しかしここからまたカヤックを車まで運ぶのは一苦労だった。私があまりにも手こづっていたので、通りがかりの男性達が手伝ってくれ、やっとの思いでカヤックを再び車の屋根にしっかりと動かないように結びつけた。レンタル店のお兄さんから教わった結び方はちゃんと覚えていなかったのだが、大丈夫だろう。しかし、いったん高速H1に乗って走り出すと、ミスター苺がカヤックが左に動いているような気がすると言った。「おい、ちょっと止まって見た方がいいぞ。」と彼が言った途端、私たちはカヤックが滑り落ちる大きな音を聞いた。私たちはカヤックの片方を縛るのを忘れていたのである!あれだけ苦労したのに高速でカヤックを失くしたら、少なくとも500ドルは賠償金を払わなければならなくなる!
急いで車を路肩にとめ、カヤックをもう一度締め直し、再び車に乗り込んだ。ミスター苺も私もこのことはレンタル店のお兄ちゃんには黙ってよね〜と合意した。「でもブログになら書いてもいいよ。」とミスター苺。言われなくても書いちゃうもんね。
ゴーバナナに戻ったのは午後5時半。カヤックをかりてから7時間半後だった。カヤックに破損箇所がないかどうか確かめた店の店員は、ラダーが壊れている難癖をつけ、250ドルの損害賠償がどうのこうのと言い出した。ミスター苺が「そんなにひどく壊れてるようには見えないけどね、ちょっと曲がってるだけじゃん。すぐ治せるよ。」と店員とちょっと言い合いをすると、店員は店長を呼んできた。ラダーをよくよく検査した店長は、一旦奥に入ってレンチを持って戻ってきた。レンチでとんちんかんとラダーを叩いた後、「よっしゃ、無料だ」と大きな笑みを浮かべた。ほ〜!
さて、最後に我々は興味があったので、店長さんに一旦カヤックから落っこちた場合、どうやってまたよじ上ればいいのかを聞いてみた。どうやら我々のやり方は完全に間違っていたようだ。店長さんは「そんなやり方でよく乗り上がれたね。」と驚いていた。
ホテルに戻ってみると私たちの体は切り傷と青あざで覆われていた。乗ってる最中は興奮していて全く気がつかなかった。私は筋肉痛で夕飯に外へ出るのも苦痛だったほどだ。
でもまさしくこれは冒険だった!やってる時はもう嫌だと思ったが、終わってみるとこれもいい経験だったと思う。


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雨の密林、オアフ島マノアの滝

本日のハワイ体験はハワイのレインフォーレスト(熱帯多雨密林)「マノアの滝」のお話をしよう。
ワイキキビーチからほんの4マイルほどマノアロード(Manoa Road)と呼ばれる山道を登りきったところに、レインフォーレストがある。その名の通り、山道を運転していくと突然土砂降りの雨に襲われた。ほんの数分前、山の麓のアラワイ運河(the Ala Wai canal)を出発した時は晴れていたのに。 苺畑夫婦は今日のハイキングは辞めたほうがいいのではないかと一瞬とまどった。しかし我々がホノルルに来てから数日間、毎日雨は降ったりやんだりしていたので、今日ハイクしなければもう時間がない。
二マイルほど曲がりくねったマノアロードを運転していくと、道の終わりに駐車場が見えた。そこに大きな傘の下に座っている痩せた日本人のおじさんがいた。おじさんは、今週はこんなふうにずっと雨だと言い、「なにしろレインフォーレストだからね。」とくすっと笑って肩をすくめた。おじさんが蚊よけになるよと言って、洗濯機のドライヤーにいれるソフトナーをくれた。これを肌に擦り込むと蚊に刺されないという。本当かしらとは思ったが、私は蚊に刺されるとひどく腫れる体質なのでだまされたと思ってソフトナーで腕や足をこすって、いざ出発。(驚いたことにこれ効果抜群。カカシはひとつも蚊にさされなかった!)
ハイキングといってもトレイルは出発点から往復たったの2マイル。もっと長い道のりのAihualama Trailというコースもあったが、土砂崩れの恐れがあるとかで閉鎖されていた。始めた時間がかなり遅かったことでもあり、短い方で我々には充分。
密林の植物はこれまで私が見たことのないようなものばかりだった。 まるでターザンのジャングルにでも紛れ込んだようだ。今にもターザンが雄叫びをあげながら、木から木へスイングして行きそうな感じだ。ガイドブックによれば、大きな木はククイ、アフリカチューリップ、グアバそしてマウンテンアップルの木だそうだ。ミスター苺はマングローブの木もあったと言っていたが、私にはどれがどれだか解らなかった。しかし私でもパムツリーやシダと木の区別くらいはつく。ここは本当にジャングルだ。私たちが普段見慣れている砂漠の植物とはなんと違うこと!

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密林の植物は砂漠とは大違い


泥道のコースと平行して流れる小川からは水の流れる音がする。この小川には魚はいるのだろうか、だが川は泥で濁りすぎていてたとえ魚がいたとしても何も見えない。気温は25度くらいでちょうどいい加減だが、雨は降り続いていた。パムツリーの大きな葉っぱを見つけたので、私はミスター苺にこの葉っぱを傘の代わりに使わないかと提案した。「ほら、『隣のトトロ』みたいにさ」そのうち私の目にしたたる水は汗なのか雨なのか解らなくなった。
道は多少坂道ではあったが、特に難しいほどの急斜面ではない。ただ、雨で道は泥道となって滑りやすかったため、歩くのはちょっと困難だった。苦労してたどりついた甲斐あって、目的地のマノアの滝は美しかった。その高く細い滝は華厳の滝を思わせる。高さは約150フィート。下のプールに完璧な水しぶきをあげていた。プール脇に座り、私たちはお弁当を食べることにした。ミスター苺がお弁当のサンドイッチを広げるやいなや、それまでしとしとと降っていた雨が突然土砂降りの雨に変化した。ミスター苺は自分の手でサラミサンドイッチがぬれないように覆ったが、私は濡れないようにサンドイッチをすべて口の中に頬ばった。おかげで息がつまりそうになった。

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華厳の滝を思わせるマノアの滝


大急ぎでサンドイッチを食べ終えると、私たちは引き返すことにした。帰り道はすべて下りだった。しかし道が滑りやすいためかえって下り坂は大変だ。登りの時は上に向かって多少飛び上がる形で進むことが出来た道も、下りはそうはいかない。靴はすぐに泥まみれになり、靴底の摩擦まるでなし。まるで冬のオリンピックのダウンヒルスキーのように歩くというより滑り降りるという感じになってしまった。
「川に飛び込んで泳いで帰ろうか?そっちの方がぬれないで済むかもよ。」と冗談まみれにカカシ。
雨はどんどん激しくなり、すでに森の景色も小川も目にはいってくる水でまったく見えない。完全にびしょぬれになって滑りながらなんとか一度も転ばずに坂を折り切った。 やっと駐車場にたどりつくと、さっきの日本人のおじさんは若いきれいなハワイアンのお姉さんに変身していた。お姉さんは傘の下で震えていて挨拶もしなかった。ま、そのほうがいいかな。あのやたらに馴れ馴れしい「あろ〜は!」で挨拶されるのはかなり飽きたからな。
車のドアをあけると、ミスター苺が空を見上げて言った。「ちょうどいいタイミングだよ。雨が止んだ」へ?あ、ほんとだ。髪の毛から水がまだ滴り落ちていたので私は気がつかなかったのだが、さっきまでの雨が嘘のようにピタっと止んでいる。まるで天が我々が歩き終わったのを見計らったかのように。
私たちの着ていたものは何もかもびっしょりぬれていて、ふたりとも雑巾のよう。手足をペットボトルの水で洗ってびしょぬれのまま車に乗り込み青空の広がるワイキキビーチへの帰途についた苺畑夫婦。
すっごく面白かったのだ!
この次はカネオヘベイ(Kaneohe Bay)でカヤックに挑戦するぞ!


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OPEC、アメリカの自己防衛は許さんと脅迫 

OPECのアブダラ・サレム・エルバルディ書記長は、もしも米国がイランを攻撃した場合には、たとえそれがイランからのアメリカやイスラエルに対する攻撃への応戦であろうとも、OPECは 原油の値段を制限なく大幅に引き上げる 用意があると語った。

ここ数週間、イスラエルがイランの核兵器施設攻撃の用意をしているかもしれないという投機による原油の値上がりがおきている。イランのミサイル試射によって剣の振り回しは緊張度を高めている。イランとのどのようないざこざもイランが湾岸地域の輸送を阻止することが出来ることから、原油市場はさらに揺るがされている。

「値段は無制限に上がるでしょう。」と軍事闘争の影響についてのインタビューでバルディ氏は語った。「いくらとは言えませんが」

エル・バルディはイラク風のイラン侵略を考えてのことなのだろうが、アメリカがイランを攻撃するとしても、イラクのようなやり方は懸命ではない。その理由はというと:

  • だいたい兵士の数が足りない。アメリカはすでにアフガニスタンとイラクで戦争をやっている。ビル・クリントン時代に大幅に縮小された現在の軍隊の規模ではいくつも同時に戦争をやるなど不可能である。

  • 第一、そんな戦争はアメリカ国民が許さないだろう。すでに国民の半数がイラク戦争は戦う価値がなかったとおもっているくらいなのに、ここでイランとまた戦争だなんてことになったら国民は黙っていないはずだ。無論イラク戦争が決定的に勝ったと国民が納得出来れば戦う価値があったかどうかという感情も変化するだろう。
  • イランを平穏化させるというのはかなり難しい。ブッシュ大統領の任期中には先ず無理だ。もしオバマが選ばれたら、ブッシュが侵略し占領したイランからさっさと手を引き、イランは戦争以前より悪い混乱状態となるだろう。
  • むやみやたらな無差別攻撃及び侵略はイラン国民の感情を逆撫でし、イラン国民全員をアメリカの敵に回すことになる。ムラーに反対している若者すらもムラー支持者にしてしまうだろう。
  • そしてこれが一番大切なのだが、そのような戦闘はイランのムラーたちに油田を破壊する機会を与えてしまう。それこそまさに世界の原油市場を混乱させ、エル・バルディがいうように 無制限に原油の値段が上がる可能性がある。米国だけでなく世界の経済が大きな悪影響を受けるだろう。

幸運なことにそのようなことをしなくても、もっと良い方法がある。これは軍事学者のハーマン博士の作戦だが、カカシもここで2007年の1月に紹介している

  1. まずホルムズ海峡を通る石油輸送を阻止する国はどこであろうと容赦しないと発表する。
  2. その脅しを証明するために対潜水艦船、戦闘機、じ来除去装置、イージスBMDシステムなどを含む空母艦バトルグループをペルシャ湾に派遣する。むろんこちらの潜水艦も含む。
  3. アメリカ一国によるイランの石油タンカー通行を封鎖。イランから出る石油、イランへ入るガソリンなどを完全阻止する。ほかの国の船は自由に通過させる。
  4. イランの空軍基地を徹底的に攻撃し、イランの空の防衛を完全に破壊する。
  5. イランの核兵器開発地及び関係基地、インフラなどを攻撃する。
  6. そしてこれが一番大切なことなのだが、イランのガソリン精製施設の徹底破壊である。

詳しいことは先のエントリーを読んでもらうとして、ハーマン博士の言うとおりにすれば、イランの石油をコントロールするのはイランではなくアメリカとなる。ということは、戦争になってもイラン以外の国への石油流通は途絶えることはないが、イランの経済は破綻する。
そしてアメリカが保証した石油の流通で得た収入は一時的に預託し、イランが政権交代をし過激派のムラー政権を倒した暁にはその金はすべて返還されると宣言するわけである。イランの若い青年達はもともとムラー政権崩壊を狙っているのだから、それを応援するようなものだ。
イスラム圏諸国は無論金切り声で反対するだろう。しかしこのやり方ならアメリカがイランの石油を盗んでいるとは責め難い。世界中にわかるように預託口座にいれておいて、政権交代の際には返還するといっているのだから。
原油の値段は当初は急騰するだろう。だがアメリカが原油通路をしっかりと守っていることがわかれば、原油の値段は下がるはずである。
であるからアブダラ・サレム・エルバルディ書記長には、アメリカの偉大なる格言でお答えしよう。”Go ahead… make my day!”(やれるもんならやってみろ!)


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イランのミサイル試射フォトショップコンテスト

この間のイランのミサイル試射は成功どころか写真は合成写真だったということがバレた話はもうしたが、イランの革命軍に負けじと、アメリカのブロガー達がイランのミサイル試射フォトショップコンテストとでもいうか面白い写真があちこちで発表されている。そんななかで傑作なフォトショップのコレクションを発表したブログがあったので、私も紹介しておこう。これまでカカシがここで紹介した数々のフォトショップ捏造写真なども含まれており、大笑いすること間違いなし。
サイトはスコッツブログ


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オバマ対マケイン、アメリカ国民の印象はいかに?

アメリカのメディアはあまりにもオバマに焦点を当てすぎているので、民主党候補のバラク・オバマのほうが共和党候補のジョン・マケインよりも優勢なのではないかという印象を受けるが、実はそうでもない。リアルクリアポリティクスによると、46.6:42.6で多少オバマが優勢だが、今の時期でこの程度の差ならマケインはかなり有利だ。なぜなら、こういう世論調査では大抵の場合、民主党が有利な結果が出るのが普通で、実際に蓋を開けてみると共和党が勝つというケースがすくなくない。
だから民主党が共和党より圧倒的に有利だとするなら、せめて9%くらいの差をつけて優勢でなければならないのだ。これだけメディアに支持されて無料宣伝までしてもらって4点くらいの差ではオバマはマケインよりも優勢とは全く言えない状態にある。
さて、この間ヤフーとAPが合同で行なった別の世論調査で、マケインとオバマについて二人の名前を聞いたときに思い浮かぶ言葉を選んでくださいという調査が発表された。この調査は1,759人の大人を対象に6月13から23日にかけて行われ、一人の人がいくつもの言葉を選んでいいことになっていた。誤差の範囲はプラスマイナス2.3%ポイント。 下記はそのパーセンテージ。
この調査でのジョン・マケインの第一印象が「年寄り」でオバマが「変化」というのはちょっと良くないが、それ以外はオバマから受ける印象はそれほど良くないということがわかる。特にオバマが「不正直」「’好きになれないタイプ」と答えた人が結構いるのには驚いた。それに比べてマケインは「実績」があるとか「道徳的」とか「正直」と答えた人が多いのも面白い。
マケインは自分が歳がいってるぶんだけ経験豊かで実績があるという路線で進んでいけば、決して歳がいっていることはマイナスにならない。ロナルド・レーガンがやはり歳の話が出たときに「私は競争相手の未熟さと未経験について攻めないと約束します」などと冗談を言ってすっかり国民の心を得てしまったことがある。マケインもこの手を使うべきだろう。多少ではあるが、マケインがそういう演説をしていることはしている。
オバマのほうは、ワシントンに長年いるプロの政治家ではなく、外部からきた新鮮な息吹であるという印象を国民に与えたいわけで、それは今のところ成功している。だが、実際にはオバマは昔ながらのリベラルで左翼としてはなんの変化もないバリバリの内部者なのだ。オバマがヒラリーよりも有利だった点は、すでに国民はヒラリーという人間を知り尽くしていたため、新人のオバマへの期待度に勝てなかったということだ。オバマはなんといっても未知数。支持者たちは自分達の理想をオバマに期待しているだけで、実際にオバマがその期待に応えられるという保証は全くないのだ。マケインがオバマの正体をひとつづつ暴露していけば、オバマの新鮮なイメージは吹き飛んでしまうことだろう。
ジョン・マケイン
1. 年寄り、 19 %
2. 軍役、 9 %
3. 実績、資格有り、8 %
4. ブッシュ、 7 %
5. 強さ、 7 %
6. 内部者、政治家、7 %
7. イラク、テロ、6 %
8. 正直、5 %
9. 共和党、5 %
10. 道徳的に善良と不正直が同点で 4 % づつ
バラク・オバマ
1. 部外者、変化、 20 %
2. 経験不足、13 %
3. 不正直、9 %
4. 感銘させる、8 %
5. リベラル、6 %
6, 7 オバマ優先と若いが同点で6%づつ。
8. 好きになれないタイプ、5 %
9. インテリ、4 %
10. イスラム教徒、3 %
今、アメリカで一番国民が心配して関心をもっているのは、なんといって石油問題。共和党は自国の原油を掘り起こすべきだと主張しているのに対して、民主党は石油発掘絶対反対の態度をくずしていない。マケインはこの状況を利用して、本当に国民の経済事情を心配し、国家の将来をサウジアラビアのような不安定な国に任せないで済むように勤めているのは共和党の方なのだと国民を説得することができれば、この選挙、マケインの圧勝も夢ではない。


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アメリカ人はスペイン語を学ぶべき! 自国民を馬鹿にしきったオバマの態度

アメリカでは国語を「英語のみ」にするという動きがある。それというのも、アメリカには英語を話せない移民が多くいるので、公共施設がそれに合わせて何カ国語で公の書類を印刷したりして、移民がアメリカに合わせるのではなく、アメリカが移民に合わせる形になっていることは良くないと思う人が多いからだ。
ブラク・オバマは、移民が英語を学ぶのは当然だが、アメリカ人も外国語、(特にスペイン語)を学ぶべきであると演説で語った。そしてオバマは何十年も前のアメリカ観光客のステレオタイプを使って、ヨーロッパ人がアメリカを訪問する時にはちゃんと英語を話すのに、アメリカ人がフランスなどを訪問する際には「メルシーボクー」くらいしか言えないのは恥かしいと語った。
しかし、アメリカの公立高校ではすでに1970年代から外国語が必須科目になっていて、全く外国語を勉強せずに卒業する学生など皆無である。それできちんとしゃべれるようになるかならないかは別として、もう何十年も前からアメリカ人は外国語の勉強に力を入れてきたのだ。
第一、アメリカには英語とスペイン語を流暢に両方しゃべれるひとなどザラである。それをいうなら、新しい移民やその子供達で外国語と英語をバイリンガルでしゃべるアメリカ人などいくらでもいる。私が行った大学では短大も後に転入した四年制でも、特にうちの学部ではバイリンガルでない人のほうがめずらしかったくらいである。
オバマがその事実を知らないのは、経済的に恵まれていたエリートの彼は公立学校などいったことがなく私立学校一辺倒だったため、一般のアメリカ人がどのような教育を受けているか皆目見当がつかないからだろう。
こんなに自国の文化や教育制度に無知な人間が、大統領になろうというのだから片腹痛い。
外国へ行って地元の言葉を全くしゃべれないというアメリカ人像も一昔前のステレオタイプ。今や諸外国でしょっちゅう仕事をしているアメリカ人は地元の言葉を結構話すことが出来る。たとえきちんと話せなくても、英語が通じないからといって、まるで地元民が教養がないかのように馬鹿にした時代はとっくの昔に去ったのである。
私は10年くらい前にイギリスを観光した時、イギリスで一番行儀が良かったのはアメリカ人と日本人の観光客だった。ヨーロッパ人は往々にして行儀が悪かったが、一番ひどかったのは中国人とかアラブ人だったな。
ちなみにジョージ・W・ブッシュ大統領はスペイン語を流暢に話すが、オバマはスペイン語もフランス語も話せない。


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イランのミサイル試射写真はフォトショップされていた!

いやはや、またもアメリカの主流メディアはイランの大本営放送にだまされたようだ。どうしてこうもアメリカメディアってのはナイーブというかアホなんだろう。独裁政権の軍隊が嘘をついたからって何を今更ってとこだ。嘘つきが嘘つくのはあたりまえではないか。
LittleGreenFootBallsというブログに写真がこのことを最初に指摘。

IranMissilePhotoshop

フォトショップされたイランのミサイル試射写真


こちらにフォトショップされる前の写真が掲載されている。これを見ると右から二つ目のミサイルが発射しなかったことが解る。
イランが嘘をつくのは当たり前だが、そういう所からの情報をきちんと調べもせずに鵜呑みにしてそのまま報道してしまうアメリカのメディアの怠慢さには呆れる。


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オバマだらけの米メディア

アメリカのメディアが左よりであからさまな民主党支持であることは、カカシは何度も指摘してきた。だが、最近のアメリカメディアのオバマ崇拝主義は目に余るものがある。
オバマ自身やオバマ夫婦や家族揃った写真がアメリカの政治雑誌の表紙に何回掲載されたか数えきれない。政治雑誌だけならまだわかるが、政治とは無関係な歌手や俳優やタレントを話題にする芸能雑誌の表紙にまでオバマの写真が載っている。
スーパーのレジで待っていると、横においてあるゴシップマガジンの棚にある雑誌にオバマの写真を見ない日がないくらいだ。
テレビはもっとひどい。テレビニュースでもオバマ特集はあるが、共和党のマケイン特集など観たことが無い。たまにマケインを話題にしても批判する内容ばかり。まるで救世主かロックスターのような扱いを受けるオバマとは大違いだ。
またニュース番組ではなく、ワイドショーのようなエンターテイメントの番組にオバマ家族が特別ゲストとしていくつも特集されている。
まずは夫人のミッシェルがABCテレビのザ・ビューという女性向きの朝のワイドショーに一時間、コメンテーターの一人として出演。CBSニュースはオバマ一家の独立記念日を特集。NBCの朝番組ザ・トゥデイショーで休暇中のオバマ家族がインタビューを受けた。その後夜の芸能ニュース番組、アクセスハリウッドでも家族のインタビューが特集された。
もしも、これだけのメディア広告を自腹を切って購入しようとしたらどれほど莫大な金額になるかご想像いただけると思う。テレビの1分間の広告だけでも何百万ドルとかかるのに、アメリカのメディアは何十分もオバマに好意的な宣伝をニュースと称してオバマには無料で報道し続けているのだ。
これではなにもかも自腹を切らなければならないマケインはとてもとてもかなわない。
しかし、ある意味で、マケインは自業自得といえないこともない。数年前マケインは民間団体による特定の候補者に関する応援運動に制限をかける法案を民主党の議員と提携して共和党の反対を押し切って無理矢理に通してしまったことがあるのだ。これがいわゆるマケイン・ファインゴールドと言われる法案だ。最初からこんな選挙法を守る気はさらさらない民主党にとってはこんなもの痛くもかゆくもない。しかもアメリカメディアが民主党支持なのは周知の事実。メディアは民間の支持団体とは見なされないから、候補者支持の応援活動はやり放題。
この法案で規制を受けて痛手を被るのは共和党候補だけになることは、最初から解りきっていた。マケインは自分で通した選挙法に自分の選挙運動を邪魔されることとなったわけである。
しかし、マケインも馬鹿ではない。相手が公平に戦わないのに、こっちだけが規則を守っているという手はない。マケインは相手が不当な戦いをすることを許さない正義感の持ち主なので、オバマやリベラルのこの汚いやり方に充分対応できる力は持っている。
この際、マケインには下手な正義感は捨ててもらって、オバマを打ち破るべくすべての手段を使って戦ってほしいものだ。


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戦の時期を敵任せにしていいのか? イスラエルは、

オルメルト、イスラエル国家心中願望首相がイランの手先であるシリアのヒズボラと人質交換の交渉などという馬鹿げたこをやっている間に、イランはイスラエルを充分射程距離に含む長距離ミサイル試射実験に成功した。イラン側はイスラエルとアメリカの脅威を威嚇するためだと言っているが、アメリカはともかく、今の腰抜けイスラエルにイランを攻撃する意思などない。

革命防衛隊はこの日ペルシャ湾で、軍事演習「偉大な預言者 III」を実施し、長距離ミサイル「シャハブ3」改良型などを試射した。米国務省高官は、現在米国が直面している「深刻な問題」とコメントした。

米軍関係者によると、試射されたのはシャハブ3のほか、短距離弾道ミサイル6発。この種類の試射は以前にも行われたため予想外ではなかったが、米情報機関によって探知されていた。
イランは時折ミサイルを試射しているが、今回はイランを想定したイスラエルの軍事演習が先月行われ、イラン核問題をめぐる国際社会との摩擦が強まる状況下で実施された。国営イラン通信(IRNA)は国内外の専門家の見解としたうえで、イスラエルがイラン国内の核施設を攻撃した場合、射程2000キロのシャハブ3に報復能力があることを示唆した。

イスラエルがその気になれば、イランなどひとたまりも無い。ミサイルをひとつふたつぶっ放した程度ではあんまり効果はない。もちろんイランが核兵器を所持しているというのであればこれはまた別の話だが、今のうちならその心配は無いだろう。だからイスラエルがイランを叩くなら、今のうちにやるべきである。なぜ、絶対に起きると解っている戦争を相手が強くなるまで先延ばしにする必要があるのだ?相手が弱い時に戦う勇気がなければ、相手が強くなってからどうやって戦うのだ?
だがそんなことを言ってみても、腰抜けオルメルト首相にイランと戦うような根性はない。戦争を先へ先へと延ばせば問題を次の世代におしつけることができるとでもおもっているのだろうか。イスラエルでいま内閣が解散し選挙がおこなわれればオルメルとの所属するカディマ党は崩壊し、ベンジャミン・ネッテンヤフー率いる強硬派のリクード党が多数派を握る可能性は非常に高い。私利私欲した興味のないカディマ党の連中としては、なんとしても内閣解散を避け続けなければならないわけだ。それがたとえ、イスラエル国にとっての自殺行為であったとしてもだ。
さてその間、パレスチナのハマスは停戦状態を悪用して次の戦闘用意に余念がない
ハマスは2006年のヒズボラの作戦に見習って、新しく入手した武器の取り扱いに戦闘員の訓練の焦点をあてている。ハマスの新兵器とは、

  • ワイヤー先導対戦車ミサイル、AT-3 Sagger, AT-4 Spigot, AT-5 Spandrel、といったものから、肩にしょうロケット砲AT-14 Sprigganなど、すべて装甲車に効果のある、これまでよりも射程距離が数キロメートルながくなった最新兵器である。
  • 対戦車用ロケット砲、ハマスは大量の携帯対戦車ロケット砲RPG-29 Vampir を購入したという。この砲弾の射程距離は500メートル。これまでのRPG7システムよりずっと性能が優れているという。
  • 高性能な路肩改良爆弾の開発、イランが開発した地元制作のthe Shawaz と呼ばれるこの改良爆弾は鉄を20センチ突き抜けることが出来るという。

ハマスはガザを武装するだけでなく、新しい戦闘員の勧誘にも努力している。このやり方もヒズボラがお手本になっている。またイランの特別部隊のように半分正規軍、半分ゲリラ軍で構成されている。
こうしてみてみると、ハマスはたんなる避難民のゲリラなどではなく、イランに後押しされた立派な軍隊となりつつあるようだ。イスラエルはたった二人の兵士の遺体を取り戻すために、目の前にある敵の存在に目をつむっている。あたかも無視すればなにもかもが良くなると思い込んでいるかのように。
イスラエルにはイランもシリアもハマスも必要ない。敵側にやられる前に馬鹿なカディマ党の政治家がイスラエルを滅ぼしてくれるだろうから。


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