ちょっと前に私は『ジェンダーフリーという神話』というエントリーを書いたが、この時、私は日本語でいうところのジェンダーフリーという言葉の意味をあまりきちんと理解しておらず、ウィキペディアで検索した定義をそのまま紹介して、どうやら私が理解しているところのジェンダーフェミニズムのようなものだろうと書いた。

「ラディカル・フェミニズム」においては、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、一方的な支配関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図を持った政治的な概念・用語となっている。

このジェンダーフェミニズムという言葉はアメリカの哲学者クリスティナ・ホフ・ソマーズ女史(Christina Hoff Sommers)がその著書Who Stole Feminism(誰がフェミニズムを乗っ取ったのか)で紹介した造語である。それについて日本語のウィキは下記のように説明している。

ホフ・ソマーズは、この用語を、現代の性役割を批判し、全廃することを望むたぐいのフェミニズムを説明するために使っており、これが、現代のフェミニスト理論の多くの本質的な特徴であると主張する。その代わりにホフ・ソマーズが好むのがエクイティ・フェミニズム (これも同書でジェンダー・フェミニズムと対立するものとして造られた用語)で、その目標は、女性と男性の完全な法的平等および機会均等の確立である。ホフ・ソマーズは、彼女が「ジェンダー・フェミニスト」と呼ぶフェミニストたちが、女性に対する優遇措置を支持し、女性を犠牲者として描くのに対し、エクイティ・フェミニズムは、フェミニズムに存続可能なもう一つの形を提供するのだと主張し、異常なほど女性中心的かつ男性差別的な、現代のアカデミックな中流階級のフェミニスト運動を批判するために、この用語を使っている。

(注)エクイティ (equity) は「公正、公平」という意味を持つ英語。

正直な話、私はソマーズ女史の”Who Stole…”は10年くらい前に読んでいたが、ジェンダーとエクイティフェミニズムという言葉を最初に使ったのがソマーズ女史であることはすっかり忘れていた。それに加えてエクイティをクオリティなどと間違って覚えていてそれをそのままブログエントリーに書いてしまい大恥をかいた。(笑)
幸いなことに私の間違いを親切に指摘して下さった*minx* [macska dot org in exile]というブログがある。このブログ経営者のmasckaさんという人は、そのブログの内容を読む限り、オレゴン州のポートランド在住で、女性学(特に性に関する)専門の教授らしい。アメリカ各地の大学で講演などを活発に行っている人のようだ。
しかしアメリカのフェミニストを見慣れているカカシからみるとmasckaさんは典型的なアメリカの左翼系(多分共産主義者)レズビアンフェミニストに見える。いやいや彼女が同性愛者だという言っているのではない。私がこれまでに遭遇したそういう部類の人に似ている、といっているだけだ。masckaさん自身は自分に張られた左翼というレッテルが気に入らないらしいが、左翼が自分が左翼であることを認めたがらないのは何も今始まったことではない。
アメリカのフェミニズムはもうずいぶん昔に共産主義の一角であるマルクス主義者に乗っ取られてしまった。ホフ・ソマーズ女史がいうところのジェンダーフェミニズムの支持者はすべて左翼だといって間違いない。私がmasckaさんもその部類だろうと判断するのには根拠がある。


これはmasckaさんがリベラルでしかも民主党支持者のホフ・ソマーズ女史のことを『保守派の哲学者』とか『極右と言ってもいいくらい超保守的な論客』などと書いているからで、ホフ・ソマーズ女史が極右にみえるということは自分が極左翼ですと白状しているようなものだからだ。
そのmasckaさんが熱心に特別のブログまで作って宣伝しているバックラッシュという著書はジェンダフリーという概念を批判した人々への反論を集めたもので、四人の著者による共作だが、その一番最初に乗ってる著者の上野千鶴子教授などは完全なマルクス主義者なんだから笑ってしまう。下記はウィキのバイオ。

上野千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 – )は、日本の社会学者。東京大学大学院教授。 専攻は、マルクス主義フェミニズムに基づくジェンダー理論、女性学、家族社会学の他、記号論、文化人類学、セクシュアリティなど。文学修士。富山県上市町出身。代表著作は『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本制』など。

やっぱりね、思った通り。
しかし読者のみなさんは「カカシさん、フェミニストが左翼だからって何がいけないんですか?女性の人権のために戦う人たちが左翼でも右翼でも関係ないじゃないですか。」とおっしゃるかもしれない。
しかし実はそうではないのだ。ここでも以前に私はアメリカのフェミニスト団体の代表的な組織であるNational Organization for Women(全国女性機関、NOW)の話をしたことがある。彼女らの表向きの目的は男性社会で犠牲になっている女性人権の保護ということになっているが、セクハラの代表者のようなビル・クリントン大統領のセクハラ事件ではクリントンを批判するどころかクリントンにセクハラされたという女性犠牲者たちを嘘つきだとか田舎者だとかいってさんざん糾弾したし、女性迫害では最たるもののアフガニスタンのタリバンやアルカエダへの批判など全くしない。アメリカ国内でも何度かおきているイスラム教父親による娘への名誉殺人などについてもNOWは完全に沈黙を守っている。
何故女性運動の組織が女性迫害をするイスラム教徒を糾弾しないのかといえば、今現在彼女たちがもっとも嫌うアメリカの保守派たちがイスラム教テロリストと戦争の必要性を唱えているからである。左翼の彼女たちは自分らの政治的思想が優先して女性の人権を守ることより、保守派政治家と戦うことしか頭にないのである。左翼に女性運動を乗っ取られることの弊害がここにあるのだ。
ところで、以前のエントリーでカカシはジェンダーフリーの「フリー」という言葉は「〜ぬき」という意味なのではないかと書いたが、ジェンダーフリーを説明するサイトでは「これはジェンダー(性別)による偏見を取り除くという意味」だと書かれている。例えばバックラッシュに載せられているジェンダーフリーの説明は下記のようになっている。

ジェンダー・フリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるといわれている。報告書においては、制度面ではなく内面のジェンダー・バイアス(偏見)を低減させるための言葉として位置づけられていたが、 制度面のジェンダー・バイアス(障壁)が少ない状態や、性役割・性的指向に関して自由な状態を指す言葉としても使われるようになった。

バックラッシュ派からは、しばしば「性差否定」という用語説明がつけられるが、それに対しては「ジェンダーレス」との意図的な混同であるという応答が繰り返しなされている。というのも、「ジェンダーフリーな社会」というスローガンを唱える者の多くは、男女を同一のものとして扱うというのではなく、男性、女性と一口にいっても多様なライフスタイルがあるのだから、それらを肯定していくという意味合いで使っているからだ。

ここでいう『バックラッシュ派』とは無論ジェンダーフリー批判家のことである。同ブログでバーバラ・ヒューストンという女性のジェンダーフリーに関する説明も載っているがこれも内容は似たようなものだ。

私がここで最も強く主張したいのは、以下の点です。ある状況下でジェンダーが機能しているのか、どのように機能しているのか、そしてジェンダーに注意を払うべきなのか、それとも払うべきではないのか、性差別をなくすべく導入した方針はうまく働いているのか、などの問題がありますが、これらについて、私たちは抽象的なレベルにおいて答えを知ることはできないのです。このような問題に対しては、(「ジェンダー・フリー」アプロ−チのような)抽象的なレベルではなく、常に個々の具体的な状況に即して、どのようにジェンダーが機能しているか(すなわち、上で述べたような、性差別をなくすべく導入した方針がうまく機能しているかなどの問いについて)を検討しなくてはならないのです。

 したがって、ジェンダー・バイアスをなくすために何を試みたとしても、私たちは常にジェンダー(という観点)に細心の注意を払わなくてはなりません。ジェンダーが関係するときにはそれを考慮にいれ、平等を達成するためにジェンダーを考慮にいれないことが必要であるなら、そうしなければならないのです。

こういうことだけを読んでいると彼女たちは本当はエクイティーフェミニストなのだという印象を受けるが、このような表向きのきれいごとは私は信じない。その理由はやはりアメリカのフェミニズムの実態を知っているからである。
ジェンダーフェミニストたちのダブルスタンダードは悪名高い。大学などで女性生徒や教授のの数がすくない理数系の学部にかんする批判は声高にするが、文科系で女性が圧倒的多数を占める学部への批判は全くない。小中学校で女子生徒が無視されているとさんざん文句をいっておきながら、最近極端に下がっている男子生徒の成績について彼女たちは同情のかけらもしめさない。
アメリカの大学の多くで取り入れられているアファーマティブアクションといわれる少数民族や女性優遇のシステムがどれだけ男子生徒や白人や東洋人(日本、中国、韓国人は優遇対象に含まれていない)に不公平であるかなどと指摘しようものなら、「人種差別者!」「セクシスト!」と攻め立てられる。
彼女たちの本当の目的は男女平等などではなく女性優遇による左翼主義の促進にあるのだ。日本のジェンダフリーを押している人々のことを知れば知るほど、日本でも全く同じことがおきていると私は確信する。
例えば、バックラッシュの著者のひとり小谷真理だが、彼女は日本SF作家クラブの会員だとあり、英語の著書などの翻訳家でもある。しかし彼女が翻訳した著者のサースモンは有名な性転換(男から女へ)作家である。また宣伝ブログで特集されている筒井真紀子という翻訳者もケイト・ボーンスタインというやはり男から女へ性転換した作家の隠されたジェンダーを訳している。
アメリカのフェミニズムでもそうなのだが、女性運動のはずなのに、性(セックス)に関する話題がやたらに出てくるのはなぜなのだろう。だいたいフェミニズムにトランスジェンダー(性転換手術を受けた人)だのmacska教授専門のインターセックス(男女両方の性器を保持する人)だのレズビアンの話が出てくること自体不思議である。しかしこれがジェンダーフリーの「フリー」が性別を無視するとか超越するという意味だと解釈すれば多いに納得がいく。
つまり、人間には持って生まれた女性らしさとか男性らしさというものがあるのではなく、性器によって社会がその役割を押し付けることから違いが生まれるという考え方が根本にあるため、自分の性に混乱のある人たちの意見が注目されるのではないだろうか。
私は男女の違いを認識すること自体が男女差別につながるという考え方を拒絶する。何度も書いているが女性と男性では肉体的にも精神的にも違いははっきりしている。違いがあるからどちらが劣るという意味ではなく、その違いを理解した上で差別しないという姿勢こそが本当の意味でのフェミニズムであると理解している。
ところで、この「バックラッシュ」というタイトル自体、フェミニストの犠牲者意識が明かに現れているものもない。確かに日本社会はアメリカに比べれば男尊女卑は顕著である。私が育った頃に比べればずっとよくなっているとはいうものの、まだまだ男女平等というところまで行き着いてはいない。だから日本のフェミニストへの批判はアメリカなどで起きるようなものとは比べ物にならないほどひどいのかもしれない。
だが私は男女の差を無視したりやたらな女性優遇を主張するのは男女平等の目的を達成するのには逆効果だと考える。ましてや左翼連中に運動を乗っ取られて女性運動が左翼市民団体化した日には日本のフェミニズムは終わりである。
日本のフェミニストたちは、アメリカの女性運動が左翼に乗っ取られた前例を教訓にして、決して女性運動を左翼に乗っ取られないように十分に注意していただきたい。
関連エントリー:
米フェミニストの偽善を暴いたモハメッドという熊のぬいぐるみ


6 responses to ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動

*minx* [macska dot org in exile]15 years ago

トンデモ保守メディアとその信者はどの国も同じ、という例

 以前エントリ「クォリティーフェミニズムってなんだよ」でブログ「苺畑より」に出てきた間違いを軽く指摘したけど、その苺畑カカシさんから(間違いは認めつつ)反応をいただいた。 幸いなことに私の間違いを親切に指摘して下さった*minx* [macska dot org in exile]とい

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鉄塵28号15 years ago

はじめまして
日本のフェミニズムが左翼にのっとられる可能性、というより6~70年代の新左翼が当時の挫折からフェミニズムに入り込み、今日在る、日本のフェミニズム、ほぼ100パーセント左翼と認識しています。
古いですが、元慶応義塾学長、故小泉信三氏の、共産主義は組織化された嫉妬であると、本質を看破した言葉がありますが、これが確かに本質であり、よって彼らの矛盾、今言うところのダブルスタンダードは当然です。(数値は忘れましたがGNPが一定数値を超えると国民はイデオロギーを口にしなくなる、の指摘は逆説で面白く思っております。)
フェミニストも怨念によるフェミニズムを認めています。
専門用語というか業界用語でルサンチマンによるフェミニズムというそうですね、、
政治経済問題では見えずとも男女関係では、それが見え認めざるを得ないのでしょう。
日本のフェミニスト=左翼、ダブスタは当然です。
専門的に分析、研究した訳ではなく大学紛争を経験し、その後を見てきた団塊の世代の個人的な見解です。

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In the Strawberry Field15 years ago

エクイティーフェミニストからジェンダーフェミニストへ

先ず最初に言っておくが、私の先のブログエントリー、ジェンダーフリー、左翼が幅を効かす女性運動はmacskaさんへの個人的な攻撃ではない。私が攻撃したのはアメリカ及び日本の女性運動を乗っ取った、もしくは乗っ取ろうとしている左翼連中なのである。 しかしmacskaさんは私の意見に関して反論をなさっておいでなので、礼儀としてこちらでも誤解のないよう説明をしておくべきだろう。…

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In the Strawberry Field15 years ago

ジェンダーフェミニストの見分け方

アップデートあり、下記参照。 先日から続いているフェミニズムに関する討論で、macskaさん(ペンネームは小山エミ)はかなりお疲れのようなので彼女の最新の反論を取り上げながら、ジェンダー及びエクイティフェミニズムについて最終的にまとめてみたいと思う。その後でmacskaさんが犯した間違いについて指摘してただしておきたい。…

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In the Strawberry Field15 years ago

変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話

男女共同参画という政策にはジェンダーフリーという概念がついて回る。あたかも性別を無視することによって男女平等が実現するかのような不可思議な思想だ。しかし現実には、ジェンダーフリーとは私が当初考えていたよりもずっと悪質な概念であることが最近になってわかってきた。 真実のジェンダーフリーとは男女平等だの女性救済のための思想などではなく、文明社会の基盤となる一夫一婦制という男女間の関係を破壊し、我々の自由社会を根底から覆えそうという恐ろしい概念なのである。この思想は我々が一番大事にしている道徳観や価値観や…

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In the Strawberry Field15 years ago

ジェンダーフリーは自由社会を破壊する

今カリフォルニアの法廷では、同性同士の結婚を承認するかどうかという審議がされている。カリフォルニア州は比較的リベラルな州なので、読者のみなさんは、これがカリフォルニア州民の希望によって審議されているとお考えになるかもしれないが、実はその逆である。 加州民は2000年の選挙のときに、国中で同性結婚推進の動きが一部の過激派によって激しくなってきたのを懸念し、「カリフォルニアは一人の男と一人の女との結婚のみを承認する。」という州法が圧倒的多数の市民の同意によってすでに通っているのである。では法廷はなにをや…

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