2006年の暮れにアメリカ軍の新作戦が発表されて以来、シーア派抵抗軍のリーダーであるモクタダ・アル・サドルはシーア民兵らにアメリカ軍に抵抗せずにしばらくおとなしくしているようにと命令した。サドルはアメリカ軍の新作戦はうまくいかないと踏んでいた。いや、例え多少の成果があったとしても、不人気なイラク戦争をアメリカ軍が継続することは不可能であるから、しばらく大人しくしておいて、ほとぼりが冷めたらまたぞろ活躍すればいいと考えたのである。カカシは1月26日のエントリー、サドルの計算違いで彼の作戦には三つの問題点があると指摘した。

  1. 意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。…アメリカ軍は一旦占拠した土地に学校をたてたり病院をたてたりするだろうし、地元のリーダーたちと協力して自治が可能な体制をつくるだろう。LATimesによれば、サドル派が占拠していた界隈でも民兵らの横暴な態度に市民からの不満が高まっていたという。サドル派民兵が留守の間に地元民による平和な自治が設立しイラク軍による警備が行われるようになっていたら、ただの愚連隊の民兵どもがそう易々とは戻って来れまい。
  2. いくらこれがサドル派の生き延びる作戦とはいえ、それを教養のないシーア派民兵連中に理解することができるだろうか?…サドルはおれたちを犠牲にして自分だけ助かろうとしているのではないだろうか、などという疑いがサドル派の民兵連中の間で生まれる可能性は大きい。民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。…自分勝手に暴れた民兵たちが大量にアメリカ軍やイラク軍に殺されるのは目に見えている。
  3. シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安はあっという間に安定する。つまり、サドルの思惑はどうでも傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見えるのである。…勝ってる戦争なら予算を削ったりなど出来なくなる。そんなことをすればそれこそアメリカ市民の怒りを買うからだ。結果アメリカ軍は早期撤退どころか、イラクが完全に自治ができるまで長々と居座ることになるだろう。

自分では部下達に迫る米軍の圧力に抵抗せずにおとなしくしていろと命令しておいて、2月13日になるとサドルは直属の部下と家族をつれてイランへ遁走してしまった。これによってそれまでカカシがサドルはイランの飼い犬だという度に、そんな証拠はどこにあるのだといっていた人たちをだまらせることになった。
サドルの遁走がイラクに残された部下たちをかなり不安にさせたのは言うまでもないが、2月後半になるとサドルはシーア派民兵の神経を逆なでするような行為をいくつも企んだ。

私はシーア派への連続爆弾攻撃はサドルの仕業? まさかねでサドルが、自分の支持するダワ党のライバル党であるイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の有力者アデル・アブドゥール・マフディ副大統領を暗殺しようとしたのではないかと書いたが、サドルが抹殺しようとしているのはライバル党の政治家だけでなく、自分に忠実でないと思われるマフディ内部の幹部もその対象になっているようだ。

ご存じのようにサドルはイランあたりに隠れて影からイラクのマフディ軍に命令を下しているが、サドルは密かに信用できる幹部はイランなどの避難させ、気に入らない部下を連合軍に売り渡しているらしい。このやり方でサドルはすでに40人以上のマフディ幹部を中和してしまったという。

3月半ばになると私がした予測した通り、サドルシティのようなサドルシーア民兵の本拠地ですらも、シーア派市民がマフディ軍よりもアメリカ軍を信用し始め、市内警備に関する交渉を初めたりしていた。それに反感をもったマフディ軍の一部の過激派がアメリカ軍と交渉していたマフディ軍幹部の人間を暗殺するという事件が起きた。これも、マフディはギャングで正規軍ではないから簡単にコントロールなど出来ないだろうといっていた私の予測どおりの結果だった。
4月8日ナジャフにおいてこれまで米軍への潜伏作戦を呼びかけていたサドルは態度を一変させて反米デモ行進を呼びかけた。それというのも4月になるとサドルの無抵抗潜伏作戦が完全に裏目に出たことがサドルにもわかってきたからだ。

サドルの狙いに反してマリキ政権はシーア派取り締まりに真剣に取り組んだ。マフディ軍はバグダッド中心部から即座に追い出され南部へと追い込まれている。しかもバグダッドを退散した民兵たちはイラン国境近くのディワニヤ地域でアメリカ軍空軍による激しい攻撃を受けている。

また、…マフディ軍のなかにもイラク政府に本気で協力しようという勢力と断固協力できないという勢力との間で亀裂が生じてきている。ビル・ロジオのリポートによればイラク政府に協力する勢力はどんどん増えているという。
となってくるとサドルの潜伏作戦ではアメリカの新作戦が時間切れになる前にマフディ軍の勢力が大幅に弱体化し、アメリカ軍が去った後に戻ってくる場所がなくなってしまう危険性が大きくなったのだ。そこでサドルは今必死になって作戦変更。イラク軍にたいしてもマフディと戦わないでくれと嘆願書まで送り出す始末。

しかし数カ月前の2006年8月のデモ行進では少なくとも20万人を集めたサドルも、4月の行進に集まったのはたった5〜7千人程度だった。しかもサドルは何を恐れたのか自分が主催したデモ行進に顔もださず、集まった支持者たちをがっかりさせた。
自分がイラクにいないことで支持がどんどん下がっていくのを感じたサドルは5月に一時帰国している。しかしその結果がどうなったかカカシの7月11日付けのサドル、イランへ逃げ帰るを読んでみよう。

マリキ首相はサドルの期待に反して嫌々ながらも米軍とイラク軍のシーア派征伐に協力した。その結果バグダッド市内における宗派間争いによる大量殺人は40%以上も減り、マフディ軍はイランの援助を受けているにも関わらず、どんどん勢力を失いつつある。

あせったサドルは作戦を変えて米軍に対抗しろとイランから命令をだしたり、デモ行進を催したり、サドル派の政治家を政府から撤退させイラク政府に大打撃を与えようとしてたが、すべてが裏目にでた。
こうなったら自分から出ていってなんとか急激に衰える自分の人気を取り戻さねばとサドルはこの5月久しぶりにイラクに帰国した。帰国してからサドルは穏健派の国粋主義の指導者としての立場を確保しようとしたがこれもうまくいかず、切羽詰まったサドルはアンバー地区のスンニ派政党とまで手を結ぼうとしたがこれもだめ。マリキ政権からはすでに撤退してしまったことでもあり、サドルのイラクにおける勢力はほぼゼロとなった。
三度目の正直で7月5日にシーアの聖地アスカリア聖廟までデモ行進を行おうと支持者に呼びかけたが、参加者不足で立ち上がりすらできない。サドルはマリキ政府が十分な警備を保証してくれないという口実を使って行進を中止した。

すっかりイラクでの勢力を失ってしまったモクタダ・アル・サドルは最近なにをやっているのかというと、聖教者としては最高の資格であるアヤトラの資格をえるため受験勉強に励んでいるという話だ。以前にもイラク人のブロガーがサドルの話かたは非常に教養がなく、父親が有名なアヤトラでなければ誰も息子サドルのことなど相手にしなかっただろうと書いていた。サドル自身、今後シーア派のイラク人から尊敬をえるためにはやはりアヤトラの資格をとってハクをつける必要があると悟ったのだろう。
サドルの現在の肩書きは比較的低い位のhojat al-Islamだそうで、これだと部下たちは宗教的アドバイスをもっと位の高い聖教者からあおがなければならないのだという。だがもしサドルがアヤトラになれば、ファトワなどの命令を出すこともできるようになり、宗教的リーダーとしても権力を強めることになる、、というのがサドルの狙いである。
サドルのこの新しい作戦がうまくいくかどうかは分からないが、これまでにもサドルは何度もカムバックをしているので、ばかばかしいと一笑に付すわけにはいかない。だが、2007年において、アメリカ軍の新作戦に対抗しようとしたサドル派の潜伏作戦は完全に失敗した。サドルの行動はなにもかも裏目にでたのである。


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