今月からネットアクセス不能になる日が度々あるので、例によって興味深い話題をいくつか特集してみたいと思う。
今回は歴史学者のビクター・デイビス・ハンソン(Victor Davis Hanson)教授の「なぜ戦を学ぶのか?」(Why Study War?)という論文を数回に分けて紹介しながら私の意見なども混ぜて皆様と一緒に考えてみたい。
戦争の歴史に興味がない歴史学者たち
ハンソン教授はアメリカの大学生にテット攻勢(注1)はアメリカ軍の大勝利だったなどという話をすると、激しい反論にあうのではなく、皆ポカーンとした顔をしていると言う。「テット攻勢?何それ?」てなもんである。またつい最近に公開された「300」という映画の元となったテルモピュライの戦いになってくると、この300人の話など聞いたことがないだけでなく、ペルシャ戦争そのものに関してすら全く知識がない人がいかに多いかを知ってがっかりしたと書いている。
ま、テット攻勢は当たり前だが、カカシはスパルタの軍隊やペルシャ戦争については多少の知識はあったとはいうものの、正直な話テルモピュライの戦いについてはスティーブン・プレスフィールドの炎の門を読むまではほとんど何も知らなかった。
しかしハンソン教授はアメリカの教育システムを考えれば、一般のアメリカ市民が軍事的な知識に欠ているのも無理のない話だという。

私が大学院に通っていた30年前ですらも、どうして一方が勝ち他方が負けるのか、長官や愚かな指揮官、技術の停滞や発展、そして教育や勇気や国民の意志や文化といったものが戦争の勝ち負けにどういう影響をもたらすのかといったことを調べる学問であると一般的に理解されている軍事歴史というものはすでに大学では時代遅れとみなされていた。今日の大学ではこの主題はもっと人気がない。

この状態は非常に嘆かわしいことである。民主主義社会の市民は戦争知識を持つことが必要だ。特にこの大量破壊兵器の時代ではなおさらである。

教授はもともと軍事歴史の専門家ではなく、スタンフォード大学で博士号を取る主題に古代ギリシャにおいてペロポネシア戦争中にスパルタ軍が行ったアテネ攻撃のもたらした農業への悪影響を選んだのがきっかけだったという。
しかし農業と戦争が古代ギリシャの特徴であるにも関わらず、大学側の態度は冷たかった。古代ギリシャの哲学者や作家や政治家に興味のある歴史家はもうほとんどいなかった。19世紀に書かれたスパルタ兵の構成やギリシャ兵法などの古代戦争に関する数々の歴史書など誰も読んでいない。『まるでアメリカの大学は歴史そのものの始まりが古代ギリシャの歴史家であるHerodotus と Thucydidesが書いた戦記だったということを忘れてしまったかのようだった。』と教授は語る。
どうしてアメリカのアカデミックは戦争に対する興味を失ってしまったのであろうか?この背景には何があるのだろうか? まず明かな理由はベトナム戦争だ。カーター大統領の時代のアメリカではベトナム戦争は最初からやるべきではない戦争でアメリカの大敗に終わった二度と繰り返してはならない悲劇だったという考えが一般的だ。 本来ならば、どうしてこのような戦争が始まったのか、どうして負けたのかということを研究すべきなのだが、教育界の姿勢はそういう不愉快な歴史は最初から勉強すべきではないというものだったのだ。
二つの世界大戦後に発明された核兵器も軍事歴史への興味を失わせた原因のひとつだ。ボタン一つで世界が滅びるような時代に過去の軍事歴史など学んでもあまり役に立ちそうもないという議論が平気でされた。
また1960年代に生まれた理想的で非現実的な世界観の影響も忘れてはならない。これは戦争が起きるのはお互いの誤解から生じるものであり、片方の恐怖やプライド物欲によって始まるとか、ましてや単に世の中には意味もなく戦争をはじめる悪いやつがいて、善人が何もしないことで戦争は激化するなどといった考えは人間性を理解していない証拠だという世界観である。
現在の教育界における軍事歴史への無関心はもっとひどい。今や軍事歴史を専門に研究したり教えたりしている教授の数は数えるほどしかいない。2004年に退役軍人から教授となったウィスコンシン大学のエドワード・コフマン教授によれば、同大学で歴史を教えている1000人の教授のうち軍事歴史を専門にしていたのはたった21人だったという。さらに戦争を専門にしている学者は同僚から疑いの目でみられているという。
歴史を教える立場の大学がこれでは学生がきちんとした歴史を学べるはずがない。日本の若い人たちの第二次世界大戦に関する知識を考えると、日本の大学も多分同じようなものなのだろう。戦前の日本が民主主義だったなどと平気で言う人が多いのも明治維新から始まった日本の軍国主義の歴史を全く知らないことからくるものだ。日本はヨーロッパ諸国の帝国主義が弱まってきた頃、自分達も帝国主義に遅蒔きながら参加しようと富国強兵に励んだ。日本の近代歴史は軍国主義の台頭を無視しては語れないはずなのである。
にも関わらず、民主主義で平和に暮らしていた日本にアメリカが突然攻めてきたとでもいうようなことを言い出す日本の若者をみると、日本もアメリカも軍事歴史を正しく教える必要性を切に感じる。
注1:テット攻勢とは (1968年、1月30日 – 1969年6月8日)ベトナム戦争中におきた連続攻撃作戦のことで、南ベトナム解放戦線(ベトコン)の強力な数部隊と北ベトナム軍(PAVN)の部隊が南ベトナム軍とアメリカ軍に対して計画的一斉に行った攻撃だった。(略)攻勢は旧正月の祝いのなかで輝かしくはじまり、1969年の6月まであちこちで分散的に続いた。


1 response to なぜ戦を学ぶのか?  その1

In the Strawberry Field15 years ago

オバマ大統領就任たった二週間で犯した失態の数々

カカシもこのブログで何度か取り上げた歴史学者のビクター・デイビス・ハンソン教授が、オバマの大統領就任二週間をふりかえって痛烈な批判をしている。 オバマの経済や外交対策の失態をみるにつけ「だから言ったじゃないの」と言いたくなるのはやまやまなのだがアメリカの国土安全を考えたら、そんなことをいってるばやいじゃないのである。オバマのせいでアメリカが危機にさらされて困るのはアメリカに済む我々なのだから! では今回はこの二週間でオバマの経験不足が災いして、彼がどんなに悲劇的な失態を犯してしまったかを説明しよう。…

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