アメリカやオーストラリアでは同じ文化を受け継ぐものとして、今回のイギリス兵捕虜の無様な姿には少なからずショックを受けている。戦時中捕虜になった軍人や民間人はアメリカには多くいるので、彼等は決して何の経験もないのに口先だけでイギリス兵を批判しているわけではない。そこで今日は人質としてとらわれの身となったアメリカ人の例をいくつかあげて、彼等がどのように人間としての威厳を守りとおしたか考えてみたい。
1975年イランはテヘランにあるアメリカ大使館が当時大学生だった現在の大統領アハマディネジャドを含む過激派学生たちによって襲撃された。当時の襲撃で何人かが殺された後、外交官や職員といった民間人と軍人を含む53人が444日間イラン政府に拘束された。
下記はパワーラインを参考にした:

人質たちは目隠しをされ後ろ手に縛られ独房に入れられた。彼等は「自白状」に署名をしろといわれ拒絶すれば殴られ、食事を拒否され、偽処刑を何度も体験した。
ジョン・リンバートさんはペルシャ語の堪能な外交官だった。彼はテヘランから200マイルほどの場所で独房に入れられており、ほかの人質がどうなったのか全く分からなかった。ある時英語を教えていたイラン看守がこれはどういう意味かとリンバートさんに聞いてきたいくつかの言葉をみてみると、、「ぼろ布頭」「ぼけなす」「*母を犯す物*」「おカマ野郎」といった言葉が並んでいたという。リンバートさんは大笑い。どこか近くにアメリカ海兵隊員が自分と同じように耐えているのだと思うと心があたたまる思いだったとリンバートさんは後に語っている。
マイク・ホーランドさんはペルシャ語堪能な警備員だった。彼は素っ裸で歩き回って看守を常に侮辱した。また救援がくると信じたホーランドさんは看守の銃に細工をしたりした。
マイケル・メトリンコさんは、平和隊でボランティア活動をしたこともあるタフな外交官。ペルシャ文化に精通していた知識をつかってメトリンコさんは何かと看守や尋問者に議論を吹っかけ精神的な抵抗をし続けた。イラン人にしか分からないような腹立たしい罵倒をするのでその度に殴られた。一度は自分のイラン人の友達が尋問を受けている最中に尋問者にけんかをふっかけ友達のかわりに殴られたりした。この抵抗精神は最後まで変わらず解放される日に輸送バスの中で兵士の母親の悪口をいってバスから引きすりおろされあやうく解放されないところだった。しかし土壇場でイラン高官が間にはいりメトリンコさんはドイツ行きの飛行機にのることができた。メトリンコさんはイランを愛するが故、過激派独裁者が許せなかったという。

下記はIMAOに寄せられた同じくイランのアメリカ大使館で人質となった海兵隊員の話を要約した。

大使館を警備していた海兵隊は1000:1で圧倒的に劣勢だった。しかし隊員たちは秘密書類や重要な器具を破壊するため12時間部屋に立て籠った。
最初に連行された時隊員たちはアメリカのイラン政策を批難する声明文に署名をさせられたが、皆「ミッキーマウス」とか海兵隊英雄の「チェスティー・プラー」「ダン・デイリー」などという名前で署名した。
イラン側はプロパガンダとして隊員たちを何度もフィルムに撮ったが、著者は常にほかの人質の影に隠れて顔を隠していたいため、そのうちアメリカでは彼は行方不明ということになってしまったという。他の隊員は裸になったり顔にケチャップをつけたりして撮影を妨害したという。
解放の前日、著者らは再び尋問され、いわれた通りの宣言をしないなら解放されないとおどかされたが、隊員たちは黙ったままだったり、海兵隊の歌や聖歌を歌ったりして全く協力しなかった。
「解放の日、おれは飛行機に向かって二匹の猿たちに連行された。おれは奴らの手から腕を振払ってアメリカはナンバー1だ!と指を立ててやった。間違った指だけど、、、」
隊員らは殴る蹴るはもちろんのこと偽処刑などの精神的拷問を何度も受けた。「おまけにアムネスティーインターナショナルのバカが時々おれたちがどれだけ人道的に扱われているか世界に知らせるためにやってきた」と著者。しかしそのようなひどい目に遭いながら、隊員たちは一人もくじけず抵抗を続けた。(ただひとり陸軍兵が最初からイラン側に協力し人質たちからは村八分になったという)
「おれたちは抵抗した、なぜならおれたちは一番に海兵隊員だからだ!おれたちはおれたちに勇気を与えてくれたアメリカに名誉と忠誠を誓うからだ。自分らの名を、隊の名を、国の名を汚すくらいなら死んだ方がましだ。
センパーファイ!(Semper Fi)」

まったくこの人たちの爪のあかでも煎じてあの15人に飲ませてやりたいね。
ハッピーイースター!


5 responses to 人質はどう振舞うべきか

asean17 years ago

おはようございます、カカシさん
ちょっと質問なんですが・・・
>1975年イランはテヘランにあるアメリカ大使館が当時大学生だった現在の大統領アハマディネジャドを含む過激派学生たちによって襲撃された。
 っという件ですが、僕は75年の米国大使館を占拠した学生のほとんど全てが”現在、改革穏健派”に分類される
政治家になっていると思いましたが・・・アフマデネジャドもそうだったのですか?
(そうなると彼はかなりな宗旨替えをしたことになりますね・・・)
 それから、米国は正直な所、この米国大使館占拠事件を蒸し返さない方が良いと思いますよ、
なぜなら、イラン・コントラ事件に始まって、どうして当時の学生達が大使館を占拠したのか?という
そもそもの原因を作り出したのは米国ですからね・・・
 強いて言うなら「当時と今(2007年)では米国(内)の状況が全く違う」という程度で止めておいた方が
イラン側に無用な揚げ足取りの材料を渡さないで済みます。
 そうかぁ~、阿呆なアフマデネジャドが昔は改革穏健派だったんですかぁ・・・・・

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scarecrowstrawberryfield17 years ago

アセアンさん、

僕は75年の米国大使館を占拠した学生のほとんど全てが”現在、改革穏健派”に分類される
政治家になっていると思いましたが・・・アフマデネジャドもそうだったのですか?

アセアンさんは最近のイラン学生運動と1979年の学生運動を混同しています。当時のイラン学生たちは過激派です。1979年はホメイニの宗教革命が起きた年ですよ。学生たちはその前の政権のシャーに反抗していた宗教的な過激派たちです。

それから、米国は正直な所、この米国大使館占拠事件を蒸し返さない方が良いと思いますよ、
なぜなら、イラン・コントラ事件に始まって、どうして当時の学生達が大使館を占拠したのか?という
そもそもの原因を作り出したのは米国ですからね

アセアンさん、イラン・コントラ事件は大使館占拠の後に起きたことですよ。レーガン大統領がイランの人質を救うためにイランの穏健派に武器を売り、それで得た資金でニカラグアの反共産主義運動を援護しようとしたのです。しかしそれがイランの人質を金で買い戻した形になったことがスキャンダルだったのです。
アセアンさんはまだ幼児だったので混同したのは分かりますが、話が前後していますよ。
アメリカはイランでの人質事件を絶対に忘れてはならないのです。なぜならアメリカとイランは1979年の4月からずっと戦争状態にあるのだということを常に念頭においていないとイランへの対処を間違うのからです。
イギリスも今回のことでイランはずっと西洋社会と戦争状態にあるのだということを思い出して、ROEを考え直すべきです!
カカシ

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asean17 years ago

カカシさん
 ちょっと書き方が雑だったので、時系列的に逆になってしまいましたが・・・別に混同している訳ではありませんよ
 実際、以前カカシさんが「支援しろ!」っと仰っていた改革穏健派勢力のほとんどが
米国大使館を占拠した当時の学生達であるのは間違いがありません。
(現在その多くが政治家として活動していますね)
 まぁ~それはともかく、米国はやはり大使館占拠事件がかなりのトラウマになっているんでしょうね・・・
 その後確かに国交は断絶状態にありますが、そのことと戦争状態にある、というのは少々過剰ではないですか?
 僕が言ってるのは「そのこと」を米国自身が持ち出すと、イランに格好の米国批判の口実を与える、っと言ってるのです。

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scarecrowstrawberryfield17 years ago

アセアンさん、

実際、以前カカシさんが「支援しろ!」っと仰っていた改革穏健派勢力のほとんどが米国大使館を占拠した当時の学生達であるのは間違いがありません。

私が応援しろといってるのは、ここでいう「改革穏健派」のことじゃありません。私の記憶ではこの騒動に関わった人たちのほとんどは後に処刑されてますよ。アセアンさんの認識と私のそれではかなりずれがありますが、ま、それはそれでいいです。
イランによるアメリカ大使館占拠を持ち出すとアメリカの立場が悪くなるというアセアンさんの理屈は全く理解できません。
今回のイギリスの問題は彼等が真剣にWar footing、戦争状態にあるという意識を持たずに行動したことから来る失態だったと私は思いますね。
アセアンさんがイギリス兵らの行動を擁護するのも、私とアセアンさんとのこの根本的な意識の違いからくるものです。ここでも引用したイギリス元海軍兵のエッセーにもありましたが、アメリカはやたらと引き金を引きたがるカウボーイだけど、イギリスはその反対が行き過ぎているとね。
私とアセアンさんとはアメリカとイギリスという対照的な考えを持っているような気がします。
nカカシ

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In the Strawberry Field8 years ago

イランにさらし者にされたオバマ米軍の情けない姿

四日前にアメリカ海軍の小船が二隻イランに拿捕され、乗組員10人がイランに拘留されるという事件が起きた。乗組員たちは二日後無事返還されたが、この事件のいきさつについてははっきりしない部分が非常に多い。 この事件は、2007年の4月、イギリス軍の小船がイランに拿捕され、女子を混ぜた水兵7人(だったかな?)が拘留された事件と似ている。ただ、当時英米はイラク戦争の真っ最中で、イランのテロリストたちとも戦っているときだったので、退役アメリカ軍兵士やカカシも含めたアメリカ民間人から、イギリス兵は抵抗もしないであ…

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