月曜日はアメリカはメモリアルデーといって戦没者を追悼する日である。そこで英霊の勇気を讃えるため、最近読んだエリザベス・カンター文学教授著のThe Politically Incorrect Guide to English and American Literature(政治的に正しくない英米文学へのガイド)を参考に英雄とその自己犠牲について書いてみたい。
911事件の直後、アリゾナカーディナルスというフットボールチームで活躍していたパット・ティルマン選手は年俸360万ドルの契約を蹴って持ち前の天才的運動神経を活用し陸軍特別部隊に志願した。2004年5月22日、ティルマン氏はアフガニスタンの戦闘でフレンドリーファイアー(味方の弾)に当たって戦死した。
五か月後、ティルマン氏の母校アリゾナ州立大学の助教授はティルマンの死は恥だという内容の詩を発表した。「フレンドリーファイアー」という題名の詩はあたかもティルマン氏の声でもあるかのように、こういう感じで始まる。

私の死は悲劇だ

私の栄光は短命だった

我が身と、我が国と、対テロ戦争という

誤った見解がもたらした

悲劇的な最後を遂げた我が人生

ティルマン本人が聞いたらさぞかし怒るような侮辱的な詩だ。しかし兵士が見方の弾に当たって死んだら、兵士の死は無駄死にだったのだろうか?英雄の勇気は無意味なものになってしまうのだろうか?カンター教授はそうではないと主張する。
10世紀の終わり頃バイキングの船がイギリスのサセックス沿岸を攻撃した時のマルドンの戦いの模様を描いた著者不明の詩がある。この詩のさびの部分と終わりは紛失しており真ん中の部分しか残っていないが詩は明かに敗北したイギリス側の悲劇的な最後を描いたものだ。
戦いは若い兵士が自分の愛馬を放つところから始まる。イギリス軍は徒歩で戦かったため馬は邪魔になったからだが、戦いのために愛馬を放つ犠牲を払うこの青年の心意気は疑う余地はない。
バイキングはイギリスが貢ぎ物を支払いさえすれば戦わずに見逃してやると提案するが、イギリス側の司令官はこれを拒絶。戦争の体制に入る。しかしこの司令官は突撃のタイミングを逃し、しかもバイキングが狭い水路を通り過ぎるのを待ってイギリス本土に上陸するのを待つという決定的な間違いをおかしてしまう。水路での攻撃は紳士としてのプライドが許さないというつまらない動機が災いした。
戦いは圧倒的にバイキングに有利となり、味方からも脱走兵がでるなどひどい状態になった。当時のイギリス王は「不準備のエセルレッド」と呼ばれるほど不能な王として悪名高い。このような不能な指揮官をもって戦わされた騎士らはいい迷惑である。その事実を認めながら、いにしえの詩人は王とそして祖国に忠誠を尽くして果てた英霊を蔑まない。それどころか騎士らの勇敢さと彼等が払った犠牲に大いなる敬意を評している。詩人は決して盲目的な忠誠心をたたえているのではない。詩人は苦境に立たされたときこそ英雄の勇気が試されるのだということを承知の上で、その勇気を讃えているのである。英雄の勇気は司令官の不能さや仲間の臆病な行為によって過小評価されるべきではない。たとえ回りの環境がどのようなものであったとしても、英雄が払った犠牲もその勇気が価値あるものであることに変わりはないのだ。
ティルマン兵長は自分のプロフットボール選手としてのキャリアを犠牲にして、愛する祖国のために戦った。例えその死が味方による誤射によるものだったとしても、彼の勇気と忠誠と愛国心に変わりはない。彼の死は無意味ではない。千年前のアングロサクソンの詩人には現在の英文学大学教授が分からないことがきちんと理解できていたのである。
歴代の戦争で尊い命を亡くした英霊に追悼の意を表します。安らかに眠りたまえ!


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