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先日もお話したように、イラクのバスラとバグダッドにおいて、イランの飼い豚モクタダ・アルサドル率いるシーア武装集団マフディ軍を撲滅すべくイラク軍による激しい攻撃作戦「騎士の突撃作戦」が行われている。マフディ軍がこれ以上は抵抗はしないと停戦交渉を求めてきたことから、一応この作戦は峠を超えたといえる。
しかし、本来ならばマリキ首相の大手柄としてイラク軍の大勝利が讃えられてもいいような結末であるにも拘らず、アメリカの主流メディアはなんとかしてこれをサドル派の勝利だと印象づけたいらしく日夜情報操作に余念がない。だが、反戦派の左翼メディアがサドルの勝利を唱えるのは分かるとしても、右翼側のメディアですらマリキ首相の勝利を認めたがらないのだから不思議である。
保守系人気ブログのパワーラインカウンターテロリズムブログ(Counterterrorism Blog) はこれだけ勝利がはっきりしている戦いなのに未だに「で、どちらが勝ったのか」と問いかけている。何もかもすぐに信じないのは良い性格かもしれないが疑い深いのもここまでくるとちょっと考えものである。
軍事知識豊富なブロガーオースティン・ベイ大佐(Col. Austin Bay)ビル・ロジオ(Bill Roggio)を読んでいれば、どちらが勝ったのか明白であるのに、、、

勝者は停戦を提案したりしない

まず最初に普通軍事戦闘において、最初に停戦提案を声高にした方が負けてる方だというのは常識。勝ってる方が勝利を目前にして停戦なんかする必要はない。相手を押しまくって完全勝利を得るまで戦うのが筋である。
現在の「騎士の突撃作戦」(Operation Knights’ Charge)においてサドルが勝ったといってる方も、マリキが勝ったといってるほうも、停戦提案を最初から何度もしているのはサドルの方だという事実では同意している。サドル勝利説側はサドルの勝利を証明するものとしてサドルが停戦条件として出した数々の提案をあげている。例えば捕虜となったマフディ戦士でまだ裁判で有罪になっていない者を釈放することなどその一つだ。しかし停戦条件が成立するためには相手側がそれに応じなければならない。ところが主流メディアにしてもブロガーたちにしても誰一人としてマリキがそんな条件を飲んだと主張するものはないのである。それなのにマフディ軍はバスラから撤退してしまったのだ
昨日のタイムマガジンの記事など、サドルの停戦条件を羅列しておきながらマリキの反応については全く無言である。(下記は要約のみ)

シーア派政治家の代表使者と会見して停戦について話し合った際、サドルの主な要求の一つはサドルの戦闘員たちを恩赦法によって釈放することであった。 これはサドルの従者たちのなかで叔父や兄弟たちが拘束され、スンニ派抵抗軍が親切な地元市民から補助金をもらっているのにもかかわらず、自分達は増派によって不公平な扱いを受けていると感じて不満をもっているものへのご機嫌取りといえる。腕のいい政治家ならだれでもするように、サドルは従者に自分も施し物をすることが出来ると証明しなければならない。そのために戦争をしなければならなくても。

しかし記事はここで終わってしまう!マリキがこの要求を飲んだという証拠を少しでも握っていたらに著者のチャールズ・クレイン記者がそれを無視するはずがない。それどころか最初に大々的に太文字で「マリキ、サドルの要求を全面受諾!」とかなんとか書きまくるに違いない。特に「モクタダ・アルサドルはいかにしてバスラの勝利をものにしたのか」なんて見出しのついている記事ならなおさらである。

勝者が領土を制覇する

どちらが勝っているかを見極める方法として、戦闘が終わった時点で戦闘前と比べて双方がどの地点にいるかということが上げられる。バスラの戦闘が始まった時、イギリス軍のやわなやり方のおかげでマフディ軍がバスラを統括していたということは誰もが認めている。 マフディ民兵は町をパトロールし、市民を恐喝して脅かし、気に入らない市民を好き勝手に誘拐し、大っぴらに武器をふりかざして歩き回り、大集会を開いたりしていた。空港や港や油田を制覇していたのもマフディである。
今日、バスラをパトロールしているのはイラク軍である。 これも誰もが認めることであるが、マフディ軍は戦闘員を市街地から引き上げさせ、今やバスラ市をコントロールすることが出来なくなった。インターナショナルヘラルドトリビューンによれば(International Herald Tribune):

バスラ中央のハヤニヤ地区に十何台で乗り入れたイラク兵たちは、これといった抵抗に会わなかった。ここはつい先週までアル・サドルのマフディ戦士たちと激しい戦いが繰り広げられた場所である。

兵士らは関門を設置し数軒の家を捜索し2〜3時間後には立ち去ったと目撃者たちは語った。

ビル・ロジオによるとこうである。

サドルが全面的停戦宣言をしてからはバスラにおいても南部においてもマフディ軍への攻撃はその激しさは衰えたが、イラク警備隊による作戦はそのまま継続されている。今日イラク軍はマフディ軍が生息するバスラ中央部のハヤニヤ地区を行進した。4月1日に、ヒラー特別武器兵法部隊はバスラにおいて20人の「武器運搬人」を逮捕した。3月31日、イラク特別部隊はマフディ軍が選挙していたバスラの学校での手入れ捜査中に14人の「犯罪者」を殺害した。

イラク軍当局によると、イラク警備隊はバスラ掃蕩を続けている。日曜日の記者会見においてアブドゥール・アジーズ少将はバスラ、ナジュビャ、アルマーキル(Basra, Najubya, Al Ma’qil, Al Ashshar Wazuber and Garmat Ali)その他の数地区は掃蕩されたとし、この作戦は今後も継続されると発表した。「我が軍は特定の地区内及び他の地区の掃蕩に成功している」と少将。「本日よりそのほかの場所において手配中の人物や犯罪者や未だに武器を所持しているものたちの取り締まりをはじめる…」
イラク軍はまた4月1日にバスラ地区の港、Khour al Zubair と Umm Qasrに隊を出動させた。イラク軍はこれまで頻繁な犯罪行為をしているとされていた施設の警備員たちから警備の役割をとって代わることとなった。

明らかに戦闘後の状態はイラク軍にとってずっと良い状況になっている。それに対してマフディ軍の立場は悲惨なものである。この状況だけをとってみてもどちらが勝ったかは明白なはずだ。

勝者が戦後処理の音頭をとる

どちらが勝ったかを見極めるもう一つの方法として、戦闘後の作戦の音頭をどちらがとっているのかということがあげられる。これにおいても議論の余地はない。マフディ軍が市街地に拡散し隠れている間、イラク軍は掃蕩作戦を継続している。イラク軍はマフディ戦闘員の隠れ家を次々に家宅捜査し、民兵たちを逮捕し、地域平定し、地域制覇のための援軍も呼び込んでいる。

勝者の死傷者は敗者より少ない

死傷者の数だけではどちらが勝ったかの決め手にはならないが、他のことと合わせれば、これは非常に大きな手がかりとなる。何百人というマフディ戦闘員が殺され何百というメンバーが捕虜にとられた。サドル勝利説側の誰もイラク軍がそのよう多大な損害を受けたと主張していない。
ビル・ロジオによれば、戦闘のはじまった3月25日からアメリカとイラクのメディアで非公式に集められた数は、571人のマフディ戦闘員が戦死、881人が負傷、490人が捕虜、他に30人以上が降参したとある。
公式発表を使っているオースティン・ベイ大佐は、イラク内務省の報道官によればサドルの民兵軍は215人の戦死者を出し155人が逮捕され600人が負傷したとある。公式発表は常に保守的な見方をするのでメディアの集計より少ないのは当然だろう。
ベイ大佐は、公式発表が正しいとすれば、少なくとも二千人というサドルの民兵たちが散り散りになってしまったことになるという。
ベイ大佐の2000人の戦闘員という数が正しいとすると、サドルは今回の戦闘ですくなくとも18.5%の戦闘員を失ったことになる。非公式のロジオの数を計算にいれると多く見積もってなんと53%の損失だ!南部の18%を入れた合計48%の損失とは軍隊としては致命的な損害である。これでは今後新しいメンバーを募集するのも難かしいだろう。

エリートメディアによる勝利を敗北と結論付ける方法

これだけ明白なマリキのイラク軍勝利をサドル勝利説側はどうやって説明するのであろうか?その答えは簡単だ。現場の現実を完全無視し、マリキは政治的に多大なる打撃を受けた、なぜならイラク軍はサドルを殺すことができなかった、イラク軍は数時間でマフディ軍を撲滅できなかった、イラク軍は、、、、と繰り返せばいいのだ。
タイムマガジンによれば、サドルがいまだに息を吸っていて、奴の命令を聞く従者が多少残っているというだけで、マリキは大敗北したという十分な根拠となるらしい。

アメリカ軍の多くの兵士や将校たちからはマフディ軍はばらばらな戦闘員と犯罪者のより集めのように見られている。しかしバスラ戦闘の終結が見せたものはサドルが命令すれば民兵たちはそれに従うということである。

サドルの指導力はマリキ首相のそれとは対照的である。マリキ首相は警備の役人たちと南のバスラへ出向き作戦を自ら監視した。数日におよぶ激しい戦闘の末、マリキ首相は先に発表した民兵たちの降参、および武器の買い取りの期限を延期した。しかし停戦の条件として民兵たちは武器所持の権利を明確に主張した。停戦が交渉なしで行われるというマリキの発表そのものがサドルではなく、軍事的政治的同盟を維持できないマリキの弱さを暴露する結果となった。

そうかああ〜?イラク国内のスンニ、クルド、サドルシンパのシーアなどからの抗議にもかかわらず、マリキは戦いを継続している。イラク軍は今日もサドルへの攻撃を止めていない。それなのにタイムマガジンのクレーン記者はサドルが停戦を呼びかけたらマフディ軍がサドルのいうことをきいてバスラを投げ出してすたこらさっさと逃げてしまったから、負けたのはサドルではなくマリキだと言い張るのである。
タイムマガジンとは政治的に正反対な意見をもっているカウンターテロリズムのコチランに至ってはマリキがサドルおよびマフディ軍、それをいうなら武器を持ってアメリカにたてついたシーアおよびそのペットの犬も含めて、最後のひとりまで皆殺しにしなかったからマリキは惨敗したといいたいらしい。(サドルを殺すといっても、サドルはイラクにはいない。私の知る限り、サドルはいまだにイランの庇護のもとにイランに隠れているはずである。)

今朝のニュースも含め、これまでの情報から私は短期的なアメリカ軍の勝利はアメリカ軍がイラク中に散漫するシーア派地域に多大なる軍隊を出動しない限り、長期的にみてモクタダ・アルサドルおよびシーア社会そしてイランによる兵法的な勝利となると確信する。

コチランはイランの手先であるサドルの鶴ならぬ白豚の一声にイラクの民兵たちが従ったというだけで、イラクは放っておけばイランにいいように踊らされてしまうという自分の主張は正しかったのだと言い張る。コチランは米軍が市街地をパトロールする中(本当はイラク軍だが)イギリス軍がさらに撤退を決めているのもイラク情勢の安定にイギリス軍が自信がないからだという。イギリス政府が腰抜けだという可能性は無視するようだ。そしてアメリカ軍のケビン・バーグナー少将がイラク政府が犯罪者の摘発に力を入れていることは歓迎するとしながらも、イラク警備隊のなかにはまだまだ力が足りない隊があると「認めた」ことを指摘してイラクの将来は真っ暗だと結論付けている。ハッキリ言ってアメリカ保守派の悲観主義にはカカシはかなり嫌気がさしている。
で、いったい何%のイラク警備隊が力が足りないとされているのだ?第一この警備隊は警察のことなのか、それとも軍隊のことなのか? 南部のイラク警察のなかには少数だがシーア民兵の管轄内にある隊があることは誰でも知っていることでいまさら取り立てて騒ぐほどのことではない。これをもってしていってイラク軍全体が意味のないものと判断するのは行き過ぎだ。

圧倒的に勝つことによる勝利

コチランの経歴を読む限り、彼は弁護士と計理士の資格を持つ役人経験のある人間で、対テロ政策もビジネスの側から入った人物で軍事体験は全くないしおよそ専門家とはいえない。
それにひきかえビル・ロジオやオースティン・ベイ大佐の軍事知識は申し分ない。こと軍事状況に関してはコチランのような役人肌よりロジオやベイ大差の方がずっと信頼できる。
さて「で、どちらが勝ったのか」という質問だが、すべての証拠や状況を考慮にいれたうえでいわせてもらうならば、間違いなくノーリ・アルマリキ、イラク首相の大勝利である。下記にもう一度まとめてみよう。

  • 停戦を最初に提案したのはサドルであり、降参条件を提案しておきながらその条件が満たされないうちに降参してしまったのもサドルである。
  • 戦闘前にはマフディ民兵軍の管轄下だった領地を現在コントロールしているのはイラク軍である。
  • マフディ軍が逃げまどい、指揮者が恐れて顔も見せられないなか、作戦の音頭をとっているのはイラク軍である。
  • マフディ軍は南部勢力の18%の戦力を失い、さらに30%の負傷者を出した。
  • サドルが「勝った」と主張する側が言えることはサドルが殺されず、壊滅状態になっマフディ軍がサドルを指揮者として見捨てていない、ということだけである。

これでもまだサドルが勝ったと言い張るのであれば、ま、しょうがないだろう。マリキ首相がこのままがんばってくれれば、イラクでも違う意見を述べる自由は保証されるのだから。


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