このブログではカナダやイギリスで起きている人権擁護法による人権迫害についてずっと追ってきているが、来週からカナダのジャーナリストで作家のマーク・スタインの「ヘイトスピーチ」裁判が始まる。
ヘイトスピーチとは要するに「悪意を持って相手を侮辱する発言」のことである。私は自由社会においては、偽りで相手を陥れ、相手の名誉を激しく毀損するような発言以外は許されるべきだと主張してきた。単に相手の気持ちを傷つけたという程度のことでいちいち訴えられていたのでは言論の自由など保つことは出来ない。
この裁判を直前にしてスタインがバンクーバーのフレージャーインスティトゥートで行った演説をベルモント・クラブが掲載している。スタインは冒頭の挨拶で、彼がカナダの人権擁護審議会に訴えられたことを知ったのは、アメリカのラリー・クレイグ議員がミネアポリス空港の男子トイレで隣の個室の男性に合図をしたとして話題になっている時だったと語り、その後クレイグ議員の弁護士が議員のジェスチャーはアメリカの言論の自由で保証されていると弁護したのを聞いて、「なんてすばらしい国なんだ」と思ったという。

カナダでは、カナダイスラミック議会は「言論の自由」私の著書や新聞のコラムには保証されないという。しかしアメリカではクレイグ議員の便所でのしぐさは憲法補足法第一条によって守られているという。今後は過激派イスラム教徒のことを書く代わりに、公衆トイレでイマームを誘惑するだけにしようと思う。

裁判の背景は詳しくこのエントリーで説明しているが、簡単に説明すると、このブログでも紹介した「アメリカアローン」という著書の中で、スタインはカナダや欧州において地元市民の少子化が進む中、イスラム教移民による人口増加は変わらないので、いずれ北アメリカや欧州はイスラム教徒に人口でも文化でも乗っ取られてしまうだろう。その波にただひとり立ち向かっているのがアメリカだと書いた。
この内容にスタインと出版社のマクリーン社に対し、「あからさまなイスラム恐怖症」だといちゃもんをつけたのがカナダのイスラム議会。ブリティッシュコロンビアの人権擁護審議会はこの苦情を取り上げて、スタイン及びマクリーン社を「侮辱罪」で訴えているというわけだ。
ベルモントクラブのレチャードも指摘しているが、過激派イスラム教徒がイスラム教徒以外の人間に対してなにかといちゃもんをつけるのは何も今にはじまったことではない。彼らが大騒ぎするたびに相手はへいこらして謝る状況続いている以上、彼らが苦情を申し立てるのは当たり前だろう。
コメンターのマニーさんも日本の映画会社や出版社がイスラム過激派の言いがかりに屈した例を紹介してくれている。

日本の人気アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」の中に、悪役がイスラム教の聖典コーランを読みながら主人公らの殺害を命じる場面があり、アラビア語圏のウェブサイトで批判が高まっていることが21日分かった。原作コミックスの出版元でアニメ製作も主導した集英社(東京)は同日までに、問題のアニメのDVDや原作コミックスの一部を出荷停止とする方針を固めた。

中東では「コーランを読めば悪者になるという趣旨か。イスラムへの攻撃だ」などとの書き込みが300以上のサイトに広がっており、イスラム教スンニ派教学の最高権威機関アズハルの宗教勧告委員長アトラシュ師は「イスラム教に対する侮辱で受け入れられない」と非難した。

アレキサンダー・デュマの「三銃士」では、最大の悪役はフランスカトリック教会の最大権力者ラシュルー枢機卿だが、それでも出版当時にカトリック国のフランス人が小説に抗議して暴動を起こしたという歴史的事実はない。それどころか当時のフランスでこの小説はベストセラーになっていた。
東洋の映画や小説でも生臭坊主や悪役の仏教徒などいくらでも出てくるが、それに抗議して世界中で暴動になるなんてことは聞いたことも無い。なんでイスラム教徒だけは、こうユーモアのセンスがないのかねえ。
しかし問題なのは被害妄想のイスラム教徒の理不尽な苦情ではなく、それを取り上げたカナダの人権擁護審議会の方である。この裁判は人権擁護法が考慮されている日本としては決して他人事ではない。
カナダや欧州で起きているのはイラクやアフガニスタンで起きているような熱い戦争ではなく、言ってみれば冷たい戦争だとスタインは言う。この戦争では旅客機がミサイルとしてビルに突っ込むこともなければ、自爆テロや路肩改良爆弾も爆破しないかもしれない。だが明らかに我々の自由を脅かす恐ろしい敵との戦いだ。
我々の敵は多様文化主義だの人権擁護だの男女共同参画だの四角だの色々な名前で呼ばれているが、皆同じ穴の狢だ。この敵はリベラルファシズムという独裁主義である。彼らは手を変え品を変え日がな夜がな、我々の自由を奪おうと戦いを挑んでくる。ここで負けたら自由社会はおしまいだ。
我々は断じてこの敵と戦わねばならない。
人権擁護法絶対反対!


3 responses to カナダ:マーク・スタインの人権擁護裁判始まる

mhgt16 years ago

>単に相手の気持ちを傷つけたという程度のことでいちいち訴えられていたのでは言論の自由など保つことは出来ない。
 ここは全く同感してますよ。しかし最近のアメリカ世論なんて、裁判までには行きませんが、結構危ない路線行ってる様な気がしてとても不安なんですよね。大統領選挙戦とかもまるっきりの、ダブルスタンダートOKじゃないでしょうか?
 『オバマが黒人だからここまで注目を浴びた』と言った段階で、バッシングしなくても言いと思うし、『ヒラリーはモンスター』ぐらいで、騒ぐなよ~って感じ。(ヒラリー自身、私がモンスターって知らなかったの?と言いそう、笑)
 嫌いなものは嫌いといえない世の中になったら、終わりですよね。本当のこと言って傷つく人なんて、うじゃうじゃいますから。そこまで気にして発言しなきゃいけないなら、発言する意味がないですよね。

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hatch16 years ago

宗教問題に関していえば、日本は多宗教ですから比較的に自由な立場だと私は思っています。
もちろん例外はあります。日蓮宗はその最たるものですし、その系譜を引くと主張する現代の創価学会が現在でも健在です。
さて、前置きはこれぐらいにします。
今から300年ほど前の話です。時は江中初期、天草四郎の反乱に恐れをなした徳川幕府がキリスト教禁止令を出して、50年ほど後のことです。
以下は日本のウィキペディアの「ジョバンニ・シドッチ」からの引用です。
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イタリア、シチリアの出身。司祭として活動していたたが、ヨーロッパへも殉教物語など宣教師の報告が伝わっていた日本への渡航を決意。教皇クレメンス11世に願い、日本潜入を目指した。マニラまでたどりついたものの、鎖国下の日本へ宣教師を送る危険を冒す船はなかなか見つからず、ようやく1708年(宝永5年)8月、侍の姿に変装して屋久島に上陸したが、ほどなく捕らえられ
て長崎へと送られた。
翌年、1709年(宝永6年)江戸に護送され、時の幕政の実力者で儒学者であった新井白石から直接、尋問を受けた。白石はシドッチの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接した。シドッチも白石の学識を理解して信頼し、二人は多くの学問的対話を行った。特にシドッチは白石に対し、従来の日本人が持っていた「宣教師が西洋諸国の日本侵略の尖兵である」という認識が誤りであるということを説明し、白石もそれを理解した。
切支丹、特に伴天連(宣教師)は見つけ次第拷問、転ばせる(キリスト教信仰を捨てさせる)ことが最良という従来の規定を破り、新井白石は以下のような意味の意見上申を行った。
上策 本国送還 これは難しく見えるが、一番易しい。
中策 囚人として幽閉 これは簡単なようで実は難しい。
下策 処刑 これは簡単なようで実際、簡単。
白石が幕府に本国送還を上策として具申したのは異例のことであった。結局、用心した幕府は中策を採用し、シドッチを茗荷谷(現:文京区小日向)にあった切支丹屋敷へ幽閉することに決定した。(切支丹屋敷は1646年に捕らえた切支丹を収容するために作られたものであったが、シドッチが収容されるまで、鎖国と禁教政策によって長きにわたって誰も収容者がいなかった。)
茗荷谷の切支丹屋敷では宣教をしてはならないという条件で、拷問を受けないことはもちろん、囚人的な扱いを受けることもなく五人扶持という破格の待遇で軟禁されていた。屋敷でシドッチの監視役で世話係であったのは長助・はるという老夫婦であった。彼らはもともと切支丹であったが、キリスト教を捨てて信仰から離れていた。しかし、二人がシドッチに感化され、信仰に立ち返る旨を主張しだしたため、シドッチは屋敷内の地下牢に移され、1714年(正徳4年)にそこで衰弱死した。46歳
であった。
新井白石はシドッチとの対話から得た知識をまと、『西洋紀聞』と『采覧異言』を著した。また、シドッチの所持品であったカルロ・ドルチの「親指の聖母像」といわれる図像は、現在重要文化財として上野の国立博物館に収められている。
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長々と引用しましたが、次も引用です。実はこれが私が宗教に関して最も好きな話です。
北國新聞朝刊(2002/08/13付)から
~ 神と悪魔 ~「天地創造」に拒否反応 かみ合わない宗教観
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon23.html
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まず、当時の日本の知識人は、キリスト教をどうとらえていたかである。時代はやや下るが、江戸中期の碩、新井白石は、密航で捕らえられたイタリア人宣教師シドチを訊問した。白石は、訊問に際し、西洋の国情や文、天文、地理などの科学知識について詳細に聞き出し、シドチの博覧強記ぶり、優れた西欧の学問水準に驚嘆した。このときの問答を元に、白石が書いた「西洋記聞」
「采覧異言(さいらんいげん)」は鎖国下での貴重な西洋研究書である。
 だが、シドチがここぞとばかりに熱弁を振るったキリスト教の教義に関して、白石は冷笑をもって答えた。キリシタン禁制下ゆえに、白石が耳を貸さなかったからではない。シドチの説明があまりにも非論理的に思えたからである。それでもシドチが食い下がると、白石はこう反論した。
 「天地万物を創造したデウスがいるというなら、デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。デウスが自ら成り出でることができるものならば、天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
 白石の反論は、右近の時代に庶民が宣教師たちに反駁(はんばく)した理屈と基本的に同じであり、現代を生きる非キリスト教徒の素朴な疑問とも共鳴し合う。
西欧人と日本人の思考方法には、単なる宗教観の違いを超え、どこか決定的にかみ合わない部分があるのかもしれない。
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実は、これと同じことを西洋人も何百年も前に述べています。
アーサー・C・クラーク著「楽園の泉」で宇宙からのスターグライダーの通信に仮託して、著者は原典を披露しています。今、それが本棚で見あたらないので詳しくは
指摘できませんが、ご興味のある方は是非、「楽園の泉」を読んでください。
さて、宗教に対して私が現在考えているその効用を挙げて結論とします。
宗教とか、道徳とは何のためにあるのでしょうか?
私は、ついつい目先の利益にかられて、長期的な視点に欠ける愚かな私たちが道を誤ってしまうことを正すためのものと考えています。
日本人の言葉に変えて言えば、「お天道さまにカオを向けておまえは真っ直ぐに立て」です。
ごめんなさい、結語も引用です。まんがの「うしおととら」第9巻からの引用です。
追伸:多神教の日本を理解するにはこのまんがは有用です。

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In the Strawberry Field16 years ago

カナダ、マークスタインの人権擁護裁判却下される

実はカカシは今カナダに滞在中。ひょんなことから地元の人とカナダの人権擁護法について話ていたら、「ほら、人権擁護法委員会から訴えられていたマーク・スタイン、オンタリオの委員会は訴えを取り下げ、ブリティッシュコロンビアの方でも罪がひとつ棄却されたんだよ。」と言わた。この話は結構きちんと追ってきたつもりだったのだが、うっかりしていた。それで遅まきながらマーク・スタインの裁判について、アップデートしておこう。 今年の6月27日のことになるのだが、カナダの作家で人権擁護委員会から人権迫害などの罪で訴えられてい…

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