私が過激派イスラム教徒に対して持っている印象は、彼らは非常に幼稚な文化だということだ。 彼らは自分の要求が通らないとかんしゃくをおこして道路に寝転んでぎゃーぎゃー騒ぎ立てる3歳児と全く同じである。 
彼らは我々文明社会の宗教や慣習を尊敬したことなど全くないのに、自分らの宗教を多少でも批判されると大騒ぎして暴動を起こす。 アメリカでもヨーロッパでもイスラム教徒に関してちょっとでも気に入らない表現があると、誰に選ばれたでもない自称イスラム教徒代表なる怪しげな奴らが大声を張り上げて「人権侵害だ」「宗教差別だ」といって抗議に出てくる。
イスラムの過激派はその12億の信者のうち一割がただという話だ。 沈黙の多数派といわれる人々のなかにも穏健派として、この過激派イスラム教徒のダブルスタンダードを批判する勇気あるイスラム教徒たちが何人か存在する。
アラブ系アメリカ人心理学者のワファ・スルタン(Wafa Sultan)女史がそのひとり。 彼女が今年のはじめアルジェジーラのトークショーでした演説は有名なのでもうご存知の方々もたくさんおられるだろう。 下記はその一部。

ユダヤ人は(ホロコーストの)悲劇を経験しましたが、世界を感服せしめました。テロではなく知識で尊敬をかちとったのです。怒号や絶叫ではなく知の力で感服せしめたのです。19世紀、20世紀の科学の進歩発展上、人類はユダヤ人科学者に負うところ極めて大なのです。ユダヤ人口1500万。世界各地に散在しますが、力を合わせ仕事と知識で権利をかちとったのです。ドイツのレストランで自爆するようなユダヤ人は、ひとりもいませんでした。キリスト教の教会を爆破したユダヤ人も、ひとりだっていなかったのです。人々を殺しまくって抗議と称したユダヤ人など、ひとりもいませんでした。

ムスリムは、(バーミアンの石窟)仏像3体を爆破し、こなごなにしてしまいました。我々は、モスクを焼き打ちにしたり、ムスリムを殺したり、或いは大使館を焼き打ちにする仏教徒を、ひとりでも見たことがありません。自分の信仰を守ると称して教会を焼き打ちしたり、人を殺し或いは大使館を破壊しているのは、ムスリムだけです。このやり方、この道は何の成果も生みません。ムスリムは、人類は自分達を尊敬せよと要求する前に、人類のため自分達に何ができるか、と自問しなければなりません。

イギリスのアラブ系ジャーナリスト、アデル・ダルウィッシュさんもそのひとり。 先月イギリスの国会議員がイスラム教女性のベールが彼女らと他のひとたちとを遮断するバリアーになっているという発言をしたことで、自称イスラム教徒代表の「男性」連中から批難をあびたことについて、こんなことを書いている。

〝ムスリム指導者〟は、ストローが〝間違った祭壇〟からベールを論評する、と非難する。彼等の言葉では、彼等が受入れる祭壇とは、地方のモスクやイスラムセンターであり、議会や選挙区とは全くかけ離れた存在である。これはダブルスタンダードの典型例である。何故ならば、この〝ムスリム指導者〟は選出された存在ではなく、自分だけを代表する。問題の地方のモスクは、イマムの統制下にある。居住国の国語を喋らず、参考図書室にあるのは、パキスタンの中等コーラン学校の教科書である。イスラム文化センターなるものの大半は、金を与える者の政治主張を開陳する場でしかない。資金提供者はイギリスの外に住み、イギリスの有権者による監視は全然うけない。

ベールをつける女性達と国民代表として自由選挙で国会議員に選ばれた人との対話は、何年も続いていた。ストロー議員がこの話を地方紙で発表しなければ、公けにはならなかったであろう。議員は古い民主的伝統に従って、事務所を一種の選挙区診療所として使っている…週に1回有権者に開放し、悩みを聴き有権者の問題解決を助ける。そして有権者に代って問題や提案を議会に提出する。ストロー議員の場合、有権者の3分の1はムスリムである。
読者に聞きたいが、有権者に関心のある諸問題を論じる時、二つの祭壇のどちらにより正当性と代表性があるのだろうか。民主的な選挙でムスリム住民を含む市民の代表として選ばれた議員か。それとも、選ばれてもいない人間に統制され、資金提供者が誰なのか神のみぞ知るイスラムセンターなのか。

そして私は過激派イスラム教のわがままを決定的に指摘しているのがこの部分だと思う。

怒声を張りあげる少数派は、〝ムスリム人民の文化〟を理解しないとして西側を非難する。それでは尋ねるが、そういう君達はイギリスの文化を理解しようとしたことがあるか?例えば私の妻は、イスラマバードの庭園でビキニ姿になって静養するなどということは、夢にも考えていない。同時に、イギリスの文化では、ベールで顔全体を覆い隠すことはいわずもがな、サングラスをつけて他人と話をするのは、礼儀正しいことではないし、気配りのある行為でもない。この国には、表現、思想の自由があり、個人に解釈の自由を認め、男女平等である。これがこの基本的な文化概念である。少数派のなかの一少数派の権利という口実で、この国の文化をあなどり、無視するのは如何なものか。この国の基本的文化を理解しようともしないのに、何故この国にわざわざ来て住むのであろうか。

まさしくその通りだ。


1 response to 過激派イスラム教徒へ穏健派が挑戦!

MikeRossTky17 years ago

ほんとに当たり前のことが言えないアラブの社会。穏健派にがんばって欲しいですね。
MikeRossTky

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