日本では21日公開のハリー・ポッターの新作映画ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(Harry Potter and the Order of the phoenix)。リンク先であらすじや配役、写真集、予告編など詳しい情報が読めるのでご参照頂きたい。
今回のハリー・ポッターを観ていてその根底に流れる強い正義感を感じた人は私だけではないだろう。J.K.ローリング著の同名の原作から映画化されたハリーポッターの新作が、いわんとすることは明白だ。
『この世には交渉不可能な絶対的な悪が存在する、敵が恐いからといって頭を穴に突っ込み相手の存在さえ認めなければ敵がいつの間にかいなくなってくれるなどという考えは甘い、その悪に滅ぼされないためには勇気を持って立ち向かわなければならない、もし誰もその戦いに協力してくれなかったら、自分ひとりでも戦わねばならない、なぜならこの世には命をかけて守る価値のあるものが存在するからだ』
私はこの映画を見ていて、イスラム教過激派という悪と戦う自由主義諸国という現在の状況を比較せずにいられなかった。ローリング女史がどのような政治思想を持つのか私は知らないが、911事件後に書かれたこの著書にあの事件が全く影響を受けていないと考えるのはナイーブすぎるだろう。
ヴォルデモートという凶悪な魔法使いの帰還を訴えるハリーやホグワーツ校の校長アルバス・ダンブルドアに魔法省のお偉方が全く耳を傾けない様子や、それどころか警鐘を鳴らすハリー達こそが問題であるかのように扱い、平穏を守るためとハリーたちを沈黙させようとさえする魔法省のお役人を観ていると、イスラム過激派という邪悪な敵の脅威を全く認めようとせず、戦いは必要だと訴えたアメリカ政府やイギリス政府をせせら笑っていたフランス並びに国連を思い出さずにはいられない。
本来ならば、善である魔法使い達が力を合わせて悪であるヴォルデモートとその一味と戦わねばならないはずである。着々と力をつけているヴォルデモートらを相手に一刻の猶予も許されない時に、魔法省は内部で勢力争いに明け暮れている。特に大臣のコーネリアス・ファッジはヴォルデモートを恐れるあまりその再来すらも認めようとしない。魔法省の腰抜けお役人たちはヴォルデモートの名前さえ口にしない。あたかも声に出していわなければその存在がかき消されるかのように。このような姿勢はブッシュ大統領について『ブッシュはテロリストの脅威を誇張して無益な戦争に国民を巻き込もうとしている』と言ってアルカエダの存在さえ認めようとしないアメリカ国内の民主党議員たちや反戦派の市民団体の姿とだぶってしまう。
魔法省から派遣されてきた新しい教授ローレンス・アンブリッジ女史は次期魔法省大臣の座を狙っている。アンブリッジ女史は次期アメリカ大統領有力候補ヒラリー・クリントンさながらの暴君である。アンブリッジ教授は生徒たちの教育など全く興味がない。魔法会での自分の勢力を強化するためにホグワーツの学長という立場を利用することができれば、魔法会がヴォルデモートの脅威にさらされて破壊の危機に陥ることすら価値ある犠牲と考えるような魔女である。民主党が自分らの国内での勢力強化のために勝てる可能性のあるイラク戦争に必死に負けようとしているのと全く同じだ。
私が心を打たれのは、このような逆境にあって勇気を捨てないハリー・ポッターと彼の正義を信じて疑わないハーマイオニーやロンたちの友情だ。大人たちから平穏を乱すとして厳しい処罰を受ける危険を知りながら、あえて三人は悪の軍団ヴォルデモートと戦うべく生徒たちのなかから戦士をつのりはじめる。悪は相手が子供だからと手加減などしてくれない。大人が頼りにならないなら自分達だけでも戦おう、敵が攻めてくるのをのんびり待っているわけにはいかないのだというハリー達の勇気には感動させられる。
多様文化主義の台頭で、伝統的な価値観がどんどん失われていく中、子供向けの小説、そして映画となったハリー・ポッターが、全世界の子供たちの間で大人気を呼んでいるというのはすばらしいことだと思う。子供たちに必要なのは政治的に正しい大人たちの下らない三流心理学や思想ではない。子供たちにとって必要なのは、いつの世にも悪と善が存在する、そして善を悪による攻撃から守るために、人々は勇気を持って戦わねばならないということを知ることだ。
世界中の子供たちがこの映画からその道徳を学んでくれたとしたらこれほどすばらしいことはない。


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