ミネソタ州のミネアポリス空港で不振な挙動をしていた6人のイスラム教聖職者たちが飛行機への登場拒否をされたことで、航空会社を相手どって訴訟を起こした話しはこの間空飛ぶイマームの訴訟でした通り。
その時コメンターのhoneycatさんが、イマームたちはその場に居合わせて乗務員に挙動不審なイマームたちについて通告した乗客たちまで訴えているという話をしてくれたが、その乗客たちを訴訟から守ろうという動きがミネソタ地元の弁護士や穏健派のイスラム教徒たちの間で起きているという歓迎すべきニュースがある。
アリゾナ州にあるthe American Islamic Forum for Democracyというイスラム教徒の団体がそのひとつで、その代表者のジャシャール医師(Dr.Zuhdi Jasser)がラジオでビル・べネットにインタビューされている模様をパワーラインのリンクから聞くことができる。
トランスクリプトがないので、記憶からお伝えするしかないのだが、このグループはここでも何度か紹介したテロリストの看板団体CAIR(アメリカイスラム評議会)の陰謀によって訴えられそうな乗客や乗組員の弁護費を代償するため募金運動をすると買って出た。
ジャシャール医師はCAIRのようなグループは宗教団体などではなく政治的な野心まるだしの団体であり、イスラム教の教えに反した恥べく団体だと非難する。怪しげな行動をしている人間を通告するのは市民の義務であり、それを訴訟などを使ってイスラム教差別だのといって威嚇するやりかたは、イスラム系アメリカ人と一般アメリカ市民との溝を深めるだけでイスラム系市民への偏見を減らすことに何の役にも立たないという。「こんなやり方で溝を埋めることなどできません」と医師。また空の旅は「権利」ではなく「特権」であり、航空会社には乗客を守る義務が最優先されるべきなのだとも語る。
ジャシャール医師によれば、アメリカにすむ大多数のイスラム教徒は宗教家が政治的な指導者になるべきではないという考えであり、アメリカにイスラム教法のシャリアを広めようなどという野心は全くないと語る。ロバート・スペンサーのようにコーランにそう書かれているから宗教心の強いイスラム教徒ならシャリアを望むのは当たり前という考えには全く賛成できないという。コーランは7世紀の社会に適して書かれたものであり、現在の世の中で文字どおり通用するなどと考えるべきではないというのだ。
無論べネットはそれが本当ならなぜ多くのイスラム教徒がCAIRのような団体にイスラム教徒の代表のような顔をさせておくのかと質問する。
ジャシャール医師はイスラム系市民の間では宗教心というよりもそれ以前に部族主義の傾向が高く、それが多くのイスラム教徒を沈黙に追い込んでいるという。これらの沈黙の大多数を目覚めさせ、CAIRのような団体はイスラム系市民を代表しないということを今後も訴えていくことが大切だと語る。
カカシはジャシャール医師の見解に大賛成である。私はここで何度もロバート・スペンサーのコーラン解釈を紹介してきたが、その度にスペンサーの分析は大事な情報として把握する価値はあるものの、スペンサーのいう悪の元凶はイスラム教そのものという考えにはどうしても同意できないでいた。それというのも、我々非イスラム教徒がイスラム全体を敵にまわしてしまったら、それこそ第三次世界大戦は免れないし、その犠牲者たるや双方あわせても莫大な数になるだろう。終局的にイスラム教は滅びるかもしれないが、いったいその後の世界はどのような恐ろしいものになっているのかわからない。
私はコーランは7世紀に書かれたもので、その内容の多くは現代社会にはあてはまらないという考え方に非常に励まされた。大事なのはジャシャール医師のような人がもっと多くイスラム教徒の間から出て、穏健派イスラム教徒たちがCAIRや他の政治的なイスラム系団体に対して、彼等は我々イスラム教徒を代表しないと声を大にして訴えることだろう。
さて、イマーム及び彼等を背景であやつっているCAIRの理不尽な訴訟から被告となる乗客や乗組員を守ろうという動きはここ数日活発に起きている。

ミネソタの法律事務所Faegre&Benson LLPに所属するゲリー・ノルティング(Gerry Nolting)弁護士は被告の乗客を無料で弁護すると申し出た。士は法廷が「威嚇の目的で使われている」としそれは「完全に間違っている。このようなことは断固として阻止されるべきだ」と語った。

「公共方針としてFAA(連邦航空委員会)は乗客に本土警備計画の一旦として不振な挙動を通告するようにと要請している。」とノルティング氏。「(訴訟は)人種や民族などとは無関係であり、乗客を脅かすことによって、乗客が不振な挙動を通告するのを防ごうとするもので、安全な旅行を促進することを阻止するものだ。」とした。
また別のミネソタの弁護士、トム・マローン氏(Tom Malone)もこの訴訟は「非常にあからさまに人々を威嚇しようとするものだ」さらに「無理矢理に人々を黙らせようとしている」とし、無料の弁護を申し出ている。

もっとも裁判所はこのような訴訟は取り上げないのではないかという説もある。

「もし(乗客ら)らが常識の範囲内で行動し、常識的な態度をとっていたなら、損害の責任対象にはならない」とワシントンにあるShook Hardy & Bacon LLP法律事務所のパートナーでアメリカ訴訟法改正委員会(the American Tort Reform Association)の一般顧問でもあるビクター・シュワーツ弁護士は語る。

ノルティングやマローン弁護士を含む数人のミネソタの弁護士たちは、ミネソタ基盤の三人の弁護士が経営しているブログ、パワーラインなどを通して、他の弁護士たちにも無料で乗客らの弁護をするべく呼びかけている。
また、下院議会ではスティーブ・パース議員らが中心となってテロリストと戦うアメリカ市民を守る法律、H.R. 1640 (Protecting Americans Fighting Terrorism Act) が提案された。パース議員はその際下記のように語った。

アメリカの自由な機構が対テロの戦いにおいて我々に対抗して悪用されるというのは悲しいことであります。 私は初めてミネソタでイマームたちにより起こされた訴訟について聞いた時、これは明らかに、単に自分達の安全を守ろうとしたアメリカ市民に対する不正だと感じました。 これらの勇敢な市民は評価されるべきです。特に前例のテロ攻撃を示唆するような疑わしい挙動を通告するという行為ならなおさらです。

アメリカ人として我々は我々の生き方を妨害する人々の横暴を許してはなりません。我々はテロリストのシンパたちによってテロ行為を通告する前に人々が訴訟を恐れてテロ行為を通告するのを心配するようなことを許してはなりません。これが威嚇作戦であろうと大規模な攻撃であろうと、アメリカ人は自分達と同胞市民を守る義務があるのです。そこで私はアメリカ市民を守り、すべての市民がここアメリカにおいて対テロ戦争最前線において注意深く、発言力を持ち続けられるように、この法案を提案するものであります。

アメリカ人はテロリストの脅迫なんぞには怯まんぞ! というわけである。


6 responses to 空飛ぶイマームから乗客を守ろうと穏健派イスラム教団体らが募金運動

asean17 years ago

おはようございます、カカシさん
う~~ん、こうした話の前提になっているのは”国家”という枠組みがあって、その枠組みの中では
あっても不思議ではないですね、事実、アメリカ合衆国という存在そのものが、多民族、多文化”国家”として
成立している・・・という事実があるが故に米国人はそうした多様な文化や価値観の共存は可能だ、っと信じて疑わない。
しかし、現実に問題になっているのはその”国家”対”国家”の事柄ですよね。
CAIR等であっても、米国の憲法は政治的信条や野望を持ってはいけない、とは言っていないのですから
どのような思想を持っていようが違法でも犯罪でもない。
つまり、自由・民主主義とは、例えそれが”負の要素”を持っていたとしてもそれだけで否定することはしない
が故に自由・民主主義なのではないでしょうか?
(言論的な領域に留まっている限り、それが先導的なモノであっても愚行権の範囲だと思いますね)
ようするに米国の標榜する自由・民主主義は「国家」という存在を前提としている限り
いわゆる共産主義国家、独裁国家、宗教支配国家も認めるというのが矛盾しないはずです。
(国際社会に害を為さない限り・・・という条件が付くでしょうが、国家を前提とした論理で言う所のこの
国際社会とは何を指しているのか?という問題が実は生じるのですが・・・)
現段階では、イスラム教徒は米国(欧州でも)の中では(多分)マイノリティーに属すると思いますが
イスラム教(主義)国家からそれは絶対善であるイスラム教に敬意を払っていない証拠の何物でもない
・・・っと映りますよ。
米国のという国家の中で米国型の自由・民主主義の恩恵を受けている(マイノリティーであろうが)ムスリムと
の和解(?)、共存(?)はそれ程難しくはないでしょうけどイスラム教(主義)国家との
米国内で見られる同様のことが可能だとする明確な根拠が示されていない(示すことが出来ない
それはイスラム側、非イスラム側双方共にですね)
それと、カカシさんが拠って立つ所の米国型自由・民主主義の理想は非常に米国的というか楽観的過ぎる上に
それが善意を元にしているだけにイスラム原理主義者達の論法とほとんど変わらなくなっている。
つまり、彼らが得意な二元論(自分達こそが絶対善なのだからそれ以外は全て悪という解釈)と扱う主語が違うだけで
その構造は何も変わらないのではないでしょうか?
こうした解釈はそれこそ「イスラム原理主義テロ組織」が望んでいる事態に他ならないのです。
例え、何とか言う”医師”が米国のムスリムはああだのこうだの言った所で、彼はイスラム教の中で
重要な位置を占める宗教指導者でも何でもありませんので、その影響力はリベラルな米国内だけの話でしかないでしょう。
それをして「21世紀のイスラム教」と結論すること自体がまぁ、米国的だと言えば言えますが・・・
いずれにせよ「米国に害を為す意図がある又は明確な脅威がある国家(政権、政治指導者)に対して
米国は先制攻撃を辞さない!」というだけでいいんですよ。
そのことに対してそれこそ国際社会は誰も文句は言わない(UNでは時々非難されるでしょうが・・はは)
世界で唯一の超大国ってのは何かに付けていちゃもんを付けられるモンなんですからね。
因みに、
>我々非イスラム教徒がイスラム全体を敵にまわしてしまったら、それこそ第三次世界大戦は免れないし、その犠牲者たるや双方あわせても莫大な数になるだろう。終局的にイスラム教は滅びるかもしれないが、いったいその後の世界はどのような恐ろしいものになっているのかわからない。
・・っとはなりませんよ、絶対に。
先ず冷戦時代のソ連のようなMADになり得る程の国力がイスラム諸国には全く無い。
(有体に言えば、全てのイスラム諸国は第三世界ですよ、共産中国とさえ成り得ない、米国一国の軍事予算だけを
見てもそれは明らかですからね)
どうも、米国の人達は自分達が「国家」という存在を最も重視していることを普段忘れているみたいなんで
話がややこっしくなってしまう。
確かに、世界で唯一の超大国ではあっても、世界は米国だけではなく、その米国の基盤であるはずの
多様な価値観も米国という”国家”の枠外でも成立することを米国自身が未だに証明出来ていない。
グローバリゼーションが最も必要なのは、実は米国なのではありませんか?

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In the Strawberry Field17 years ago

アメリカ初のイスラム教議員イスラムテロの本性現す!

アメリカ初のイスラム教徒の議員として今年から下院議員となったキース・エリソン議員。就任式の時にも聖書ではなくコーランをつかって宣誓をするとだだをこねて話題になった。選挙運動中から反対派はエリソン氏は過激派黒人イスラム教団体やアラブ系テロの看板団体CAIR(イスラムアメリカ評議会)などと深いつながりを持っている危険人物だと主張していたが、地元のミネソタ州メディアは反対派による人種差別だと言い張ってエリソン議員とテロリストとの関わりを全く報道しなかった。 おかげでエリソン議員は当選したが、この間の空飛ぶ…

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scarecrowstrawberryfield17 years ago

アセアンさん、
アセアンさんのコメントにひとつひとつ答えるとなるとこれはまた別のエントリーが必要になってきますね。実はミスター苺がBigLizardsのほうで同じような話をしていたので、宗教については知識の豊富な彼の案を借りてまたまたこの話は特集したいと思います。
で、今日はちょっときになった点をふたつみっつ書いておきます。

米国の標榜する自由・民主主義は「国家」という存在を前提としている限りいわゆる共産主義国家、独裁国家、宗教支配国家も認めるというのが矛盾しないはずです。

これはちょっと違いますね。アメリカは完全な多数決性の民主主義ではない。代表制共和主義、もしくは憲法制共和主義とでもいいまして、少数民族が多数民族によってしいたげられないようになっている。だから共産主義とか独裁主義、宗教支配国家をアメリカ国内で認めることはできないわけです。たとえ99%のアメリカ人が同意したとしても1%のアメリカ人の人権を妨げる法律は認められない。
もし、アセアンさんが国同士の話をしているのだとしたら、これはちょっとみかんとリンゴを比べるようなもので、私のはなしていることと次元が違います。
イスラム系原理主義との戦いはある意味で昔の東側共産主義諸国との戦いよりも恐ろしいものがありますよ。なぜなら、共産主義国家は理屈はおかしかったが気違いじゃなかった。彼等には自己防衛の本能が働いたためMADが成立した。
聖戦主義者たちは死を恐れない、それどころか死を愛する気違い集団ですよ。彼等は自分達の人口の半分以上が聖戦の犠牲になったとしても、インファデルである我々不信心者を全滅させることができるなら尊い犠牲だと考えるようなひとたちです。そういう人々との戦いにMADは意味がありません。
私がいう第三次世界大戦というのは第二の時のような国同士で戦車つかったり大量の兵隊さんに突撃させたりするような戦争のことではありません。今欧米やオーストラリア、そして東南アジアなどで台頭してきている聖戦主義者らと国内をイスラム教に脅かされまいとする地元民との戦い、パキスタン、サウジ、エジプトなどでも過激派聖戦主義者らの活躍は目立ってますからね、これらの国々から出てくるテロリストたちの攻撃も無視できません。無論、イランのヒズボラなんかもそうですが。
しかし、数の面からいってイスラム教徒はなんだかんだいってもユダヤキリスト教徒や他の教徒らよりも少ない。それ以上に先進国の武力とでは比べ物にならない。
だから結果的にはイスラム教は負けるでしょう。でもその間にどれだけの異教徒がテロリストのえじきになり、どれだけの無関係なイスラム教徒が巻き添えをくって殺されるか、それを考えたらやっぱりイスラム教は変わらなければならないと思うわけです。
ジャシャール医師ひとりにイスラムを変える力があるなどとは思いません。でもこういう人がどんどん出てきてくれればイスラムは救われると私は考えます。誰かがはじめなければならないことなんですから。最初は一人でもだんだんとその声は高まりますよ。
考えてみればモハメッドだって一人で始めたんですからね。
この話はまた改めて書きます。
カカシ

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asean17 years ago

おはようございます、カカシさん
ですからね、僕が言ってることとカカシさんが仰ってることの次元が違う訳ではないんです。
カカシさんも
>だから共産主義とか独裁主義、宗教支配国家をアメリカ国内で認めることはできないわけです。たとえ99%のアメリカ人が同意したとしても1%のアメリカ人の人権を妨げる法律は認められない。
”アメリカ国内で”っと仰ってるでしょ。つまり、米国という”国家の「枠内」”に於いては事実
多民族、であり多文化(多様な価値観)として米国は成立しているんですよ。
但し、その米国”国内”で成立しているとする状況が果たして”国外”でも同様に成立するのか?っと僕は言ってる訳です。
なぜなら、イランもイラクもDPRKも共産中国も日本も米国内にある訳ではなく、一応、国家主権として米国の”外”に
存在している訳ですから、はい。
次に、MADになり得ない、と僕が言ってるのは、米国が脅威(敵)として認識して(先制)攻撃を仕掛けるとした場合
それは懲罰的な意味の攻撃なのか?それとも報復攻撃なのか?を米国本土に具体的な脅威を示す
国家主権に対する攻撃なのですから当然、必要になりますよね・・・
これ迄の米国政権が行って来た行き当たりばったりな攻撃は何の効果も生まないことは既に明らかではないでしょうか?
 つまり、戦争をやるなら徹底的にやる(勝つ戦争をする)しか方法がないんですよ。
一罰百戒・・・米国を怒らせると一国がきれいさっぱり消えてなくなるんだぞっ!っという事例を作る位でないと
戦争なんてやる意味が無いんです。
(一都市を殲滅する程度では逆効果ですから)
 多くのイスラム教徒や第三世界の人間は「世界で唯一の超大国であり最強の軍隊を持った米国が世界を”支配”している」
と認識しているんです・・・・つまり、彼ら流に言うと
世界の覇者(王)はアメリカなのです・・・その覇者たる米国が中途半端な攻撃しかして来ないから
一矢報いることが出来るかも?ってな浅はかな思考でテロを実行する。
 彼らには(米国には)我々(ムスリム)を抹殺することが出来ないのだ=彼らは(米国は)我々を恐れている
=故に我々はやはり絶対に正しいっ!っという理屈を何時迄も言わせてしまうことになるんです。
 これは覇者の行いではないのですよ、覇者は慈悲深いが怒ると無慈悲に躊躇無くその圧倒的な力を行使する
が故に覇者には従わなくてはならない・・・という理屈なんですよ。
 ですから、攻撃するなら徹底的にすることで(戦略核兵器を無慈悲に使用する)初めて彼らは
覇者の権威を認めるのであって、そうして初めてテロ行為を米国に対して実施すると無慈悲な報復攻撃が実施される
・・・そうしたイスラムテロへの共感が薄れて周辺化される、んです。
 因みに、カカシさんの仰る「下位からのムーブメントでイスラム教を変革する」という論理自身が
欧米型の最たるモノでして、イスラム教自身が受けいれられるモノではないのです。
 なぜなら、アッラーは絶対であり後にも先にもアッラー以外は成立も存在もしないのです。
 つまり、アッラーや正統で高名な宗教指導者達でもが21世紀のイスラム教の”解釈は”はかくあるべきだ!
としない限り最高位であり絶対善であるアッラーの教えを下位から変更すること等背教行為以外の何物でもないからです。
ジャジャール医師だかが「新興宗教」を始める、とでも言うなら彼はイスラム世界の住人ではないですから、別段
問題はないとは思いますのでどうぞご自由に、ってだけですね。
 それから、カカシさんがお使いになっている「穏健派」という表現ですが、イスラム教では
シーア派であろうがスンニ派であろうが、原理主義であろうがその最終目標は全く同じです。
 単にその理想的なイスラム世界の実現に達するプロセスでの”方法”が違うというだけでしかありません。
 欧米諸国が必要としているのは「穏健なイスラム教指導者」ではなく「プラグマティックな政治指導者」のはずです。
(超保守的で非民主的なワッハーブ派のサウジアラビアとは一応、友好関係を保っているではありませんか)
 イスラム教の原理原則は、イスラム教による理想的なイスラム社会の実現であって、異教徒との平和共存等ではありません。
ですから、僕は宗教と政治を切り離すことがイスラム側には必要なのだ!と言ってる訳ですが・・・
 カカシさんが自分は平和主義者で好戦的でもタカ派でもないことを言いたいが故の「イスラム穏健派を支持する」
というレトリックだとするならイスラム側は欧米のリベラルを信用しないのと同様に欧米保守派も信用しないでしょうね。
 何度も僕は言ってますが理解することと認めることは全く違います。
 イスラムの理屈からすると「支持する」ことは「帰依する」ことと同義なんです。
 困りましたね・・・ホントに

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scarecrowstrawberryfield17 years ago

アセアンさん

ですから、攻撃するなら徹底的にすることで(戦略核兵器を無慈悲に使用する)初めて彼らは
覇者の権威を認めるのであって、そうして初めてテロ行為を米国に対して実施すると無慈悲な報復攻撃が実施される
・・・そうしたイスラムテロへの共感が薄れて周辺化される、んです。

 因みに、カカシさんの仰る「下位からのムーブメントでイスラム教を変革する」という論理自身が
欧米型の最たるモノでして、イスラム教自身が受けいれられるモノではないのです。
 なぜなら、アッラーは絶対であり後にも先にもアッラー以外は成立も存在もしないのです。

申し訳ないですが、これには全く同意できません! アセアンさんの意見は私が何度も紹介しているロバート・スペンサーの意見と同じですね。
コーランに書いてある以上、イスラムが穏健化することや21世紀の新しい宗教として生まれ変わるなどあり得ないという絶望的な考えですよ。
でも私はそうは思わない。イラクにだって多くの人々がイスラム教を失わずに民主主義国家を作ろうと本気で考えているひとたちがたくさんいます。
欧米に移住したイスラム教徒たちがそれなりに西洋文化を吸収していくことで母国への影響を与えることもあり得る。
キリスト教だってずいぶん野蛮な時代を経て今日があるのです。イスラム教だけが現代化することができないという考えにはどうしても賛成できません。
アセアンさん自身が指摘しているように、イスラムが変化できなければアメリカだけでなく先進国による破壊的な攻撃によってイスラム全体が滅びてしまうからです。今のようなグローバルな世の中では、気に入らない国をひとつふたつ崩壊する程度ではすまされないからです。テロリストがどこからくるかも分からない状態で、西側が本気でアセアンさんのような態度をとったらどうなると思います? 国内で長年平和にくらしてきた罪のないイスラム教徒まで皆殺しの目にあいますよ。
私がいう第三次世界大戦というのは本当にそういう悲惨に戦争のことを意味するのです。
ところでこのジャシャール医師に関する記事をみつけたので明日紹介します。
カカシ

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In the Strawberry Field17 years ago

21世紀を目指す穏健派イスラム教徒の試練

先日空飛ぶイマーム達に訴えられている乗客を救う会を結成したアリゾナ住まいのイスラム教徒医師、ジャシャール医師(Dr. Zuhdi Jasser)を紹介したが、今日のミネソタ州のスタートリビューン紙に彼の過激派イマームたちとの戦いの模様が掲載されている。著者はキャサリーン・カースティン。 911が起きた時、ジャシャール医師はイスラム教がテロリストに代表される過激派イスラミストらに乗っ取られるのを心から恐れた。2003年同じような考えのアリゾナ州在住のイスラム教徒らとthe American Islam…

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