アメリカがイラクで勝つ方法

English version of this post can be found atGood Hunting in Ramadi, Big Lizards.
先週からアメリカ・イラク同盟軍はラマディ付近でスンニテロリストに対して数々の攻撃を仕掛けており、同盟軍側の戦死者をひとりもださずに、何十人というテロリストを退治し同じように大人数のテロリストを捕らえた。Bill RogioのFourth Railの記事をまとめてみると、

カークック:イラク陸軍第1旅団第5師団とアメリカ題73騎兵隊と空挺隊82師団による合同攻撃において、連合軍は50人のテロリストを殺害、20人を逮捕した。さらに40万ラウンドの小銃弾、1万5千発のマシンガン用銃弾を押収。また爆弾製造の材料やプロパガンダ用のパンフレットやアメリカドルの大金も押収。
バグダッド:米・イ連合軍はスンニテロリスト18人を殺害、19人に負傷させた。さらに日曜日には9人のテロリストをさつがい、二人が逮捕された。
ラマディ: バグダッドの外でも一番危険な場所ラマディでは11月13日と14日の連続攻撃により、11人のテロリストが殺された。また土曜日にも連合軍は8人を殺害、二人を取り押さえた。

このようなアメリカ・イラク軍による圧倒的勝利はイラクでの戦闘においてはもう日常茶飯事である。でもカカシさんそれが本当ならどうしてスンニのテロリストたちはいつまでも戦いをあきらめないの、と読者のみなさんは不思議に思われるだろう。
その理由は大きく分けて二つある。
1 アメリカメディアが先頭にたってあともう少しテロリストが踏んばれば、アメリカはあきらめて退散すると報道しまくっていること。
2 イランの飼い犬ならぬ白豚サドルの民兵たちへの真剣な対策がとられていない。シリアやイランからの国境をきちんと守っていないため、シーア派のテロリスト及び武器弾薬が大量に流れ込んできている。彼等がイラクのスンニ派を大量に殺害している以上、スンニ派イラク人がシーアの味方だと解釈しているアメリカ軍に攻撃をしかけてくるのも理解できるというものだ。
私は国境を塞ぐことは可能だと考える。しかしそのためにはこれまでのようなやり方では駄目だ。シリアとイラク、イランとイラクとの国境線は何百キロと広がるわけで、現在いる兵数ではとてもパトロールをすることはできない。となれば偵察機を使った空からのパトロールが必要であり、侵入者は容赦なく空からのミサイル攻撃で殺すというやり方でなければ国境は塞ぐことはできない。つまりRule of Engagement (ROE, 戦闘時の規則)の見直しが必要なのだ。
歴史学者のビクター・デイビス・ハンソン氏はROEさえ改善されれば現在の兵数で十分にイラクを鎮圧することができると語る

ではもっと兵を出動させることや完全撤退やひどいニュース報道への苦情について考えてみよう。しかし現実は攻撃の際の戦略についてもっと余裕のある行動が許されさえすれば、敵意をもったメディアや凝視している敵ですら認めざる終えないような確実な勝利を獲得するに十分な兵士の数がイラクにはととのっているのである。ただこれは本国において最近我々の間でまたぶり返したヒステリー状態から立ち直ることができればの話だが。

今こそシーア派民兵を崩壊させる時である。サドルをいかしておいて将来のイラクに平和はない。
しかし「言うは安し行うは難し」である。シーア民兵との戦いにおいてアメリカ軍は2004年にファルージャはじめイラク各地で直面した難かしい問題と同じ問題に再び直面している。アメリカ軍は敵よりも圧倒的に優勢な戦力を有し領地を獲得することはできるが、その後の制覇ができない。それでアメリカ軍が去った後テロリストたちは再び舞い戻ってきてもとの木阿弥である。これはサダムフセインがアメリカとの戦いを前にしてあらかじめ考えていた作戦なのだが、アメリカ軍がこれに気が付くまでに2年という長い年月がかかってしまった。このモグラ叩きの状況を乗り越えるのはかなり難かしい。 それでもこの難関をアメリカ軍が切り抜けることができたのはイラク軍の起用である。 アメリカ軍が訓練をしたイラク軍がアメリカの勝ち取った領地を占領軍として守備にあたる。おかげでアメリカ軍は守りを心配することなく次の攻撃に神経を集中させることができたのである。
だがシーア民兵に対してイラク軍を守備にまわすには、まだ我々はイラク軍を完全に信頼できる状況にない。多くのシーア派を含むイラク軍には民兵のメンバーそのものや民兵のシンパがまだぞろぞろいる。これらの人員を排除できなければシーア派民兵撲滅は望めない。
ここで私はシーア派との戦いにおいて守備に回る占領軍としてアメリカ兵の増強が必要だと考える。いずれイラクの守備はイラク軍に任せなければならないが、イラク軍内部の清掃にはまだまだ時間がかかる。その間やはり守りはアメリカ軍が請け負うしかないだろう。
私はアメリカ市民の間にイラクの勝利を勝ち取ろうという強い意志があることを望む。キッシンジャー元国務大臣はアメリカ市民にこの意志はないという。アメリカ市民にはそこまで我慢できる粘り強さがないと悲観的だ。だがアメリカは南北戦争で何百万という犠牲を双方で出しながら双方とも圧倒的な勝敗が決まるまであきらめなかった歴史をもっている国民だ。私は今のアメリカ人にもその粘り強さがあると信じたい。
イラクにおいて軍事的勝利を勝ち取ることは可能だ。だがそのためにはここで新たにアメリカ市民の一人一人がイラク安定の大切さへの意志を新たにし勝利への道を望まなければならない。


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穏健派イスラム教徒の意見を聞かない理由

どうしてアメリカ国内では、穏健派のイスラム教徒の内部告発を聞くことができないのだろうか、それは過激派イスラム教徒が穏健派を黙らせようとするからだ。
ミスター苺の弟の母校でもあるワシントンDCにあるエリート大学のブラウン大学で、ユダヤ系生徒のグループ、ヒラルの主催で現在のイスラム教に批判的な意見を持つイスラム教穏健派スピーカーを招待して講演会が開かれる予定だった。ところが、これをきいたイスラム教生徒の間から激しい抗議が殺到。学校側は様々な意見をきくことの価値を強調するどころか、生徒の意志にまかせるとして決断を生徒達にゆだねてしまった。イスラム生徒たちからの脅迫に怖じ気づいたヒラルのメンバーたちは臆病にも講演をキャンセルしてしまったのだ。(Not talking back to Nonie Darwish Kesher Talk)
招待をキャンセルされたスピーカーはノニー・ダーニッシュ女史。エジプト生まれのダーニッシュ女史はイスラム教徒として育ち、テロリストグループに所属していた父親をイスラエル軍に殺された体験を持つ。 女史は過激派イスラム教徒による女性弾圧や、911はシオニストの陰謀だなどと信じる考え方について批判的な意見を述べるはずだった。
ダーニッシュ女史は、イスラム教徒の間では建設的な自己批判を聞く姿勢が全くないと嘆く。これは以前にもコメンターのアセアンさんが同じことをいっていた。

カカシさんの仰ってることはイスラム教が21世紀という現代にどうイスラム教自体が変革するのか?という問いを含んでいるのです。
その為に最も重要なことは、当のイスラム教徒が真にイスラム教を学習し直す必要性があるのです。
しかし、それを実現する為には「権力闘争」の一環でもある宗派対立的な問題を解消する必要性をイスラム内部(特に宗教指導者層、エリート層)が理解しなくてはなりません。(統合する必要性はありません、キリスト教でもカトリックとプロテスタントが存在するのですがから)
以前、ローマ法王の発言に対して批判が噴出しましたが、あの最大のポイントはローマ法王の神学論争としての発言に対してイスラム教が神学論争として応えられないこと大きな問題が含まれていたのは自明なのです。

イスラム教徒の多くがコーランを暗記しているだけで、中身をきちんと理解しているわけでもなければ、自分なりに解釈しようなどとは考えたこともない。コーランの解釈は専門家である聖職者に任せきりで、彼等の勝手な解釈がどう政治的に利用されていようともそもまま鵜呑みにされてしまうというのが現代におけるイスラム教のもっとも悲劇的な状況だと思う。
だからイスラム教徒の行動に関する批判を、イスラム教を向上させる、または時代遅れのイスラム教を21世紀の文明社会に沿った宗教にしていこうという建設的な意見を素直に聞こうとするどころか、イスラム教への冒涜であるとか攻撃であるというふうにしか取り扱えずに反射的で暴力的な拒絶反応をしめすわけだ。
本来ならば、ブラウン大学の学校側は教育者として、異なる意見も多いに聞き、演説者の意見に反対であるならば清聴した後の質疑応答で演説者に挑戦し討論の場として教養を高めることを教える場所である。反対意見を公表されたら反論もできないというのなら自分達の理論に落ち度がある可能性を反省するべきだ、くらいのことを指導するのが筋だろう。それが大学という教育者の義務ではないか。それを気に入らない意見の演説者を沈黙させた生徒の意見を尊重するなどもってのほかだ。
演説をキャンセルしてしまったユダヤ系生徒グループも腰抜けだが、学校側からの後押しがない以上、脅迫を恐れた生徒たちが怖じ気づくのも無理はない。保守派の演説者がリベラルの生徒らの暴力で壇上からひきずりおろされる事件がアメリカのあちこちの大学で起きているという事実がある以上、生徒たちも講演者の安否を気づかったという可能性も否定できない。
自由社会の将来を担う若者を育てる大学で、言論の自由が暴力で脅迫されて迫害されているというのはなんと情けないことだろう。このような大学を出た生徒たちが実社会に出れば、反対意見は暴力で黙らせればいいと考えるようになるのは当たり前ではないか。


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キッシンジャー元国務大臣「イラクで軍事的勝利は不可能」発言の真相

昨日喜多さんがキッシンジャーまで逃げたじゃんという題で、ワシントンポストに載ったユージーン・ロビンソンの記事を紹介していた。その内容は「保守派」のキッシンジャー氏ですらイラクではアメリカは勝てないといっている、アメリカは今すぐ撤退するしか道はないというもの。

大変じゃん。
ヘンリー・キッシンジャーですら、今じゃイラクの軍事的勝利は不可能だ、って言ってるならさぁ、ジョージ・W・ブッシュには本当に、ローラとバーニーしか残ってないって事じゃん…
でさぁ、キッシンジャーかよ(禿嗤)?
どーでも良いから気分が良くなるような事をテキトーに、でも定期的に大統領のお耳に入れる為にホワイトハウスにふらりと立ち寄ってた賢人様が?
まあ、最後まで頑張れや、って言ってた奴が?
2005年8月に「反乱軍に対する勝利が、唯一の意義ある撤収戦略だ」とか書いてた賢者がさあ、今じゃブッシュの撤収条件を「全イラクを統治し、暴力行為をコントロールする能力を持った、安定した政府」とかリストしてんだよ。
それでもってさ、それがムダムダムダー!って宣言してんの(大笑い)。
ヘンリーK様がもうすぐ、俺は最初っから愚行だと知っておったわい、とバラしても、驚く奴なんているかよ?

私はこの記事を読んでいて、キッシンジャー氏がそんなこと本当にいったのかあ?と不振に思っていたら、案の定、主流メディア特有の歪曲報道。キッシンジャー氏の「イラクの軍事的勝利は不可能だ」発言には前後の文脈というものがある。これを無視してここだけ取り上げるとキッシンジャー氏の本意とは裏腹の意味になってしまうのである。
ではキッシンジャー氏はいったい何と言ったのか、ニューヨークタイムスの「キッシンジャー氏、イラクでの軍事的勝利は不可能と発言」という記事には下記のようにある。

日頃からブッシュ大統領にイラク政策についてアドバイスしている元国務大臣のヘンリー・A・キッシンジャー氏は本日完全な軍事的勝利はもはや不可能であると語った。これで氏は戦争にたいして楽観的な見解をしめすブッシュ政権に挑戦する増え続ける保守派指導者たちに加わることとなった。
「『軍事的な勝利』とはイラク政府がきちんと設立されその統制が国全体に行き届き内戦も鎮圧され宗派間暴力も鎮圧されることが、民主主義の政治的な課程で支持できる時間以内に達成するという意味ならば、それは不可能だと思います。」 とキッシンジャー氏はBBCニュースに語った。

ここでキッシンジャー氏のいう「民主主義の政治的な過程で指示できる時間以内」というのはイラクの民主主義を意味するのではなく、アメリカの政治を意味する。つまりだ、アメリカ市民およびアメリカの政治が許容できる短い期間でイラクを統制することはできないだろうと氏はアメリカ市民の飽きっぽい性格を悲観的に見ているのである。イラク戦争が原因と思われる今回の選挙結果をみれば氏が悲観的になるのも無理はない。だが、アメリカ世論がついてこないだろうというのと、イラクでの軍事的勝利が不可能だということはまた別物だ。それをニューヨークタイムスもワシントンポストもわざと混合してわい曲報道をしているのは、いつものことながら汚いやりかただ。


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カカシ、カリフォルニアに帰る

お早うございま〜す! 夕べ遅くというか今朝早くというかカカシは6週間ぶりに花のカリフォルニアにかえって参りましたあ!
何度もお話しているように感謝祭は11月23日。 多くのひとたちが休暇をとって祭日を家族をすごすべく移動しているので飛行場は帰郷客でごったがえし。カカシの出張日程が土壇場で変わり祭日前日の帰郷となったこともあって飛行機の予約をとるのに一苦労。割高の切符を買えばとれないこともなかったのだが、それをやると会社は全額を返してくれない。大企業のくせにこういうところはすっごいケチなうちの会社は10ドルでも割り増しだったら大騒ぎするんだから嫌になる。
火曜日のよる遅くの便の予約がとれたので、ホテルではゆっくり寝ていようとおもったのに、前の客がそのままにしていった目覚ましが5時半にけたたましくラップ音楽をならして私を起こした。一旦起きたら二度寝ができず、仕方なく私はそのままおきてしまった。夜まですることもないので出張先の事務所に顔をだし、しっかり午後まで仕事をしてしまうというこの悲しいサラリーマン精神。
しっかし昨日のバージニアの朝は寒かった。気温はせいぜい10度程度で特に低いというほどでもなかったのだが、まあ風がひどい。風による冷却効果を入れると零下10度以下。(笑)厚手のセーターの上にノースフェイスのウィンドブレーカーを着ても寒い。しかもすごい風だからまっすぐに歩けない。
それでも空港についてしまえば、後は車をガレージに返してすべてビルの内部だからいいかと考えていたら、レンタルカーを返すところが空港のビル内部ではなくターミナルから数十メートルはなれた野外。大きなスーツケースに、ラップトップ、それに寝袋と折り畳みの椅子をかかえて号風のなかをジグザグに歩く姿は外からみたら滑稽だっただろう。 平たいラップトップを風があおり、私は何度も足をすくわれそうになった。かぶっていた帽子がで回って目を覆い途中で前が見えなくなったが手いっぱいの荷物なので帽子がなおせない。しかも空港についたら雨が降り出す始末。もう泣きっ面に蜂とはこのことだ。
なんとか夜7時半の飛行機に乗ることができ、乗り継ぎもスムーズにいってロサンゼルスにかえってきたのは午前12時半。最近のアメリカの航空会社はどこも経営困難で機内食など出ないから私は昼のハンバーガーを食べたきり12時間も何も食べておらずおなかがぺこぺこ。向かえにきたミスター苺と一緒に夜中開いてるジューイッシュデリで食事をした。ひさしぶりに食べるおいしい食事だった。
これは私があまり冒険心がなかったせいなのかもしれないのだが、私が泊まっていたバージニアのノーフォーク付近にはおよそ食事のおいしいレストランがなかった。一度いったイタリア料理の店ではエビがゆで過ぎで堅くたべられたものじゃなかった。ロサンゼルス付近ではごちゃまんとある中華や日本食のレストランもあまりなく、あっても韓国人が経営しているところが多くて味はかなり韓国風。おすしの酢飯にごま油が平気ではいってたりするから参る。またサンドイッチやフライドチキンファーストフードですら、ロサンゼルス地区のほうがすっとレベルが高い。しかも従業員の態度がのろのろと手際が悪く何をするにも時間がかかってしまう。 それで私はあまり外食はせず、ほとんどファーストフードのテイクアウトを食べていた。
食事を済ましてやっと帰宅した時は午前2時過ぎ。飛行機のなかでも一睡もできなかったカカシはなんと24時間ぶっつづけておきていたことになる。疲れるわけだわ〜。
でもカリフォルニアはいいなあ。気温は心地よい24度。今夜は寿司食うぞ〜!


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在日特別永住権とアメリカの移民問題

さて、昨日に引き続き、極右評論の瀬戸さんが掲げてらっしゃる二つの項目についてお話をしたい。

  • 安心・安全な社会      不法滞在外国人の強制送還、 入管法の強化・雇用者罰則強化
  • 在日特権の廃止      特別永住資格付与制度の見直し
  • 最初の不法滞在外国人とその雇用についての問題は、アメリカでも全く同じ議論が交わされている。 実はこのことでブッシュ大統領の提案が移民に甘すぎるという批評を保守派から買って保守派による反ブッシュ感情が高まったことが、今回の選挙に影響したことは否めない。 二つ目の在日と言われる韓国朝鮮系、中国系の移民とその子孫に関する永住権の問題も、実は最初の違法滞在外国人と同じく移民問題であるので、ここはひとつの問題として取り上げたい。
    日本もアメリカもそしてヨーロッパも同じように抱えている深刻な問題が、少子化問題である。 アメリカでは出生率はぎりぎり二人ということだが、欧州や日本などは1.5人を下回る。 これでは夫婦二人の代わりになる子供の数が全く足りなくなり、社会は人口減に悩まされることになる。 老齢化する文明社会の経済はいったい誰が支えるのか、この人手不足を補うのが外国人労働者である。
    欧米や日本がどれほど忌み嫌おうとこれらの社会の経済を支えていくためには外国人労働者の労力が必要なのだ。 しかしこれらの労働者をどのように受け入れるか、欧州でおきているイスラム教移民問題を考えれば、これはひとつ間違えるとたいへんなことになる。
    外国人労働者をどう扱うか
    何故外国からの不法滞在者が増えるのかといえば、彼らが合法に滞在する手段が容易ではないからである。 これはアメリカにしろ日本にしろ同じことだ。 貧困に悩む近隣の諸外国から比較的経済の豊かな日本やアメリカに移民が集中することはごく自然な現象であり、彼らを締め出そうとすればするほど不法入国者が増えてしまうのである。 
    また欧米にしろ日本にしろ外国人労働者なくしては経済が成り立たない以上、雇用者を罰するなどという方針をとっても無駄である。 大企業が政府に働きかけ法律を腑抜けにしてしまうか、法の網をくぐって違反は絶えずおきるだろう。 
    ブッシュ大統領は外国人労働者を季節労働者として扱い一定の時期だけ就労と滞在が可能な特別な旅券を与える法案を提案しているが、私はこれにも反対だ。 なぜならば一時的に外国に滞在している外国人労働者たちはその国の社会に所属しているという意識がない。 日本のことわざで「旅の恥はかき捨て」というのがあるように、自分が所属しない社会の治安維持に外国人が無頓着になるのは必定で、これが外国人労働者による犯罪を促進する原因となる。
    また、一時滞在を違反して長期滞在をするようになった外国人労働者たちは限られた一定の低所得職業に隔離されてしまい、社会に異民族を主体とした下層階級を作ることにつながる。それが欧州におけるイスラム教徒移民問題のそもそもの発端なのである。 
    では不法滞在を減らすためには外国人労働者の問題をどうすればいいのか。
    一番大切なのは合法に外国人を受け入れる方法を考えることである。 何故外国人の不法滞在問題が、合法な外国人受け入れ対策で解決できるのか不思議に思われる方もいらっしゃるだろうが、違法が起きるのは既存の法率に問題があるからなのである。
    外国には貧乏に困って日本で働きたい人々がたくさんいる。 日本は人手不足で外国人労働者を必要としている。 こうした需要と供給がある以上、日本は合法に外国人を受け入れるべきなのである。 その際、外国人が日本で働くための規則を具体的に明確にし、犯罪やスパイ行為などとつながらないと判断された外国人はそれほど面倒な手順を踏まずとも入国できる法律をつくるべきだ。 そしてこれらの就労者がつける仕事の内容にも外国人だからという理由で規制はせず、長年合法に日本で働き暮らしてきた外国人は資格試験などを通して、明確な基準を通過すれば永住権、ひいては日本国籍も取得することができるという機構を設けるべきである。
    そうすれば、努力次第で日本に永住できるようになると考えた外国人は、日本の社会の一員としての自覚をもつことになる。
    在日特別永住権の見直し
    さて、ここで一般に在日と呼ばれている第二次世界大戦中に労働者として日本へやってきた朝鮮系、中国系の移民及びその子孫に与えられている特別永住権の問題について考えてみたい。 
    朝鮮系中国系の一世の方々は戦後、祖国の政治体制が変わってしまって帰国が不可能になった人たちが多い。そのことを考慮して日本がこれらの移民に特別永住権を与えたことは適当な処置であったと私は考える。 しかし日本においてこれらの人々の間で生まれた二世三世の人々にまでこの特別永住権が与えられるというのはおかしいのではないか、という右翼の人々の疑問には私は全く同意する。
    しかしながら、ではこの人たちをどうするのか、という点で私は日本の右翼のひとたちがどう考えているのかちょっと解らないのである。
    アメリカではアメリカで生まれた人間は親の合法違法にかかわらずすべてアメリカ市民になるという法律がある。 それで違法移民のなかでアメリカでなんとか子供を生もうとする人が絶えないため、この法律は見直しの必要があると考えられている。 アメリカの場合はいきすぎなのだが、日本はその反対がいきすぎで、親が合法な移民であるにもかかわらず、日本で生まれた二世や三世までが外国人として取り扱われているというおかしな現状がある。
    ここは間をとって、日本においてもアメリカにおいても、合法移民の間で生まれた子供は自動的に生まれた国の国籍を所持するという法律をつくってはどうか。 日本生まれの日本育ちの人々が特別な手続きを踏まなくても自動的に日本籍になり、親の国籍を保ちたい人々は日本国籍を破棄しなければならないとということにする。 日本国籍を破棄した時点で、永住権を授与するしないを判断すればいいのであり、特別永住権などという特権は時間と共に自然消滅すると思うのだが、どうだろうか?
    この新しい法律が出来た後でも、現在すでに特別永住権を所持している人々に無理やり帰化を強制する必要はない。 彼らは既存の法律に従って特権を得たのであり、いまさら新しい法律ができたからといって、その特権を取り上げるのは人権侵害となるからだ。
    しかし、特別永住権をもっていながら、北朝鮮や中国の共産主義政権のスパイ行為や、日本への背信行為を犯している人々に関しては厳重たる処置がとられねばならない。 特別永住権所持という立場で北朝鮮の議会に籍を置き、日本と北朝鮮をいったりきたりしているようなやからはいますぐ国外追放をすべきであり、スパイ行為をしていると断定された犯罪者は日本の法律によって裁かれ罰せられるべきである。
    私は違法移民問題にしろ、特別永住権の見直しにしろ、現在の状況を緩和したいのであれば、代わりになる方策を立てる必要があると考える。 違法移民を締め出すなら合法移民をどうするのか、特別永住権を剥奪するなら現在特権を持っている人々をどうするのか、そうして解決策が明確に提示されない限り、違法移民を追い出せ、永住権を見直せといってみても問題解決にはならないと思う。
     


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    Man Overboard!

    どうも皆様、八日ぶりに丘についてすっかり丘酔いしているカカシです。 今朝(アメリカ東海岸時間19日午前10時)カカシの船は予定より一日早く港に帰ってまいりました。 留守中にコメントをいただいたMike さん、souさん、アセアンさん、いつもありがとうございます。
    前回は二度とも五日間の航海だったのだが、今回は八日間だったせいなのか、丘へ降りてからめまいがしてしょうがない。 一日早い帰港でまたまたホテルの予約がなく、同僚の推薦で前のひどい安ホテルとは違って結構いいホテルに落ち着いた。 
    感謝祭をこの木曜日にひかえ、ホテルの装飾はすでにクリスマスの色を見せ始めている。 そとの空気は肌寒く、持ってきたセーターと上着だけでは足りなくなってきた。
    ところで、船に乗る際一番最初の日に言われることは緊急事態に乗客はどうすべきかという注意事項。 そのなかでも大切なのが”Man Overboard”(MOB)と。 これは人が船から落ちたという警報。 私は何度も船に乗っているが、大抵の場合MOBの訓練は乗船した当日の午後に行われる。 乗ったばかりの乗客にしょっぱなから訓練をさせる目的なのだろう。 それで私は先々週の航海の初日にMOB警報がなったときも、「あ~訓練だな」と思って指定された場所へ行った。誰が船から落ちたか解らないので、乗組員と乗客の点呼を取るためである。
    しかし、点呼を取った後に「船から落ちて5分、10分」という放送があり、これが訓練ではなく本当だったら、この時期の冷たい海に10分もつかっていたのでは助からないのではなどと考えていたら、「船から落ちたのは乗組員の‘~さんでした。 無事救出されました」という放送があった。「え~本当に誰か落ちてたの~? 訓練じゃなかったの~?」と私はびっくり仰天。 幸い甲板で作業をしていたこの人は耐寒防着をきていたらしく無事だった。
    という事件があったのが先々週のことなのだが、今回の航海が始まった先週の月曜日のこと。 私は朝6時から仕事をしていて夕方7時ごろやっと落ち着いた。 翌朝また6時からの仕事ではあったが、まだ寝るには早すぎると思いちょっと読書をすることにした。 9時ちょっと前になってそろそろ寝ようかなと思っていると、突然火災避難訓練の警報。 もっともこれは乗組員だけの訓練で民間人の乗客は参加しなくてもいいのだが、乗組員の邪魔になってはいけないのでどこであろうと、警報がなった時点に居た場所に訓練の間、ずっと待機していなければならないという規則がある。 つまり、警報が鳴った時点でトイレに居た人間はそこから出られないのである。(笑)
    この船の船長は訓練に非常に熱心なのはいいが、おかげで私は読書をしていたコンピュータールームに2時間も缶詰になってしまった。 それで9時に就寝のはずが床についたのは11時過ぎ。 それでも寝心地の悪いベッドで何度か寝返りを打ちながらやっと寝付いたとおもいきや、「マンオーバーボード! マンオーバーボード!」という警報が再び鳴り響いた。 腕時計を見てみるとなんと夜明けの4時。 「こんな時間に訓練やんないでくれる~!」とぼやきながらあっちこっちのベッドから飛び降りている女の子達を乗り越えて、指定の場所に集まると、後部の見張り番が2時間前にリポートしてから行方がしれないというではないか。 前回に続きこれも訓練ではなく本当の事件だったのである。 私は訓練以外のMOBの起きた船には乗ったことがないが、それが2回も起きるとは前代未聞だ。
    しかしこのときは心配には及ばず、見張りの乗組員は仕事をサボって隠れて寝ていたことが発見された。 まったく人騒がせな。 おかげでこっちは寝不になったではないか! 厳しい処分をして欲しいもんだ。
    船がまだ沖に出ている間に、我々の仕事はメンバーの交代があった。 かなり天候が悪く風が強く波も荒かったのだが、その悪天候の合間をかいぐってちいさなモーターボートが船から降ろされた。 ここで下船をする人たちはなんだか頼りない縄梯子を伝ってボートまでおりなければならない。 この高さは20メートルくらいはある。 私はハワイで夜明け前の真っ暗な海でこれをやったことがあるが、今回他人がボートに降りていくのをみているほうがよっぽども怖かった。
    翌日今度は港からやってきたボートから船に乗ってきた交代の作業員がやってきた。 その日の海は前日よりもずっと荒れており、小さな船は前向きに跳ね上がっては直角に落ちるという揺れを繰り返して中にのっていた人々はすべてびしょぬれ。しかもその後に風でゆれる縄梯子を上ってこなければならない。 若い船の乗組員と違ってこの作業員のほとんどは中年太りのおっさん連中がほとんど。 最後に自分の体を船まで持ち上げられないひとも何人かいた。 何せはしごはまっすぐではなく、最後の方はオーバーハングの坂になっているのだからほとんど腕だけではしごにぶら下がる形になる。 ひとつのステップを登るごとに懸垂をしているようなものだ。 私はこのグループにいなくて本当によかったとつくづく思った。
    あ~これは女のする仕事じゃないなあ、、しみじみ、、、
    11月最後の木曜日は感謝祭。 カカシはパンプキンパイを作る予定。 しかしその前になんとかカリフォルニアに帰らなくては、、


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    日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴

    先日、私が日本の保守派としてよく参考にさせていただいている極右評論の瀬戸さんらが主体となって維新政党・新風という新しい政治運動が結成された。 
    この新政党結成にあたり、瀬戸さんが大事な項目として次のことを挙げておられる。

    我々は次の項目を維新政党・新風に要望しました。
     教育の正常化        日教組の解体・道徳教育の復活
     安心・安全な社会      不法滞在外国人の強制送還
                      入管法の強化・雇用者罰則強化
     在日特権の廃止      特別永住資格付与制度の見直し
     人権擁護法案に反対   部落解放同盟の同和利権阻止
     外国人参政権に反対   国籍条項の完全徹底を図る
     「政教一致」問題      公明党の政界からの追放!
     国家反逆罪の制定     極左・総連・カルト宗教の解散
     国防体制の強化      非核三原則の廃止・核保有論議の推進
     偏向マスメディア      マスコミ監視制度の創設・特権の廃止

    瀬戸さんが挙げておられる多くのことが、アメリカの社会問題とも非常に通じるところがある。 教育問題しかり、同和問題や不法滞在外国人や、在日朝鮮・韓国人への特別永住権の問題などはアメリカ社会の人種問題や移民問題と酷似しているといっていい。
    こういう問題を取り上げ、既存の法律を改正すべきであると唱えると、必ず左翼の方から「人種差別だ!」という脊髄反射的反応で批判されるので、保守派がこれらの問題を扱うときには充分な注意が必要だ。 特に改正案が講じて本当の人種差別になってしまう危険が存在することは事実なので、そのようなことは断固避けねばならない。 しかし、だからといって存在する問題にいつまでも目を瞑っていては事態は悪化するばかりである。
    そこで私が気になった人権擁護法案と移民問題の二つの項目に絞って日本とアメリカを比べてみたいと思う。 この際読者の皆様にご理解いただきたい点は、私は日本で大人をやったことがないので、日本の社会問題をきちんと理解しているとは言いがたい。 最近になってネットを通じ、日本の状況が以前よりはわかるようになってきたとはいえ、地元で肌で感じるものとは程遠いと考える。 いわゆる鼓動が今ひとつ聞こえてこないといったところだろうか。 だからもし私の比較のなかで日本の状況に関する無知から来る頓珍漢な解釈があったら、読者の皆様からご遠慮なくご指摘いただきたいと思う。
    人権擁護法案とアファーマティブアクション 
    人権擁護法案というものをネット検索でザット読んだ限り、この法案が言論の自由迫害につながる危険性は充分にある。 また企業などが雇用方針が差別的であるという理由で起訴されやすいという危険性も多く含まれている。 ここで訴訟社会のアメリカにおいて人権擁護の目的で1960年代に設立されたアファーマティブアクションがアメリカ社会にもたらした悪影響を少し考えてみよう。
    アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。 それまでジム・クロー法などといった悪法にいより、黒人と白人が同じ公共施設を使用できないという現実があり、同じ職業でも黒人と白人では給料に格差があったり、少数民族や女性がつける職業は限定されていたりと、色々な差別が存在していたことを是正するのが目的であった。
    ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった。 雇用、大学入試、アパートなどの賃貸契約、レストランのサービスに至るまで、アファーマティブアクションがやたら介入してくるようになったのである。 
    大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており、詳細は学校によって違うがここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。 これは文化の違いによるのだが、黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。 ということは同じ大学へ志願しているにもかかわらず人種によってその倍率が全く違うということになってしまうわけだ。 
    たとえば単純計算である大学の100人の枠のなかで、黒人志願者が20人、東洋人志願者が100人だったとする。 同じ大学へ志願したにもかかわらず黒人の志願者は全員入学できるが、東洋人の合格倍率はなんと10倍。 嘘みたいな話だがこれは実際に起きたことなのである。
    数年前にカリフォルニアのバークレー大学に志願した中国系の女性が通知表はほとんど完璧、全国学力テストの成績もほぼ99%という優秀な成績だったのに不合格、同時に合格した黒人生徒の学力テストの成績は60%代だったという事件が発覚した。 東洋人も黒人ほどではないにしろ、人種差別の対象になってきたことは事実なのだが、持ち前の努力と勤勉さでいまやアメリカ社会では有能な人種として尊敬されている。 だが、それが裏目に出て東洋人を人種差別から守る目的で決められた下限の枠がかえって東洋人を差別する上限となってしまったという変な状況が起きてしまったのである。
    それで生徒達の間でも、黒人生徒は頭が悪いという先入観をもたれるし、学力不足で落第する生徒もあいつぎ、かえって黒人への差別意識を高くしてしまうという悪影響がおきた。 ちなみに東洋人生徒は頭がいいという先入観があることも事実である。 特に理系は得意だというステレオタイプがあるため、私など大学時代化学の実験パートナーになってくれという申し込みが殺到して困った。 カカシは化学は大の苦手なのに~! (カリフォルニアの公立大学では人種による枠決めは14~5年前から廃止されている。)
    さて、アファーマティブアクションが適用されるのは大学だけでなく、雇用の際でも同じである。 黒人運動のリーダー的存在に、ジェシー・ジャクソンという人物がいるが、彼とその中間達は、大企業などの雇用方針が黒人差別を行っているといいがかりをつけては訴訟を起こすという行為をくりかえしていた。 大抵の企業は人種差別のレッテルを貼られて訴訟をおこされては会社のイメージにかかわるということで、裁判沙汰になる前に急いで示談にしてしまう。 つまり、ジャクソン氏の一連の訴訟は裁判を脅しにつかった恐喝に他ならない。 日本でも同和開放同盟などが同じような行為をしているのではないだろうか?
    アパートの賃貸などでも差別をしてはいけないことになっているが、白人のおばあちゃん一人で管理人をやっているところに、人相の悪い黒人のギャングバンガーのような男がひとりでアパートを借りにきても、おばあちゃんはやたらにこの男性を断れない。 実際に夜中に仲間のギャング達がアパートにおしかけ夜毎大騒ぎをしたり、麻薬売買などをやることは目に見えていてもである。 また私の昔の知り合いのメキシコ系アメリカ人女性は、メキシコ人には部屋は貸さないと私にささやいたことがある。 それはメキシコ系夫婦に部屋を貸すと、いつのまにか親戚一同50人近い人間が合同宿舎のように寝泊りするようになるからだという。 だが、もしこの女性がメキシコ人だから部屋は貸さないなどと言えば、人種差別の法律に触れることになるのである。
    また最近では、アラブ系の若い男性に照準をあてて空港などの警備の対象にするいわゆるプロファイリングも、人種差別だと言われて出来ない状態にあることも付け加えておこう。
    人種差別をなくす法律はあるのか?
    私はそんなものは存在しないと考える。 人種差別という個人的な感情を法律で規制することなど出来ない。 差別をするなといって強制的に嫌いなもの同士を一緒に勉強させたり仕事させたりしては、かえって反感を買うのがおちである。 
    ではどうすればいいのか。
    私は人種や男女を差別する法律さえ取り除けば、後は市場が解決すると考えている。 (人種差別をする法律とは、過去のジム・クロー法のように、同じ公共施設を黒人と白人が使ってはならないとか、黒人や女性が一定の職種につくのが禁じられているとかいうような悪法を意味する。)
    たとえばあるレストランの経営者が、「黒人お断り」の看板を出したとしよう。 このレストランがどういう場所にあるかによるが、黒人客は無論のこと、黒人を含んだ他人種のお客や、白人客でも、「こんな人種差別をするような店で飯など食えん」といって敬遠するだろう。 お客がこなければ商売にならないのに、わざわざ一定の客を遠ざけるような商売方針は愚の骨頂というものだ。
    また黒人だからという理由で有能な人材をみすみす見逃せば、企業にとっても痛手である。 たとえば黒人だからとか女性だからという理由で多くの企業が彼らを雇わなかったとする。 これを利用したある企業が有能な黒人や女性を白人男性より低い給料で雇ったとしよう。 雇われたほうも別の企業で低レベルの仕事をしているよりは給料がいいので、この会社にとびつく。 他では雇ってもらえないことがわかっているから企業への忠誠心も強い。 そこでこの企業は人件費を節約して儲けが上がるという寸法だ。
    金の力は強いから、他の企業もこれを見習ってだんだんと黒人や女性を雇うようになる。 そうすると彼らの給料はだんだんとあがり、いつの間にか白人と変わらない状態になる。 これにて人種差別は事実上消えてしまうのである。
    このように人権擁護法などというものは、一見少数民族の人権を守るために作られるもののように見えるが、現実問題として一部の市民団体の政治勢力強化に悪用されるのがおちであり、実際に差別を受けているひとたちは、この法律によって一般市民が得る反感によってかえって差別がひどくなる可能性の方が大きいと考える。 差別をなくすために必要なのは特別な擁護法ではなく、差別が悪いことだという道徳的な教育からはじめることだ。 差別意識のある人々に法律で差別をするなと押し付けてみてもかえって逆効果である。
    長くなるので移民問題に関しては次回へ続く。


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    求むイスラム教メソジスト!

    English version of this post can be found here.
    さてさて、私は西洋の宗教キリスト教がしたように、イスラム教にも改革の希望はあると書いてきたが、そのことについてミスター苺が2005年の9月に書いているので、その記事をここで紹介して今週のイスラム教談話を完結することにしよう。
    私は昨日、西洋の政治家たちが「イスラム教は平和な宗教だ」と言い続けることは大事だと書いた。 しかしミスター苺はこれには全く反対の意見をもっている。 なぜならミスター苺もロバート・スペンサーと同じ意見で、コーランそのものに暴力を奨励する節がある以上、イスラム教は平和な宗教だという解釈は間違っているという。 そんな口からでまかせをいっても、コーランの裏表を知り尽くしている敬虔なるイスラム教徒を説得することは出来ないというのだ。
    ではイスラム教には希望はないのか? ただただこのまま暴力を繰り返し我慢しきれなくなった西洋社会に滅ぼされる運命なのか? いや、そうではない、とミスター苺は語る。 イスラム教にも希望はある。 だがそのためにはイスラム教は中世にキリスト教が行ったような宗教改革が必要だというのだ。
    歴史を振り返ってみれば、キリスト教も決して「平和な宗教」などではなかった。 何世紀も前のキリスト教はいまの過激派イスラム教に勝るとも劣らないほど暴力的な宗教だった。イスラム教徒のようにユダヤ教徒と不信心者を攻撃していただけでなく、背教者、異教徒、(神に対する)不敬者、魔女、想像できるありとあらゆる人々が攻撃された。 悪名高き十字軍、Torquemada、Kramer そしてSprengerなどがいい例である。
    しかし、協会は色々な課程を踏みながらついに自ら改革をすすめた。 すべてが同じ時期に起きたわけではないし、世界中のあちこちで同時に起きたわけでもない。だがだんだんとキリスト教の「宗教革命」は成し遂げられた。 そしてその結果キリスト教は今日ある姿に生まれ変わったのである。
    今日、カトリック、バプティスト、ロシアオーソドックスの協会が通りを隔てて同じ町に建っているなどというのは普通だ。お互いの牧師や神父たちが仲良くチャリティー運動を一緒にするのも珍しくない。
    またキリスト教徒もユダヤ教徒も厳密な意味での宗教の教えを実施する人々はほとんどいない。 だから例え敬虔なクリスチャンとかユダヤ教徒とか言われる人々でも、現実的には家族、近所付き合い、仕事などが優先される。 そしてこれはいいことなのだ。 我々はキリスト教徒のお隣同士で住んでも、ユダヤ教徒だといって迫害されることはないし、我々もお隣がコーシャーでないからお呼ばれされてもいけないとか断る必要もない。 (カカシとミスター苺が結婚式を挙げた裏のユダヤ寺院のカンターが駐車場でマクドナルドのチーズバーガーを食べてたのをカカシは目撃したもんね!)
    つまり、ミスター苺はイスラム教にももっと多くのメソジストが必要だというのである。
    個人的なレベルではイスラム教メソジストはすでに多く存在している。たとえば私の同僚にはアフガニスタン出身のイスラム教徒がいるが、彼は一日に何回もメッカに向かってお祈りなどしないし、ラマダンの時期でもちゃんとお弁当を食べているし、企画終了の打ち上げのときにはビールも飲む。 それでも彼は自分をイスラム教徒だと考えている。 カカシが行った大学の同級生には何人もイスラム教徒がいたが、私が間違って豚と牛の合い挽きでシュウマイを作ってしまったときでも、豚と知ってて皆たべていた奴が結構いた。 明らかに我々はこのようなイスラム教徒と戦争をしているわけではない。
    こうした人々は自分達のことをイスラム教徒だと考えてはいても、それはもっと自分の内部のことだと解釈している。 たとえばシャリアとは自分の心の中の葛藤であると考えることによって、普通の生活がそれに従うことから開放されるというように。 大事なのはイスラムを現実の生活から引き離して、死後の世界のものとすることである。 日常生活に支障をきたすような面倒くさい儀式や習慣はこの際だから捨て去ることだ。 オーソドックスのユダヤ教徒でさえも、きょうび妻が生理の時に汚らわしいものといって触らないなどという人はいないのと同じだ。(Leviticus 15:19).
    このような穏健なイスラム教徒はいくらでもいるはずだ。いや、たとえ熱心なイスラム教徒でシャリアを自宅で実施しているひとでも、イスラム教徒でない人間をすべて殺したいなどと考えている人はそうはいないはずだ。 いや実際の話このような穏健派は大多数に違いない。
    だが、問題なのはイスラム教徒の運動団体はどこの国でも皆かなり過激であり、テロリストにも同情的だ、アメリカのCAIRなんてのがそのいい例である。 彼らの存在は非常に危険だ。 なぜなら穏健派イスラム教徒が見る公のイスラム教グループが皆過激派であることから、穏健派である自分には何か問題があるのではないかという疑問を抱くようになるだろう。 そして自分の意見を聖廟などで表現するのは控えめになるはずである。 やたらにイスラム過激派を批判するような行動はイスラム社会から村八分にされるだけでなく、命の危険すら伴う可能性があるからだ。
    もしも多くの穏健派イスラム教とが、イスラムメソジスト運動を起こし、組織を作って自分らはひとりではないということをイスラム教徒内部で訴えることができれば、この動きはだんだんと広まるのではないだろうか。 憎しみにはエネルギーを要するから、普通の人は自然と穏健派メソジストの方向へ魅かれるのではないだろうか。
    多くの男達が静かな絶望感をもって生きていると言う。どれだけ多くの穏健派イスラム教とはこの「静かな絶望感を持って生きている」のだろうか? どうにかしてこの人たちに絶望的な行為に走らないよう説得できないものだろうか?
    追記: イスラム教徒が独特である事には二つの理由がある。イスラム教の創設者であるモハメッド自身が戦士であり、戦闘を指揮した経験のある人間だということ。 もうひとつはモハメッドは長生きしすぎたため、老齢になって機嫌の悪い爺さんになってから、彼を拒絶したユダヤ教徒への憎しみに満ちた愚痴が救世主の言葉として記録されてしまったということがある。 これらの点がこのイスラムという宗教をどのくらい暴力的なものにしているのか知る由も無いが、前にも書いたとおり、今は平和な宗教として定評のあるキリスト教にも、暴力的な歴史はあった。
    中世の人たちが考えていた宗教と、現代人が考える宗教とでは全く天と地との差がある。 現代人には宗教が理由で何年も戦争をしていた十字軍の頃のキリスト教徒の心情などとても理解できない。
    彼らの生きていた世界は現代の我々の生きる世界とは全く別な世界なのだ。 イスラム教だってそのくらいの年月がたてばどのくらい変わるか解らない。 イスラム教のためにも、その日が来るのに数百年もかからないことを祈ろう。 そうでないとこっちが持たない。


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    カカシの船中団体生活

    カカシが寝泊りする寝室は団体部屋で、普通のリビングルームほどの広さに30人からの若い女の子達がひしめいている。 ベッドは三段ベッドが10台あるわけだが、天井は低いからベッドに座って起き上がったら頭をぶつける!ベッドには、はいつくばって出入りするしかない。 ベッドの丈は約180センチ、それより背が高いひとは足を折って寝るはめになる。 (カカシは背が低くて助かった)幅も狭いから二段目や三段目に寝る場合には寝返りをうつと落ちてしまうので要注意。 大抵の人たちは三段目を嫌うので、私のような常備の乗組員でない人間がいくと、必ず三段目があてがわれる。 足の短い私が寝ぼけ眼でベッドを上ったり降りたりするのはかなりたいへん。 (背が低いのがここでは災い)
    この三十人部屋にあるトイレは二つ、シャワーはひとつ! この狭い部屋にこれだけの人数が一緒に寝泊りしていると嫌がおうでも気がつくのが臭い。 女の子達は清潔なので、トイレや部屋の掃除は毎日しているけれど、大勢いれば体臭は避けられない。 そこで女の子達は部屋のあちこちに置かれている花の香りの脱臭剤スプレーをしょっちゅうかけるので、これがまた個人の香水だの化粧水だのの臭いとまざってものすごい。 三段目のベッドにいると天井に上ってくるこのガスの臭いで息がつまる。 それでなくても私は鼻が利くほうなので。 私が犬だったら気が狂っているところだ。
    船の中は色々な音がする。 エンジンの音や波の音、その他色々な機械類の音は慣れてしまうと結構子守唄のようで心地よい。 ただ気になるのはそれぞれの乗組員ガ使っている何百万という目覚まし時計の音! 乗組員はそれぞれ皆違う時間帯で仕事をしているため、みな起きる時間が別々なのである。 それで真夜中を過ぎると朝6時まで毎時間どこかでビービーという音がする。それぞれの時計は少しづつずれてるから数分に渡ってあちこちからビービー、ジージー、りんりん、とベルが鳴り響く。 なかにはアラームがなってもすぐ起きない人がいて何分もベルがなりつづけるので、「さっさとおきなさい!」と心の中で叫んでいるカカシ。
    そしてもちろん6時になれば、起床の笛がスピーカーを通じて「ぴーひゃらら~!」と鳴り響く。 私は船に乗ってる間自分の時計の目覚ましなどつかったことがない。 これだけ周りにビービーいってちゃ、どれが自分の目覚ましなんだかわからなくなる。 セットするだけ無駄である。 自慢じゃないがこれでも私は寝坊は一度もしたことがない。
    団体生活で一番苦痛と思われるのがプライバシーの欠如。 人によってはこれが全くだめらしいが、私はこれが全くきにならない。 同じ時間に10人以上の人間がトイレに行きシャワーを浴び歯を磨いているような生活で、プライバシーなど気にしていては生きていけない。 女の子といえどもゲップもすればおならもする。そんなこと気にして余裕はない。 もっとも私は船にのってる間はなるべく豆類は避けたけどね。
    棺おけベッドとあだ名される我々のベッドにも、一応カーテンはついているので、ベッドに寝そべってヘッドフォンをつけて閉じこもり、わずかなプライバシーを守る人もいるが、私はイスに座って本を読んでるだけで充分幸せ。 前回の航海ではダビンチコードを読んでしまったし、今回の航海ではトム・クランシーの分厚い二部作をすでに半分読んでしまった。
    だからまあ航海も完全に無駄というわけではないのよね。


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    何故西洋社会はイスラムの事実を認めないのか?

    さて、イスラムについて文明社会が知るべき事実、シリーズ三段目の最終回はおなじみロバート・スペンサー氏のおでましである。
    スペンサー氏は、西洋社会は悪の根源はイスラム教にあるという明白な事実を受け入れようとしないと語る。この事実はイスラム教の教えをみれば誰にでもわかる事実だという。 本来ならば「イスラムについて、、」のようなドキュメンタリーはハリウッドの主流映画会社が作るような作品であり、多くの人々にイスラムの脅威を知らしめる必要があるのだと。
    にも拘わらず主流メディアはこの事実を無視しようとする。 しかしこの事実を永久に無視し続けることは不可能だと氏は語る、なぜならこの事実に真っ向から立ち向かわなければ我々は自滅してしまうからである。
    シューバット氏はコロンビア大学で演説した時に受けた生徒達からの反応をこのように語る。

    私の演説のなかで、私はイスラムへの批判のみならず、プロテスタントの変革者マーティン・ルーサー の書いた「ユダヤ教とその嘘」についても批判しました。また私はマーティン・ルーサー・キングJRが黒人の人権のために戦ったと讃えたにもかかわらず、生徒達からは人種差別者、偏見主義と批判を受けました。 どうして私がマーティン・ルーサーを批判したことについては誰も私をキリスト教への偏見だと批判しないのでしょうか?

    ここまではよく聞く話だが次のシューバット氏の話には衝撃的だ。

    私がテロリストだったときには世界は私を解放戦士と呼びました。 私が「解放戦士」だったときは私は「ユダヤ人はシャイロックだ、イスラエルは人種差別政権だ、(アメリカの)議会もメディアもユダヤ人によってコントロールされている」と言いたい放題でした。 その頃は私はユダヤ人を憎んでいました。でもこのごろは気が変わってすべての人々を愛するようになると、私は人種差別者とレッテルを貼られるようになったのです。

    しかもシューバット氏がテロリスト時代に言っていたようなレトリックがいまではアメリカの大学教授らが普通に言っているというのだ。 彼らがテロリストの味方といわれず、シューバット氏が人種差別者と言われるなんて逆さまではないのだろうか? またシューバット氏はイギリスのBBCでインタビューを受けたとき、こんな応答をした。

    インタビュアーは私に「今日の問題は原理主義にあるのでは」と聞くので私は「キリスト教の原理主義は我々に頭痛を与えるだけだが、イスラム教の原理主義は我々の頭を肩から斬り取るんですよ」とこたえたところ、速やかに感謝され出口に案内されました。

    私はこのブログでも何度か文明社会がイスラム教徒全体を敵に回すことの危険性を主張してきた。 だから私は悪の根源はイスラムの教えにあるというこのドキュメンタリーの製作者たちの意見には全面的に賛成できないでいる。 特にシューバット氏はイギリスのブレア首相がイスラム教を「平和を愛する宗教」だと何度も繰り返すことに関して、愚かなのか嘘つきなのかどちらかだろう、と言い切ることには全く同意できない。
    ブレア首相ほど対テロ戦争に関して自分の政治生命を犠牲にしてまでブッシュ大統領と一緒になって努力してきた政治家はいない。 ブレア首相ほどイスラムテロリストの脅威を正しく理解して戦い続けなければならないと主張した人はいない。 私は911事件以後のこの世の中にブレア首相という立派な政治家がイギリスにいてくれたことを何度神に感謝したか知れない。
    「イスラムについて、、」の製作者たちがわかっていないのは、政治家達がイスラムを「平和な宗教」だと主張し、テロリストは過激派であり、本来のイスラム教の教えを歪曲しているのだと語るには理由があるということだ。 イスラム教の人口は12億といわれている。 この中で過激派は約一割というではないか。 彼らはその一割の過激派と戦うために我々文明諸国に対して12億の人々全体を敵に回せというのか? 
    無論、数や欧米の戦争技術をすれば、12億の敵をもってしても西洋社会がいずれは勝つだろう。 だが、もしそのような戦争がおきれば、第2次世界大戦どころの騒ぎではなくなるということがこのドキュメンタリーの製作者たちにはわかっているのだろうか?
    イスラムの教えそのものに問題があるという事実は私も認める。 その事実から我々が目をそむけてはいけないという事実も認めよう。 しかしながら、12億からいるイスラム教徒全体を敵に回して我々が得るものは何もない。
    キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー、どの宗教をとってみても、詳しい読み方をすればあらゆる部分で暴力を容認する節を見つけることができるはずだ。 これらの宗教の歴史のなかにも他宗教を排斥し虐待してきた事実があるではないか。 だがこれらの宗教が現在の平和的な共存をみつけたのには理由があるはずだ。 その変革がイスラム教だけには出来ないと断言してしまうのはあまりにも乱暴ではないだろうか?
    イスラム教徒でも大抵の人々はテロリストではない。 大抵の人々はただ普通に自分らのささやかな生活を守って生きたいだけの人々だ。 彼らが心のよりどころとしているイスラム教を真正面から批判するよりも、イスラム教を正しく解釈せよと促すことのほうが建設的ではないだろうか? 我々はイスラム教徒でありながら穏健派の道を選んだ沈黙の多数派に注目し、何故それが可能なのかを考える必要があると思う。
    私はこのようなドキュメンタリーが作られることには賛成だ。 そして多くの西洋人が(日本も含む)イスラム教の脅威を学ぶべきであるとも、アメリカの教育の場でイスラムを美化した嘘が教えられているという事実を暴露し変えていく事実も必要だと思う。 だが、政治家達は今までどおりイスラムは本来は平和な宗教であるというレトリックを言い続けるべきだ。 そしてイスラム教徒ら自身にその「事実」を納得してもらい、暴力的な過激派ジハーディズムを拒絶してもらよう努力すべきだと考える。
    本来のイスラム教の実態への教育は政府レベルではなく、草の根運動でやっていくべきだと私はおもう。


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