2001年6月、私は南カリフォルニアにあるとある大学を通常の4年より一年よけいに5年かかって卒業した。ちょうどハイテックブームのバブルが弾ける時で、卒業したはいいが就職が全然決まらなかった。零細専攻だった我が学部の卒業生はたったの12人。200人の新入生で始まったのにお粗末なもんである。にも関わらず卒業生の半分は就職がきまらず、同級生のカーロスは私にいった。「空軍に入ろうと思ってるんだけど、海兵隊にもさそわれてて、、」
2001年7月、大学の職安で4月に面接したロサンゼルス近郊の企業から採用の手紙がきた。8月か9月、都合のいい時に初めていいといわれた。就職したらすぐには休暇はとれないだろう、そう思って8月いっぱいは日本へ帰ることにした。「9月の最初の週にはじめます。」と返答した。カーロスからやっぱり海兵隊はやめて空軍にしたとメールがはいった。
2001年9月11日。私はその週にはじめたばかりの職場に向かう途中だった。ちょうどその日は火曜日で、新入社員は全員「対テロ応対セミナー」に出席することになっていた。職業柄海外出張が多いのでハイジャックされた時の対応や出張先での身の回りの安全を守るためのセミナーだと説明されていた。早朝出勤したかった私は6時ちょっと過ぎに家をでた。西海岸6時5分、ニューヨークは9時5分だった。
車にのっていつものラジオをつけると、朝のDJではなく夕方のDJ、ラリーエルダーの声がした。「アメリカの歴史はじまっていらいの悲劇です。こんなことがおきるなんて、、、」と明らかに感情的なエルダーの声。「何? なんだって?」私はラジオの音量をあげて聞き返した。「同時多発テロです、、」とラジオ。
「テロ? え、どこで? なにが? え?」
エルダーが電話で現場のアナウンサーとはなしている声が聞こえた。なにかひどいことがおきたことはわかったのだが、いったい何が起きたのかさっぱりわからない。実際には多分2〜3分のことだったのだろうが、何時間も宙ぶらりんになっていたような気がする。やっとエルダーが「ニューヨーク時間で9時ちょっとまえに貿易センターに旅客機が二機つづけて突撃しました。」と説明した。
私はその時自分がなにを感じたか覚えていない。ショックを受けたなどという言葉では言い表せない。私は詳細を知りたくてラジオの声をいっくいっく噛み締めていた。その時現場にいたアナウンサーが貿易センターの窓から人々が手を降って助けをもとめていること、炎にたえきれなくてビルから飛び下り得ている人々がいることを伝えていた。そしてその言葉を途中で遮る破裂音がした。「なにか爆発したみたいです」とアナウンサー。でもそれは爆発ではく、第2棟が崩れる音だったのである。
そのあと私は第一棟がくずれるのもラジオの実況中継できいた。一時間近く私は呆然と高速を運転した。
職場について駐車して車からでて立ち上がると、私はひどいめまいがした。車に寄りかかって落ち着きを取り戻すまでしばらくかかった。
「なんてことだ、なんてことだ」
私は目の前がかすんでくるような気がした。周り中の建物がぐるぐる回ってみえた。私の平和な世界が目の前で貿易センターと共に崩れていくのを感じた。
2001年9月11日。すべてが変わってしまった。


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