イスラムの危機:近代化に失敗したイスラム諸国の悲劇

近代化に失敗したイスラム諸国の悲劇
この著書の一番大切な章はなんといっても第七章のA Failure of Modernity 「近代化の失敗」である。イスラム教諸国のほとんどの国が独裁政権下にありそれゆえに貧困に苦しんでいる。しかしこれらの国々の指導者達は自分らの無能な政策から目をそらすために、自分らが貧乏なのは欧米のグローバリゼーションのせいだといってまったく反省しない。政府経営のアラブメディアは必ずその最大の原因としてアメリカの経済進出を指摘する。しかしアメリカの経済進出がアラブ諸国の貧困の原因ならば、同じようにアメリカの経済進出を体験している極東アジアの経済発展の説明がつかない。
高い出生率に伴わない低い生産力が災いして若者の失業率はイスラム諸国では深刻な問題になっている。職にあぶれてすることのない欲求不満の若者が溢れる社会は非常に危険である。しかもイスラム諸国の若者は自由に女性とデートできないので、逆立った心を慰めてくれる人もいない。国連や世界銀行の調査ではアラブ諸国は、新しい職種、教育、技術、そして生産力などすべての面で西洋社会から遅れているだけでなく、西洋式近代化を受け入れた韓国や台湾、シンガポールといった極東アジア諸国からも遅れを取っている。
こうした比較調査におけるイスラム諸国の数値は悲劇的だ。一番高い順位を持つトルコでさえも6400万の人口で23位。人口がそれぞれ5百万のオーストラリアとデンマークの間である。次が人口2120万人のインドネシアが28位。人口450万のノルウェーの次だ。イスラム諸国の中での購買力はインドネシアが一番で15位。その次がトルコの19位である。アラブ諸国ではサウジアラビアが最上位で29位でエジプトが次ぎに続く。生活水準ではQatarが23位、United Arab Emiratesが25位、クエートが28位。
教養面でもイスラム諸国は非常に遅れている。世界の書籍の販売率で上位27位のうち、アメリカの最高位とベトナム27位の中にイスラム諸国は一国も含まれていない。国連の調査によるとアラブ諸国は毎年約330冊の外書を翻訳するが、これはギリシャの約五分の一だという。アラブ諸国が翻訳した書籍の数は9世紀から現代までなんとたったの10万冊。これはスペインが一年で翻訳する書籍数と同じである。
国民生産率GDPになってくるともうアラブ諸国は目も当てられない状態だ。1999年のアラブ諸国合計のGDPは5312億ドルだったが、この数はヨーロッパのどの一国のGDPよりも少ない。学問の上でも専門書の引用さえるような科学者はアラブ諸国からほとんど出ていない。
以前にエジプトの学生の書いていたブログで読んだことがあるのだが、毎年発表される世界中の大学の位置付けのなかで、アラブ諸国の大学がひとつも含まれていないことについて、アラブのメディアが良く文句を言っているが、アラブ諸国の大学からは優秀な学者が一人も出ていないのだから当然だというような内容だった。つまり、アラブ諸国に人々が自分達が西洋や極東からも遥かに遅れをとってしまったことを痛感しているのである。以前ならばこのようなことは知らずに済んだかもしれないが、今の情報社会、このような調査はすぐに世界中に広まる。多少なりとも学識のある人なら自分達がどれほど世界から遅れをとっているか感じないはずはない。
政治の近代化も同じく惨めな状態だ。いや、場合によってはもっとひどいかもしれないとルイス教授は語る。アラブ諸国はそれぞれ、それなりに民主主義のような政策を多かれ少なかれ取り入れてきた。イランやトルコのように内部の改革者によって試されたものもあれば、撤退した帝国によって押し付けられたものもある。しかしどれもこれもその結果は芳しくない。アラブ諸国でただ一つ一応機能した政策はナチスドイツやソ連をモデルにした一党独裁制のみである。フセインイラクやシリアのバース党がその名残といえる。
これではアラブ諸国の人々が近代化に希望を失うのは仕方ない。しかし問題なのは彼らが近代化をどのように間違って行ったのか、どうすれば正しい近代化を進めることが出来るのか、といった質問がされないことだ。彼らの答えは常に「近代化そのものが間違っているのだ。イスラム教の原点を忘れたことがいけなかったのだ。」となるのである。古いイスラム教のしきたりが近代化の妨げになっていないだろうか、などということは死んでも考えない。アラブ諸国の人々は自分達と外の世界の人々の間の溝がどんどん深まってきていることを意識している。そして自分達のみじめな生活環境への怒りは自然と自分達の指導者へと向けられる。そしてその怒りはそのリーダー達の地位を保ち続けている西洋社会へと向けられるのである。リーダー達が親米であればあるほど、市民の米国への反感は強まるのだ。
911の犯人達が、比較的親米な政権を持つサウジアラビアやエジプトの出身であるのも決して偶然ではない。無論正常な外交関係のある国からなら訪米ビサが取りやすいという理由もあるが。


Comment

イスラム教の危機:アメリカにまつわる歴史的誤解

アメリカにまつわる歴史的誤解
さてここで、アメリカとイスラム諸国との歴史で、一般的に誤解されているいくつかの点を上げてみたい。実は私自身も知らなかったことや不思議思っていたことが結構あったので、これは非常に興味深い部分だと思う。
先ず現在のイラン大統領、マフムッド・アクマディネジャドを含むイラン人学生がテヘランにあったアメリカ大使館を占拠し、警備員や職員を数名殺した後、残りの50余名を444日も拘束したあの事件だが、これはイランの宗教革命後アメリカと新イラン政府との間が険悪になっていたことの現れであるとされているが、実はそれはまったく逆であるとルイス教授は語る。
この話の発端は、1953年当時のモサデック政権にさかのぼる。当時国民から厚く支持のあったモサデック政権は石油利権を国営化しようと試みていた。無論そうなれば外資系の投資会社はすべて締め出されることになる。しかもソ連がモサデック政権に強く肩入れしてきていることもあって、英米が共謀してシャー国王の承認を得てモサデック政権を倒すべくクーデーターを企てたとされている。しかしクーデターは失敗に終わり、シャー国王は国外へ逃亡した。しかしその後何故か世論はモサデック政権よりもシャーを支持するように変化、特に軍隊がシャーを支持したため、モサデック政権はザヘディ政権に取って代わられ、シャーは英雄として帰還した。
しかしイスラム過激派はシャーをアメリカの傀儡と考え、シャーの世俗的な政治は西洋の腐敗した文化でイランを汚染しているとし、亡命中のアヤトラ・ホメイニを中心としてイランで宗教革命を起こした。ルイス教授は指摘していないが、このとき民主党のカーター大統領はイランのシャー政権がどれほどアメリカにとって大事であるかをきちんと把握していなかった。リベラルな生半可な正義感を持ったカーター大統領は、先代のイラン内政干渉に批判的でイランに潜入していたアメリカの諜報部員らをすべて引き上げさせた。そのおかげでCIAもカーター政権も1979年にホメイニの宗教革命がイランでくすぶり始めていることを察知できず、起きたときは寝耳に水という無様な結果となったのである。
カーター政権はアメリカが後押しをしたシャー国王を見捨て、シャーをアメリカへ亡命させることさせ許さなかった。アメリカは利用できるときだけ利用して、価値がなくなると簡単に見捨てるという評判が立ったのもこのことが大きな原因となっている。これは敵側に怒りと軽蔑を沸き立たせる「危険なコンビネーション」だとルイス教授は語る。
さて話を元に戻すが、ルイス教授が1979年の11月にイスラム教過激派の学生達がアメリカ大使館を占拠した理由はアメリカとイランの関係が険悪していたからではなく、良くなっていたからなのだとする理由は、当時の人質の話しや選挙した学生の供述などから次のことが明らかになったからである。実は1979年の秋、比較的穏健なイランのMehdi Bazargan首相がアルジェリア政府を仲介にしてアメリカのセキュリティアドバイザーと会見した。その時二人が握手しているところが写真に撮られているという話だ。もしこれが事実だとすれば、過激派にとっては危険な状態である。せっかくアメリカの傀儡政府であったシャーの王権を倒したにもかかわらず原理にもどるはずの宗教革命後の政権が再び偉大なる悪魔と手を結ぶなどと言うことは許されてはならない。というわけで学生達はアメリカ大使館を占拠することによって、アメリカをイランから追い出し、今後のイランとアメリカの外交を不可能にしようとしたのである。そしてこの作戦は成功した。アメリカはイランから引き上げ、28年たった今だに正式な外交は行われていない。
ところで、アメリカ大使たちを長期にわたって拘束した学生達は、当初、拘束はほんの数日の予定だったのだという。その計画が変わったのは、カーター大統領によるイランへの直接的な報復はありえないということが、弱腰なカーターの嘆願声明によって明らかになったからだと言う。ここでもカーターのリベラル政策によってアメリカは敵に侮られたと言うわけだ。あの時もしもカーター大統領が人質を即座に返さなければ軍事攻撃もありえるとひとつ脅しでもかけていれば、人質はすぐにでも帰ってきたのかと思うと、まったく忌々しいったらない。カーター大統領が共和党のレーガン大統領に大敗した後人質が返された理由は、レーガン大統領になったらアメリカの政策が変わるかもしれないとイラン側が恐れたからだと言う。
相手にいい顔を見せれば解ってもらえるなどと言う甘い考えがイスラム過激派にどれだけ通用しないかをアメリカ人はここで学ぶべきだった。しかし911以後のアメリカでもまだ「話せば解る」などといってる甘い人間がいるのだからあきれる。
敵に甘いという話なら、湾岸戦争の頃から私が常に疑問に思っていたこととして、パパブッシュ(第41代アメリカ大統領)がフセイン政権を倒さなかったことがある。あの時フセインをあそこまで追い詰めておきながら、何故バグダッドまで侵攻してフセイン政権を倒さなかったのか。なぜフセイン政権に反発していたクルド族やシーア派の反乱分子をけしかけておきながら、土壇場になって彼ら見捨て、我々の目の前で彼らが無残にもフセインに虐殺されていくのを見殺しにしたのか、私にはまったく理解できなかった。

(アメリカの)この行動、というよりむしろ無行動、の背後にあるものを見るのはそれほど難しくない。勝利を得た湾岸戦争同盟軍がイラク政府の変革を望んでいたことは間違いない。しかし彼らが望んでいたのはクーデターであり、本格的な革命ではなかった。本物の人民蜂起は危険だ。それは予測できない無政府状態を起こす可能性がある。それが民主的な国家となるという我々のアラブ「同盟国」にとっては危険な状態になりかねない。クーデターなら結果は予測がつくし都合がいい。フセインに代わってもっと扱いやすい独裁者が、連合国のひとつとして位置してもらうことが出来るからだ。

イラク戦争後の復興でイラクが混乱状態になったことを考えると、当時の政治家達の懸念は決して被害妄想ではなかったことが解る。だがどんな独裁者であろうと自分らの都合の良い政権を支持するという方針はこれまでにもことごとく失敗してきた。湾岸戦争で大敗し弱体したはずのフセインは、政権を倒されなかったことを自慢して偉大なる悪魔にひとりで立ち向かって勝利を得たと近隣諸国に吹聴してまわった。フセインをハナであしらえると思ったアメリカは完全に馬鹿をみた。だいたい傀儡政権ほどあてにならない政権は無い。傀儡政府が独裁者なら耐え切れなくなった市民によって倒される危険があるし、また政権自体が常に我々の敵と裏工作をして寝返る企みをし、我々の隙を狙っては攻撃する用意を整えているからだ。表向きは都合のいいことをいいながら、裏でテロリストと手を組んでアメリカ打倒を企だてていたフセインはその典型だ。傀儡政権ではないが、独裁政権ということで、私はサウジアラビアもパキスタンも信用していない。
パパブッシュの息子ジョージ・W・ブッシュが、イラクの政権交代を強行しイラクに民主主義の国家を設立すると宣言したのも過去の過ちから学んだからである。イラク戦争においても、フセインを別の独裁者と挿げ替えて、傀儡政権を通してイラクを統治してしまえばいいという考えが保守派の間ではあった。また、イラク戦争はイラクの石油乗っ取りが目的だったという反戦派もいた。だが、ブッシュ大統領は、これまでアメリカに好意的だというだけで我々が悪徳な独裁者に目を瞑ってきたことがどれだけ間違いであったか、今後平和な世界を作り出そうと思ったら世界中に本当の意味での民主主義を広めなければならない、と語ったことは本心だった。だからこそイラクで主な戦闘が終わった時点ですでに存在していたイラク軍や警察やバース党をそのままにして頭だけ挿げ替えるという簡単な方針を取らずに、民主主義国家設立のために大変で面倒くさいことを一からやり始めたのである。今は確かに苦労するが、長い目でみたらこれが一番確実なやり方だからだ。
我々がイラクを攻めなければならなかったもうひとつの理由は、長年にわたるカーター(民主)、レーガン(共和)、クリントン(民主)の中東政策により、イスラム諸国では「アメリカは戦わない」という強い印象を打ち砕くためである。湾岸戦争を率いたパパブッシュ大統領(共和)でさえ、圧倒的戦力を有しながら根性がなかったおかげでフセイン政権を倒すことが出来なかったと歴史は書き換えられてしまったのだ。イスラム過激派に慈悲など通用しない。こちらの戦争へのためらいは単なる弱さと解釈されるだけだ。ビンラデンが911攻撃を計画した理由として、カーターの大使館占拠に対する無報復、レーガンのレバノン海兵隊宿舎爆破事件後のレバノン撤退、クリントンのブラックホークダウン後のサマリア撤退、を挙げて、「アメリカに戦う意志はない」と判断したことを挙げている。下記は1998年にビンラデンがABCニュースのインタビューでその本心を明かしたものである。

我々は過去10年間に渡りアメリカ政府が衰退し、アメリカ兵士が弱体化するのを見てきた。冷戦に対応する準備は出来ていても長い戦いへの用意は出来ていない。また彼らがたった24時間で遁走できることも証明された。これはサマリアでも繰り返された。我らの若者はたった数発の打撃で負かされて逃げ帰った(アメリカ兵)に呆れた。アメリカは世界のリーダーたるもの、新しい世界のリーダーであることを忘れてしまっている。彼らは彼らの遺体を引きずりながら恥かしくも退散したのである。

次回へ続く。


View comments (3)

イスラムの危機:アメリカが「偉大なる悪魔」といわれる理由

引き続き、バーナード・ルイス著の「イスラムの危機」について話をしよう。
アメリカが「偉大なる悪魔」といわれる理由
よくイランの大統領をはじめ、イスラム過激派の連中はアメリカのことを「偉大なる悪魔」と言って忌み嫌う。歴史的にみて、別にアメリカはイスラム教諸国の伝統的な敵というわけではない。アルカエダが好んで我々を呼ぶ「十字軍」も正しくはヨーロッパのキリスト教徒であり、アメリカが生まれるずっと以前の歴史であるし、スペインからムーアが追い出されたことにしても、オトマン帝国の衰退にしても、トルコをはじめ中東を牛耳っていたのはイギリスやフランスであり、アメリカは無関係だ。イスラエル建国の経過にしたところで、アメリカ政府はまったく関知していなかったばかりでなく、建国後のイスラエルとの外交にも非常に消極的だった。イスラエルがアラブ諸国から攻められたときはイスラエルへの武器輸出を禁止したりしていたくらいである。
アメリカはイスラム教にとって敵であるどころか、サウジアラビアやクエートを世俗主義のサダム・フセインの手から救ったこともあるし、キリスト教のサルビアからイスラム教のアルベニアを守ったこともあるではないか?何故そのような善行はまったく感謝されるどころか認識すらされず、他の西洋諸国の過去の行いの責任を何故まだ建国もされていなかったアメリカにおしつけられるのであろうか?
ルイス教授は実はこの反米意識ははじめはドイツ、そして後にソ連によって広められた意図的な意識であったことを指摘する。先ず1930年代のRainer Maria Rilke, Oswarld Spengler, Ernst Junger, Martin Heideggerといったドイツのインテリ作家たちによる歪んだアメリカ像が当時のアラブのインテリを感化した。無論ナチスの思想はシリアのバース党といったファシスト達の間で人気を呼んだ。ドイツはイラクに親ナチスの政権を作ろうと努力していた時期もあったほどだ。イラクやシリアのバース党の基盤はこの頃に始まる。当時ドイツの思想家たちが広めた「アメリカには独自の文化がない何もかも人工的だ」という思想はいまだにバース党の間ではよく口にされる。
ナチスドイツが滅びた後、反米思想を取って代わったのはソ連である。ソ連は決してアラブの友人ではない。だが何故かソ連が親共産主義の政権を作ろうと広めた反米プロパガンダだけはソ連が滅んだ後も根強くアラブ諸国に残ったのである。
無論アメリカにまったくなんの責めもないのかといえばそうとは言えない。1970年代から冷戦が終わった1990年初期に至るまで、アメリカの方針はソ連牽制優先だった。だからソ連に敵対している国であれば、その国がどのような独裁者によって支配されていようともアメリカは協力関係にあった。そのいい例が革命戦争以前のシャー国王であり、イラク・イラン戦争当時のサダム・フセイン大統領である。小さいところではフィリピンのマルコスやパナマのノリエガなどがある。今となれば、この方針は大失敗だった。
イスラム教徒が近代化を拒む理由のひとつに、イスラム教諸国を支配した世俗主義の独裁政権がある。これらの独裁政権は近代化と世俗主義をうたい文句に国民を弾圧した。アメリカ及び西側諸国は彼らが共産主義ではないというだけで援助したため、イスラム諸国の人々にしてみれば、アメリカこそが極悪な独裁政権の大本なのであり、近代化こそが自分らの不幸の原因なのだと考えたとしても理解できないことはない。このことについてはまた後ほど詳しく話したい。
しかしなんといってもイスラム教過激派がアメリカを嫌う一番の理由はアメリカ人が生活の根本として持っている西洋文化そのものであり、それのもたらすイスラム教への脅威なのだ。よく、ミスター苺はアメリカの文化はボーグ文化だという。ボーグとはスタートレックというアメリカの人気テレビSF番組の中に出てくる宇宙人だが、彼らはどのような星も征服し、その星の星人を身も心もすべてその共同体に取り入れて融合してしまう力を持つ。彼らの口癖は「抵抗は無駄だ。融合せよ」。アメリカの文化とはいい意味で多文化を融合して、より強くなっていく文化である。アメリカが熔解の鍋と言われる所以だ。この文化に感化されると、元の文化はもとの姿を保つことが出来ず、必ずアメリカ化してしまう。それほど誘惑的な力を持つのである。まさに「抵抗は無駄」なのである。
イスラム教過激派達はそのアメリカ文化の脅威を正確に理解しているのだ。一旦アメリカ文化に染まれば、彼らの求める回教の支配する世界など望めない。だからこそ彼らはアメリカを憎むのである。アメリカがアメリカであること、それが彼らにとって最大の脅威なのである。
次回に続く。


Comment

イスラム教の危機:西洋は神の敵という概念

また一週間ほどネットアクセス不能になるので、今回は中東文化研究では第一人者として知られるバーナード・ルイス教授著のThe Crisis of Islam 「イスラムの危機」を特集したいと思う。
ルイス教授は以前にもWhat Went Wrong?「なにがいけなかったのか」という著書のなかで、一時期は飛ぶ鳥を落とすような勢いで文明の最先端を行き、他宗教にも比較的寛容で、軍事力も圧倒的勢力を誇っていたイスラム文化が、なぜ欧州に追い抜かれ衰退の憂き目を見たのかをつづっていた。今回の「イスラムの危機」はその続編ともいうべきもので、イスラム社会が押し寄せる近代化の波に巻き込まれ、近代化への失敗に失敗を重ねた末、その葛藤の苦しみに耐え切れず近代化を拒絶し、近代化をもたらした西洋諸国(特にアメリカ)を敵視するようになった経過が説明されている。
西洋は神の敵という概念
911が起きたとき、私は無論アメリカによるアフガニスタン攻撃を支持した。なぜならば、911直後のアルカエダの親玉であるオサマ・ビンラデンのスピーチを聞き、彼らは私たちが私たちであること自体が許せないのだということを知ったからだ。そのような敵とは交渉の余地はない。そのような敵とは滅ぼすか滅ぼされるかの二つに一つしかないからである。ルイス教授もイスラム社会の西洋に対する敵意は単に特定の国が特定の行為をしたというようなことに限らないという。

この憎しみは特定の興味や行為や政策や国々への敵意を越えたものであり、西洋文化への拒絶につながる。この拒絶は西洋文化がしたことへの拒絶と言うよりもそのような言動をもたらす西洋文化の価値観そのものへの拒絶なのである。このような価値観はまさに生来の悪とみなされそれを促進するものたちは「神の敵」であると考えられるのだ。

この神に敵がいて、信者が神の手助けをしてその敵を排除しなければならないという考え方は、イスラム教徒以外の現代人には、それが仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと世俗主義者であろうと、不思議な概念である。しかしオサマ・ビンラデンのみならずイスラム教過激派はイランの大統領をはじめ常に「西洋社会は神の敵」というテーマを繰り返している。
もともとイスラム教創設者のモハメッドは宣教師であるだけでなく、統治者であり戦士であった。イスラム教は戦争によって他宗教を打ち倒すことによって創設された宗教といってもいい。だからモハメッドの軍隊は神の軍隊なのであり、モハメッドの敵は神の敵というわけだ。
となってくると西洋社会に自然と沸く疑問は「イスラム教は西側の敵なのか?」ということになる。以前に私はロバート・スペンサーの著書を紹介したときに何度も西側諸国はイスラム教を敵に回してはならないと主張した。だがもしイスラム教徒自体が西側の文化そのものを「神の敵」とみなしているとしたら、我々は彼らを敵に回さないわけにはいかないのではないだろうか?一部のイスラム教徒を味方にしてテロリストとだけ戦うということは可能なのだろうか?
ルイス教授はイスラム教は西洋の敵ではないと言い切る。ソ連亡き後、世界を脅かす危険な勢力としてイスラム教が台頭したという考えも、西側諸国のこれまでの悪行に耐え切れずに善良なイスラム教徒らは止む終えず西洋の敵に回ったのだという考えも、その要素に多少の真実があるとはいえ危険なほど間違った考えだと教授は言う。


View comment

イランの隠し兵器、テロリスト

アルカエダはアメリカ軍の激しい攻撃のおかげで(NATO及びイラク軍の活躍も忘れてはならないが)その勢力は衰退しつつある。しかし現社会にはびこるテロリストはアルカエダだけではない。レバノンで反対政党の政治家をどんどん暗殺しているシリア攻撃犬ヒズボラは去年のイスラエルの攻撃にもかかわらずその勢力は増すばかりである。もしもアメリカがイランと本気でやりあうつもりなら、ヒズボラの脅威を充分に念頭に入れておく必要があると、ベルモントクラブのレチャードは警告する。
イランが面と向かってアメリカと戦争をやるとなったら勝ち目はないが、イランがヒズボラのような手先を使って世界中のアメリカ関係の施設を攻撃するというやり方にはかなり効果があるだろう。イランにはヒズボラのほかにも諜報と警備担当の省Ministry of Intelligence and Security (MOIS) 、イスラミック革命団Islamic Revolutionary Guard Corps (IRGC)、クォッズを含む特別部隊などがある。
無論アメリカの民主党はイランとの戦争は絶対にやってはいけないと言い張る。しかし最初から武力行使はありえないと宣言することほど愚かなことはない。イランの学生が1979年にアメリカ大使館を占拠し人質を444日間も拘束したというのも、アメリカから何の報復もなかったからだと後で誘拐犯の学生達が白状しているくらいだ。
イランはアメリカと対等に外交などする気は毛頭ない。アメリカが武力で脅かしてこそイランは交渉の座に付くのだ。アメリカが外交優先で武力行使をほのめかさなければ、経済制裁の復讐としてイランおかかえのテロリストたちが欧米で暴れまくるのは火を見るより明らかである。


Comment