今カリフォルニアの法廷では、同性同士の結婚を承認するかどうかという審議がされている。カリフォルニア州は比較的リベラルな州なので、読者のみなさんは、これがカリフォルニア州民の希望によって審議されているとお考えになるかもしれないが、実はその逆である。
加州民は2000年の選挙のときに、国中で同性結婚推進の動きが一部の過激派によって激しくなってきたのを懸念し、「カリフォルニアは一人の男と一人の女との結婚のみを承認する。」という州法が圧倒的多数の市民の同意によってすでに通っているのである。では法廷はなにをやっているのかというと、この法律が合憲であるかどうかを審議しているのだ。
なぜ一夫一婦制が合憲かどうかなどという審議が今さら必要なのか、同性結婚推進者の理屈は、異性同士の結婚が許されるのに同性同士の結婚が許されないのはどの個人も同等の権利を保証されるという憲法に違反するというのである。
彼等にいわせると、異性愛者は好きなもの同士で結婚できるのに、同性愛者にそれができないのは不公平だというわけだ。しかし、異性愛者同士でも好きなもの同士なんの規制もなく結婚できるかといえばそうではない。
結婚というものは、いにしえの昔から、公の結合であり決して個人の好き嫌いだけで決められてきた訳ではない。結婚に関する規制はどこの社会にもあるが自由社会においてもそれなりの規制があり、その規制は性別だけに限らない。年齢や血族関係、そして人数にも規制がある。これらの規制が憲法違反でないなら、性別の規制も憲法違反にはならないはずだ。
無論、アメリカでは異人種同士の結婚が禁止されていた時期があった。その法律は撤回されているので、これと同性結婚の規制とどういう違いがあるのかという質問は出てくる。だが、人種間の差は単に皮膚の色が違うというだけで、黒人の男も白人の男も男であることには変わりはないが、男と女とでは全く生物学的に違うではないか?
第一異人種間の結婚禁止令は法廷によって違憲とされて覆されたのではなく、アメリカ市民が異人種間の違いは全く問題がないとして、議会を通して既存の法律を廃止したのである。一夫一婦制度はアメリカ市民の大半が支持しており、異人種間結婚の規制とはまるで性質が違う。
日本では同性結婚などというものは起こりえないとみなさんがお考えなら、甘い、と申し上げる。アメリカでも同性結婚など大半の市民が認めていない。にも関わらずあちこちの州で同性結婚が法廷を通して州民に無理矢理強制されるという事例がすでに起きているのである。カリフォルニアが2000年に一夫一婦制を改めて法律に取り入れたのは、そうした州で「結婚」した人々がカリフォルニア州でも夫婦と認めよと要求してくるのを拒むのが目的だったのだ。
男女共同参画の基盤となっているジェンダーフリーという性別解消の思想が横行すれば、それが必然的に同性結婚へと結びつくことは目に見えている。性に違いがないなら同性同士の結婚になんの問題があるというのだ、という理屈になるからだ。
一夫一婦制は文明社会の基盤である
数年前、同僚の若い男性何人かと仕事の帰りに飲みにいった時のことである。テーブルにつくや否や、一人の若い男性が席を立った。しばらくしてこの男性は片手にカクテルを持って戻ってきた。カカシは「エリック、あなたガールフレンドいないでしょ?」と聞くと、彼は不思議そうに私の顔をみて「いないけど、どうして?」と聞いてきた。ガールフレンドがいれば、自分の飲み物だけひとりでさっさと買いにいくなど彼女が許すはずがないからである。彼女のいる男性なら、同席をしている女性に「飲み物買ってくるけど、君も何か飲む?」と聞くぐらいの気遣いはする。
異性の伴侶がいる人間は、男と女の違いを知っている。それぞれの強い面も弱い面も知っているから、それを考慮にいれて他人にも接することができる。だが、同性同士でしか付き合いのない人間はその違いを理解できずに間違いをおかすことが多々ある。
これが子育てとなってくると男の父親と女の母親は子供の人間形成には欠かせない要因となる。男の子が強い父親がか弱い母親を守るお手本を見ずにどうやって女性を大事にすることを学ぶのか?母親が父親の辛い時に慰めの役目を果たす図を見ずに女の子はどうやって思いやりを学ぶのか?
アメリカで母子家庭の多い黒人の間で犯罪率が他の人種よりも極端に多いのは決して偶然ではない。父親のいない家庭では男の子が粗雑になるのだ。母親がどれだけ立派でも父親の代わりはできない。
また一夫多妻制度を取り入れているイスラム諸国やアフリカ諸国を見てみた場合、女性の権利はどこでも極端に制限されている。女性の数が男性よりもずっと多いというのならともかく、一人の男性が多くの女性を妻にめとえば、女性にあぶれる男性が出てくる。そうなれば女性は奪い合いになるから、女性は男性の所有物的扱いとなり外へ出さずにかこっておくという扱いになる。サウジアラビアなどで女性が家族の男性同伴でなければ外出できないなどという規則があるのはまさにこれが理由だ。
一夫多妻制度のなかで育つこどもは、父親との交流は少ない。父親は常に母親や子供のそばにいるわけではなく、その時々の気分で母親の元をおとずれるわけだから、子供はほとんど女たちの間だけで育つことになる。
母子家庭や一夫多妻制度における子育ての弊害を考えた場合、ここで試されてもいない両親同性という家族構成を社会に紹介する危険を我々は十分に危惧すべきである。すでに一番理想の一夫一婦制という制度が存在する社会に、なぜ試されてもいない別の制度を人々が望んでもいないのに適用する必要があるのだ?適用するだけの価値があることが全く証明されてもいないのに、その弊害も明らかでないのに次の世代を担う子供たちを実験のモルモットとして危険にさらす必要がどこにあるのだ?
何でもありは何もないのと同じ
同性結婚を許可することがどうして一夫一婦制度の破壊につながるのかという疑問が出るのは当然だ。しかし社会が決めた結婚への規制をひとつ外せば、他の規制についての見直しも必要とされるのは当然だ。好きなもの同士が結婚できるというのなら、血縁者が結婚できないというのはおかしいという理論になる。なぜ兄妹や甥姪では駄目なのかということになる。近親相姦による劣性遺伝の問題も、最近は妊娠中に遺伝子を調べて健康な子供かどうか確かめた上で生めば解決できるのだから。また100人の人間が愛し合っていますといって「結婚」してお互いの扶養家族となって減税の対象となるなどということも大いにあり得る。
結婚がどういう形でも許されるということになれば、結婚による特別な関係は意味のないものとなる。これまで結婚といえば一人の女性が一人の男性とお互いに忠誠を誓い合って一緒に子供を生んで育てていこうという覚悟で結ばれるものであった。それが誰とでも何人とでもただ一緒にいることが結婚だとするなら、結婚そのもの意味は失われる。西洋社会の基盤となってきた両親がいて子供がいてという家族単位も破壊される。そんな意味のないものを特にする必要もないので、「結婚」などする人は極端に減るだろう。そうなれば子供を生み育てるのはいったい誰の責任となるのだ?
ただでさえ少子化のすすむ文明社会で結婚そのものがなくなったら、これは種の存続にも関わる危機ではないか?
家族を破壊するジェンダーフリー全体主義
どっかの左翼変態フェミニストが「個人主義を徹底させるのがジェンダーフリーでしょ」などと大嘘をついていたが、個々の性別を無視することで個人が尊重されるなどナンセンスである。
ファシストのムッソーリーニにしろ、ナチスドイツにしろ、共産主義の旧ソ連にしろ、これらの独裁政権は常に「個人の自由」だの「独立」だの「平等」だの奇麗ごとを言っては国民を騙してきた。ジェンダーフリー推進者も「自由」「平等」「個人主義」など耳障りのいい言葉を使いながら、実際には恐ろしい全体主義のジェンダーフリー思想を我々に押し付けようとしているのだ。その証拠にジェンダーフリーが適用される時にはかならず全体主義の形で適用されている。左翼変態フェミニストたちの二枚舌に騙されてはならない。
全体主義の独裁政権は常に伝統的な家族構成を破壊することで個人から自由を奪ってきた。親の権限を取り除くことで、政府が親代わりをしようというのである。全体主義政権において子供の洗脳は必要不可欠である。だから男女共同参画が学校教育の場で始まったというのは大いに納得がいく。
教育界においてジェンダーフリーがどのように適用されているのか、作家の長尾誠夫氏が書いているサイトから少し紹介しよう。
長尾氏は、このエッセーのなかで小中学校における学校教育がいかに伝統的な家族構成を敵視しているかを例をあげて述べておられるが、家族と専業主婦への敵視と題されるこれなどは本当にひどい。

中学ともなると、その内容も多岐にわたるようになる。(以下、『ジェンダーフリー教育』明石書店より)

ある中学の家庭科教師は、教科書に家族団欒の光景が載り、「家庭は共同生活を営む場で、家族が安心して毎日の生活を送り、明日への活動力をつくりだす場でもある」(開隆堂)とあることから、両親がそろっているのが当たり前で、そうでない家庭の子供に対する差別や偏見が生じると思い、様々な家庭があることを認識させるために、深江誠子という人の手記を読ませた。
深江氏は「五歳で生母と死別し、その後母が三人も変わり、恩義を受けた三番目の母が社会から冷遇されていたのを知り、被差別の立場にある人に関心を持つようになり、自らの子供を差別社会と闘わせるためにあえて私生児した」人である(手記より)。手記に言う。「私は自分の生んだ子を私生児にすることに何のためらいもなかった。私は家庭が波瀾に満ちていたからこそ、既存の結婚制度の欺瞞性を見抜く力を養われた」と。
深江氏がいかなる考えを持とうと自由だが、学校教育とは社会の仕組みや秩序を教えるのが基本であり、反社会的な考えを持ちこむのは禁物だろう。これでは既存の結婚制度や家族を否定しているようなものである。

このような教育を子供にすることが、両親は一夫一婦であるべき、子供は結婚した夫婦の間でだけ生むべきであり、私生児を生むことは自分達の道徳観に反する行為だと思っている親の権利はどうなるのだ?
また、例の左翼変態フェミニストのように性別を確定すること自体が性差別だという考えが横行するなら、学校の性教育で子供たちにセックスは好きな相手となら誰とでもしてもいい、結婚の相手は異性である必要はないと教えることになるだろう。宗教上の理由から同性愛は罪だと教えたい親の個人的な権利はここでも踏みにじられる。
ジェンダーフリーは個人主義を徹底させるだの個性をのばすなど、すべて嘘である。本当の目的は性別を無視することで伝統的な男女間の関係を破壊し、家族構成を破壊し、自由社会の基盤を破壊することにあるのだ。
最近はジェンダーフリーという言葉があらわす内容の恐ろしさが人々の間でも理解されるようになったため、その本来の定義を書き換えて実は全く別物であるかのように表現したり、別の言葉を使ったりしてごまかそうとする動きがある。
ジェンダーフリーが、いつの間にかジェンダーセンシティブとかジェンダーニュートラルとかいう名前に変わっても、読者の皆様、だまされてはいけない!彼等の目的は自由社会の破壊にあるのだということを一時たりと忘れてはならないのである!


18 responses to ジェンダーフリーは自由社会を破壊する

紅緒13 years ago

初めてコメントさせていただきます。
私も在米19年目の日本人女性で(私も南カリフォルニア在住です。オレンジカウンティーに住んでおります。)、かかしさんの思想信条に深く共鳴するところがあり、また、アメリカの政治状態が大変詳しくかかれているので、以前からこちらのサイトは
大変興味深く拝見させていただいてました。
今回、個人的に知り合いでもある長尾氏の論文をこちらで見かけて、嬉しくなってコメントしたい衝動にかられました。
(ところで、長尾氏の下の名前は「誠夫」です。)
長尾氏のHPには以前掲示板があって、私はそこの常連だったので、アメリカのフェミニズムやジェンダーフリー事情などを
何度かお知らせしたことがあります。
(この論文で紹介されている調査結果も私が知らせたものです。)
かかしさんのブログは本当に勉強になるので、今後とも愛読させていただきたく思います。また、仲間にもこちらのブログを是非紹介させていただきたく思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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scarecrowstrawberryfield13 years ago

紅緒さん、
OCなら近場ですね。私も以前にナッツベリーファームの近くに10年くらい住んでました。
私はジェンダーフリーについてはかなりの新参者なので、教えていただくことが多いのではないかと思います。よかったら何時でもメールを下さい。アドレスはプロフィールのページに書いてありますが、こちらです。
ichigobatakeyo@yahoo.co.jp
ジャンクが多いのですぐにはお返事できないかもしれないですが、よろしくお願いします。
カカシ

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腐男子じゃないけど、ゲイじゃない13 years ago

この度、ジェンダーフリー推進者に認定されちゃいました。

実は前回のエントリを書いた事で、他所様のブログでの議論に私が少しだけ関わる形になった(詳しくはTBを追ってほしい)。そこで苺畑カカシさんという方が、ジェンダーフリーについてなんか書いている。 真実のジェンダーフリーとは男女平等だの女性救済のための思想などで

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scarecrowstrawberryfield13 years ago

トラックバック先のノダダさんからのご意見の一部から抜粋。

そこで「異性間であっても、年齢・血縁・人数の規制がある」と言っても、何ら反論にはならない。だって、異性間において「年齢(等)」で婚姻が認められなかったとしても、「異性である事」が婚姻を認めない理由にはならないのは同じなわけだし。

完全にポイントを見過ごしていますね。私が言いたいのは、誰もが好きな人と結婚できるという前提に間違いがあるということです。同性同士が結婚できないというのは、数ある結婚の規制の一部に過ぎません。これは同性愛者にとって公平かといえば公平ではありません。
でも問題はそのようにひとつの例外を認めれば、他の例外も認めなければならなくなり、そのうち結婚そのものの意味がなくなってしまうということです。
ところでノダダさんがジェンダーフリー推進者だと言った覚えはありません。それともうひとつひっかかることがあります。
ひとつの言葉を善意で使うときはいいが、悪意で使うのはよくないというあなたの考え方には、思想コントロールの全体主義を感じます。クィアとか変態という言葉はあなたがた「自称クィア」の人たちだけが使っていいという独占権はないのです。
カカシ

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*minx* [macska dot org in exile]13 years ago

間違え探しでもやっておこうか

 誰も期待していないカカシさんシリーズの続き。「ジェンダーフリーは自由社会を破壊する」というエントリについて。  ただし、議論を通しての歩み寄りは期待できないので、事実として怪しい部分の指摘を中心に。 なぜ一夫一婦制が合憲かどうかなどという審議が今さら必要

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scarecrowstrawberryfield13 years ago

トラックバックに小山さんからのコメントがあるが、彼女の屁理屈にいちいち付き合うほど暇はないので、ひとつだけ。
異人種同士の結婚を禁止するというのは、アメリカでも全国的にあったわけではない。もともと人種差別という観念そのものが案外新しく、文明社会の伝統といえるような歴史はない。
アメリカで異人種同士の結婚が廃止されたときには、もうすでにほとんどのアメリカ人がそんな法律は要らないと思っていた。アメリカで黒人と白人は隔離しなければならないという法律ですら、ほとんどのアメリカ人は良くないことだと感じていたからこそ廃止することができた。
同性同士の結婚はアメリカ国内でも圧倒的多数の市民が反対している。カリフォルニアの州民も絶対反対なのに、リベラルな法廷が身勝手に違憲であると判決を下して嫌がる市民に強制的に同性結婚を認めさせようとしているところに問題があるのである。
何故同性結婚を認めたら、結婚というシステムそのものが崩れてしまうかということについてはすでに述べたとおり。すでに同性愛結婚を認めているヨーロッパ諸国では結婚する人の数が急激に減って子供を生まないひとが多く、その少子化は悲劇的な結果となっている。
どうしてそのような悪い制度を国民のほとんどが希望しないのに無理やり押し付けろというのか。まったくひどい全体主義だ。
カカシ

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alaala13 years ago

カカシさま はじめまして
>子供は結婚した夫婦の間でだけ生むべきであり
>私生児を生むことは自分達の道徳観に反する
>行為だと思っている親の権利はどうなるのだ?
と考える人たちは、夫婦の間以外で妊娠について、
どのような権利があるとお考えでしょうか?
仮に、夫婦以外の性交渉は必ず避妊することを命じる
法を制定しても実効性には乏しいでしょうし、
私事への介入になります。
カカシさんは、私事への介入には反対の立場ですね。
夫婦間以外で妊娠した女性に
強制的に堕胎させるということもできません。
人権侵害になります。
では、生まれてきた子を「私生児」として差別する権利ですか?
しかしながら、1972(昭和47)年に
アメリカ連邦最高裁は、
以下の判決を下して、
そのような態度を「不合理でかつ正当でない。」等
としています。
(婚外子差別は)各時代を通じて婚姻外の交わりに対する社会的非難をあらわしてきた。
しかし、子どもにこのような非難を浴びせることは、不合理でかつ正当でない。
我が国(アメリカ合衆国)の法制度の基本理念である
「法的負担は、その行為叉は過ちを犯した本人にのみ課せられる」という方針に反する。
(婚外子に不利益な処遇をしても、)その父母の婚姻外の性交渉をくい止めるには
何の効果もないばかりでなく、法律的に見て不正である
すなわち、夫婦間以外で生まれた子を非難することは、
アメリカ合衆国の理念に背くことになります。
それでは、彼らにどのような権利があるのでしょうか?
具体的にご教授ください。
なお、日本でも1942(昭和17)年に
「私生児」という名称は
子にとって不名誉であるという理由で、
抹消しました。
うかつに使用することは、
大日本帝国下の人権意識に悖ることに
なりかねませんので、以後お気をつけください。

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scarecrowstrawberryfield13 years ago

alaalaさん、
コメントありがとうございます。私はどんな事情で生まれてきたこどもでも、その子供に罪があるとは思いませんし、その子供が差別を受けるべきではないと思います。
合法であることと道徳的に正しいこととは違います。私は未婚の女性が子供を生むことには反対です。避妊や人口中絶については強制することも、また禁止することも法律で決めるべきではないと考えています。
未婚の女性が子供を産むのは違法ではありません。そうしたければそれはその女性の権利でしょう。しかしそれが道徳的に正しい行為であるか、生まれてくる子供のことを考えたら疑問です。無論私は人工中絶は絶対に反対です。未婚の女性が妊娠して子供を育てることができないなら、子供は生んで養子に出すべきです。世間にはいくらでも子供が欲しいのに出来ない夫婦がいるのですから、そういう人に育ててもらった方が、未婚の女性が苦労して育てるより母親にとっても子供にとってもより良い方法だと思います。
それから、私はここでも何度もお話してきたように、これまで普通に使われていた言葉を突然差別語だとかなんとか決め付けれられて、よって使ってはならないという指図は誰からも受けません。
しかし、人権擁護法が日本で取り入れられた場合に日本のブロガーさんたちが「私生児」と言ったら逮捕されかねないですね。言論の自由はなんとしても守られなければなりません。そのためにも人権擁護法は阻止すべきです。
カカシ

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alaala13 years ago

カカシさま、お返事ありがとうございます。
しかし、
>子供は結婚した夫婦の間でだけ生むべきであり
>私生児を生むことは自分達の道徳観に反する
>行為だと思っている親の権利はどうなるのだ?
この親の権利についてのご返答がありません。
その親が自分たちで自分たちの道徳を守りたいのであれば、
他に関わりなく自分たちで守っていればいいだけのことです。
カカシさんは、
それ以外の権利を呈示できないということでよろしいですね。
>その子供に罪があるとは思いませんし、
では、だれに罪があるのでしょうか?
親の婚姻外の性交渉が罪なのですか?
婚姻外の性交渉に罪を感じるとか、なにかの宗教ですか?
>合法であることと道徳的に正しいこととは違います。
道徳的に正しくないとして非難することは、道徳的に正しいのですか?
>未婚の女性が苦労して育てるより母親にとっても子供にとってもより良い方法だと思います。
未婚の女性が苦労しなくてよいようにサポートすればいいではないですか。
>それから、私はここでも何度もお話してきたように、
>これまで普通に使われていた言葉を突然差別語だとかなんとか決め付けれられて、
>よって使ってはならないという指図は誰からも受けません。
「私生児」という語は、これまで普通に使われていた言葉ではありません。
明治時代に、政府が民法で定めたのです。(文言上は私生子)
その大日本帝国が、1942(昭和17)年に
「私生児」という名称は、子にとって不名誉であるという理由で、
抹消したのです。
カカシさんが、
>その子供が差別を受けるべきではないと思います。
というのであれば、その子供にとって不名誉な名称を使ってはいけないのです。
>しかし、人権擁護法が日本で取り入れられた場合に
>日本のブロガーさんたちが「私生児」と言ったら逮捕されかねないですね。
>言論の自由はなんとしても守られなければなりません。
>そのためにも人権擁護法は阻止すべきです。
刑法には、名誉毀損罪も侮辱罪もありますので、
現在でも要件を満たせば訴追されます。
人権擁護法がないのだから、
言論の自由を言いさえすれば、
人の名誉を毀損したり、侮辱したりすることが
無制限に行えると思っているのなら大間違いです。

ReplyEdit
scarecrowstrawberryfield13 years ago

alaalaさん、

その親が自分たちで自分たちの道徳を守りたいのであれば、他に関わりなく自分たちで守っていればいいだけのことです。カカシさんは、それ以外の権利を呈示できないということでよろしいですね。

あなたのような考えの人が、人権擁護法を押すのでしょうね。そうなれば、このような考えを持つこと自体が認められない権利となるでしょう。私生児を生んではいけないという道徳観そのものが、私生児を差別する行為だ人権侵害だと言って起訴の対象となることは先ず間違いないですね。
あなたはここでどれだけ私の言論や思想を弾圧しようとしているかご自分で気が付いてますか?
でも、人権擁護法が通れば、こういう極普通の道徳観の話ができなくなるという良い例を示していただいたことには感謝します。
親のしつけを学校が台無しにするような社会に、あなたが満足できるというならそれはあなたの勝ってです。
カカシ

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alaala13 years ago

カカシま、またまたご返事ありがとうざいます。
しかし、逆ギレはみっともないですよ。
カカシさんが、
>その子供が差別を受けるべきではないと思います。
というのであれば、その子供にとって不名誉な名称を使ってはいけないのです。
ということを認めてはいかがですか。
>このような考えを持つこと自体が認められない権利となるでしょう。
>私生児を生んではいけないという道徳観そのものが、
>私生児を差別する行為だ人権侵害だと言って起訴の対象となることは先ず間違いないですね。
だれもそんなことは言っていません。
不思議な推論をしますね。
自分の行為がいつか起訴の対象になるかもしれないと
脅えてでもいるように見えますよ。
道徳観を持つ権利には、他に自己の道徳観を押しつける権利は含まれないのではないかと言っているだけです。
それともカカシさんの持つ道徳観については、賛同の意見しか認めない、
議論もするなということですか?
もしそうなら大変な言論弾圧ですね。
>あなたはここでどれだけ私の言論や思想を弾圧しようとしているか
>ご自分で気が付いてますか?
人の名誉を毀損したり侮辱したりする言動は、
現行刑法においても、要件を満たせば訴追されます。
人権擁護法案に反対する人は、
現在は無制限の言論の自由が現在認められていると誤解していて、
人権擁護法案に反対して、
今後も掣肘なく無制限な発言をしたいだけである
という良い例を示したことになります。

ReplyEdit
scarecrowstrawberryfield13 years ago

これは特にalaalaさんへの返信ではないが、思想の規制は言葉の規制から始まるので、読者のみなさんも小さなことだと無視しないようにお気をつけ下さい。
alaalaさんは、一見「私生児」という言葉は蔑称だから使ってはいけないと言っているだけのように見えるが、実はかれは「私生児を生んではいけない」という道徳観そのものに異議を唱えている。これこそ文中で引用した長尾氏がいうところの、ジェンダーフリーは女の子を不幸にするという考えを裏付ける思想だ。
未婚の母や私生児を差別してはいけない、と一見弱者を守るように見えるこのいい方は、裏を返せば、若い男子に、私生児を生ませることは別に悪いことではない、と教えているようなものだ。性欲の強い中学生や高校生に、好き勝手にいくらでも好きな人間とセックスしていい、男の子は女の子をいくらはらませても夫としての責任をとる必要はない。女の子はいくらでも私生児をうんでかまわない、と教えているようなものである。
このような考えこそ未婚の母を増やし、父親のない不幸な子供を増やす原因になるのだ。これが社会にとって望ましいことであるはずがない。そういうことを学校で教えることの恐ろしさに我々はきずくべである。
カカシ

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alaala13 years ago

カカシさま、とてもおもしろいご見解をご披露下さいましてありがとうございます。
>alaalaさんは、一見「私生児」という言葉は蔑称だから使ってはいけないと言っているだけのように見えるが、
>実はかれは「私生児を生んではいけない」という道徳観そのものに異議を唱えている。
お忘れですか、私は1972(昭和47)年のアメリカ連邦最高裁判決を引いて
、生まれてきた子を「私生児」として差別することは、
アメリカ合衆国の理念に背くことになることを示しました。
…………………………………………………………………………
(婚外子差別は)各時代を通じて婚姻外の交わりに対する社会的非難をあらわしてきた。しかし、子どもにこのような非難を浴びせることは、不合理でかつ正当でない。我が国(アメリカ合衆国)の法制度の基本理念である「法的負担は、その行為叉は過ちを犯した本人にのみ課せられる」という方針に反する。(婚外子に不利益な処遇をしても、)その父母の婚姻外の性交渉をくい止めるには何の効果もないばかりでなく、法律的に見て不正である
…………………………………………………………………………
婚姻外の交わりに対して社会的に非難するのが相当という道徳観で、
その子を蔑称で呼ぶことは不合理でかつ正当ではないということです。
「私生児を生んではいけない」という道徳観で差別をしてはいけないのです。
そのことには、カカシさん自身が
>その子供が差別を受けるべきではないと思います。
と、賛意を示しています。
そうであれば、蔑称は使わないようにふるまうべきだと指摘しています。 
 
 また、蔑称を使わなくとも議論はできます。
自己の道徳観を示したい人達は蔑称でしか議論出来ないほど語彙が不足しているのですか?
それとも自分達の道徳観から外れる事柄を論じる時には、
蔑称を使うことに反対することは許されないと言うのですか? 
もし、そうならそれこそ言論統制です。   
このアメリカ連邦最高裁の判決は、
「未婚の母や私生児を差別してはいけない、と一見弱者を守るように見えるこのいい方は、裏を返せば、若い男子に、私生児を生ませることは別に悪いことではない、と教えているようなものだ。性欲の強い中学生や高校生に、好き勝手にいくらでも好きな人間とセックスしていい、男の子は女の子をいくらはらませても夫としての責任をとる必要はない。女の子はいくらでも私生児をうんでかまわない、と教えているようなものである。」
というように読めますか?
もしそう読めるなら、よほど為にする主張だと言わざるを得ません。     
ところで、カカシさんは、不幸な子とおっしゃいますが、
子供を蔑称で呼ぶことは不幸にすることにつながりかねません。 
カカシさん、
あなたは子供を不幸にするために蔑称を使うことを提唱しているのですか? 
 このままでは、
カカシさんが人権養護法案反対する理由は
好き勝手に蔑称を使用して人を不幸にしたいがためであると
解釈されかねません。
お気をつけ下さい。

ReplyEdit
scarecrowstrawberryfield13 years ago

alaalaさん、
法律用語でどうなっているかは別として、「私生児」という言葉自体は別に蔑称でもなんでもありません。私は単に未婚の母から産まれた子という意味で使っているだけです。勝手に差別用語と指定してその言葉を使う人間は差別をしているのだという決めつけにおつきあいするつもりはありません。
それにたとえ、この言葉を私が悪意によって他人の気持ちを傷つけるために使ったのだとしても、私にはこの言葉を使う権利があります。それが言論の自由というものです。
むろん、私がそのような悪意をもって蔑称を使ったとして、あなたにようなヒューマニタリアンが私を差別者であると批判する権利もまた、自由社会では保証されています。
私はあなたの意見を弾圧するつもりはありません。相手に黙れといっているのは私ではなくて、あなたですよ。自由な国とはどのような思想を持っていても政府によって罰せられない国のことです。
しかし社会がその道徳観によって非道徳的な行為を制裁するのもまた、その社会を構成する人々の自由意志なのであり尊重されるべきです。
カカシ

ReplyEdit
alaala13 years ago

カカシさん、返信ありがとう。
ただ、ますますみじめなお答えですね。
>法律用語でどうなっているかは別として、
>「私生児」という言葉自体は別に蔑称でもなんでもありません。
「私生児」という語は、明治時代に、政府が民法で定めたのです。(文言上は私生子)
その大日本帝国が、1942(昭和17)年に
「私生児」という名称は、子にとって不名誉であるという理由で、
抹消した言葉です。
これが、蔑称でなくて何が蔑称ですか?
もし、蔑称でないというのなら、根拠をあげて証明しなければなりません。
カカシさん、
あなたが蔑称でないと言えば蔑称でなくなるのですか?
判断基準はもっぱら自分にあるというのなら、すざまじい思い上がりと言わざるを得ません。
>それにたとえ、この言葉を私が悪意によって
>他人の気持ちを傷つけるために使ったのだとしても、私にはこの言葉を使う権利があります。
>それが言論の自由というものです。
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」権利などだれにもありません。
ですから、名誉毀損罪や侮辱罪が刑法に定められているのです。
「言論の自由」を盾に、「悪意によって他人の気持ちを傷つける」行為が
認められている社会とはどんな社会でしょう。
カカシさんは、
人を傷つける言論が横行する社会を望ましい社会であるとと考えているのですか?
>自由な国とはどのような思想を持っていても政府によって罰せられない国のことです。
思想を持つことと、その思想を言論として表明することは
別のことです。
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」ことなく発言すればよいのです。
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」ような方法でその思想を語れば、
その思想に賛同を得ることは難しくなるのではないでしょうか。
>しかし社会がその道徳観によって非道徳的な行為を制裁するのもまた、
>その社会を構成する人々の自由意志なのであり尊重されるべきです。
社会がその道徳観によって非道徳的な行為を制裁することを尊重せよという
ご主旨ですか?
道徳観による制裁が認められる社会のどこが自由社会なのでしょう。
道徳による専制社会ではないですか。
ですから、連邦最高裁は道徳的非難で子を蔑称で呼んだりするようなことを
「不合理でかつ正当」ではない、社会の「基本理念」に反するとしたのです。
連邦最高裁の判決は社会を構成する人々に尊重されるべきものではないのですか?
そもそもカカシさんの道徳観では、
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」ことを許しているのですか?
もし、そうならたいした道徳観ですね。
これでは、カカシさんは
人権擁護法ができれば、
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」ことができなくなるので、
人権擁護法の成立に反対だと言っているように
思われてしまいます。
くれぐれもお気をつけ下さい。

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In the Strawberry Field13 years ago

カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決

今年の3月8日のエントリーで、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されているという話を紹介したが、本日この法律は “>違憲であるという判決が下った。 この判決は2000年に通った州法22条を覆すものだが、この州法とは、すでに1978年に取り決められた結婚は一夫一婦制という言葉をさらに強調するべく「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」というもので、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた。 民主党が独占するカリフォルニア州議会において、この法律を…

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In the Strawberry Field11 years ago

差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる

カリフォルニアの同性結婚裁判について私のエントリーに反論しているnodadaなるサイトがあり(以前に腐男子とか言ってた人と同一人物かな?)はてなのブックマークでも似たようなコメントが多かったので、この人のエントリーをサンプルに個人主義と団体主義の違いについて考えてみたいと思う。前後の関係が解らない人は先ずこちらとこちらを読んでいただきたい。 ちょっと背景を説明すると、カリフォルニアでは去年、結婚は一夫一婦制のみの間でされるべきという法律が州民投票によって通ったのだが、それに異論を唱えた同性結婚支持派…

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