よく、世間ではテロが起きる原因が我々文明社会による第三世界への弾圧であるという意見を聞く。だから我々が第三世界を理解し、彼等の要望に答えるような好意的な姿勢をみせさえすればテロは防げるという理屈である。だがはたしてそれは事実なのだろうか?
今回のレバノン戦争について考えてみよう。言ってみれば、この戦争は1999年にバラク政権が国際社会の圧力に屈してイスラエルをレバノンからの撤退させようと決意した時から始まったといえる。
パレスチナのハマスがイスラエル兵を拉致した事件をきっかけに。イスラエルによる「過剰」な反応はハマスも、ヒズボラのナスララをもうろたえさせた。彼等がこのように驚いたというのも、イスラエルが1990年代からテロ対策にはずっと妥協路線をとってきたことに起因している。
反イスラエルの人間は認めようとしないが、1980年代後半から1990年代全般にわたり、イスラエル内部では平和運動が盛んになっていた。長年に渡る戦争でイスラエル市民は疲れていた。国連を初め国際社会の批判の的になるのにも嫌気がさしていた。ほんの数カ月の占領で終わると思っていたレバノン占領は16年も続けられ、徴兵されてレバノン南部の警備あたるイスラエル兵たちは平和に暮らしている地元民から憎まれ、たまにテロリストから攻撃され殺されたりしていた。徴兵任務を終えて平和運動家に走る若者も少なくなかったのである。
だからイスラエル市民はイスラエル政府に妥協を求めた。平和をまもるため多少の犠牲は仕方ない。こちらから歩み寄りの姿勢をみせれば国際社会もみとめてくれるだろう、敵も理解を示すだろう、という気になっていたのである。しかしこれはイスラエル市民の切羽詰まった藁をもすがる思いであり、現実とはほど遠いものだった。
南レバノンからの撤退はイスラエルがずっと考えていたことではあるが、この撤退をどういう形でするかはまだ議論の余地があった。当時レバノンにはヒズボラ以外にSLAという民兵軍が存在していた。彼等はシーア派、スンニ派、ドルーズ、キリスト教徒、からなる同盟軍でイスラエルの味方だった。レバノン南部はイスラエルに支援されたレバノン軍とSLAがヒズボラの侵略から守っていた。
しかしバラクはイスラエル内部のエリートたちからの圧力もあってSLAを見捨てて、イスラエル軍を撤退させた。しかもそのやり方は乱暴で急速に行われたため、まるで追い詰められた軍隊が遁走するかのような印象を与えた。私は当時のニュース報道で、イスラエル軍がほとんどパニック状態で撤退したのを覚えている。
イスラエルからの支援を受けられなくなったSLAは簡単に崩壊し、南レバノンは完全にヒズボラに占拠されてしまった。
以前にも書いたように、このことで喜んだのはヒズボラだけではない。パレスチナのテロリスト達もヒズボラによるテロ攻撃がイスラエルを領地から追い出すのに成功したと解釈したのである。これがパレスチナによるいわゆ第二インティファダとよばれる連続テロ攻撃の始まりであった。
イスラエルの好意はアラブ諸国いは「弱さ」と捉えられたのである。
911の記念日が近付くにつれ、オサマビンラデンの演説が改めて見直されているが、彼はアメリカは張り子の虎だときめつけていた。アメリカは何でも途中で投げ出す臆病者だと。その証拠に、ベトナムをみよ、レバノン撤退を見よ、サマリアをみよ、と列ね、1990年代に連続で起きたテロ攻撃にたいしてクリントン大統領がほとんどなんの報復もしなかったことを挙げている。
イスラエルはテロリストと妥協をして平和を得るどころか新しい戦争への糸口をつくってしまった。アメリカは20年間に渡りテロの脅威を無視してきたことが祟って911を招いてしまった。二つの国に共通していることはテロリストたちに背中を見せたことにある。攻撃の隙をつくってしまったことにある。
アメリカの民主党は何かというと難かしいイラク情勢をみて、うまくいっていないから損を最小限に押さえるためイラクから撤退すべきだという。ブッシュ大統領には出口計画がないという割には民主党の政策は「切り捨て遁走」以外にない。。
だが私は知っている。アメリカがベトナムを見捨てて撤退した後、南ベトナムの人々が共産主義者の北ベトナム人に虐殺されたことを。ベトナム難民のひとたちから「どうしてアメリカはベトナムを見捨てたのか」と悲痛な訴えを何度もきいた。空爆だけでも援助してくれれば南ベトナムは十分に北にたちむかえたのに、民主党の「切り捨て遁走」政策を個人のスキャンダルから我が身をすくおうとして共和党のニクソン大統領が受け入れてベトナム人は犠牲になった。
もし今アメリカがイラクをされば、ベトナムの悲劇が再び繰り返されるだろう。イラクはテロ国家となり世界はそのぶんずっと危険な状態になるであろう。いまが正念場なのである。難かしいからあきらめるというのはアメリカ人らしくない。難かしい時こを足を踏んばってがんばるのがアメリカの強さのはずだ。
イスラエルはテロリストと妥協して失敗した。アメリカはその過ちから学ぶべきである。


1 response to レバノンから学ぶイラク政策

田舎のダンディ18 years ago

このエントリーの趣旨を、平和ボケした多くの日本人や日本のマスコミは受け入れないだろう。
冒頭の、
>テロが起きる原因が我々文明社会による第三世界への弾圧であるという意見を聞く。だから我々が第三世界を理解し、彼等の要望に答えるような好意的な姿勢をみせさえすればテロは防げる
が、これまでの多くの日本人の見解で、一部は全くお手上げで、少数が、カカシさん派だ。
私も驚いたが、今回のイスラエルによるヒズボラ攻撃にあたって、当ブログを含め、徹底壊滅を主張するいくつかのブログがあった。日本の表のマスコミでは滅多にお目にかかれない意見だ。しかし、私もそうした意見を読んで、心情的には耐え難いが、これが世界の真実なのかと理解した。当然のように、そうはならなかったが。
やるべき時にやらなければ、禍根を残すのはよくあることだ。しかし、日本人には全く出来ない事だとしか言いようがない。いかなることでも、徹底してやらない、強く主張しない、摩擦を避ける、急いで解決しない、これが日本の国是だ。
これによって得られるものもある。同時に失っているものもある。失っているものが取り返しのつくものなのかどうかが問題だ。しかし一方、日本と正反対の国是とも言うべきもので突き進んでいる国々が得られているもの、失っているものを考えると複雑な気持ちになる。延々として紛争、戦争を続け、一体誰がどんな得をするのか、人々の心にいつ安らぎが訪れるのかと。
このままでは、おろかな戦争推進派と卑怯な平和主義者の二極分化のように見えるが、そんな事はないはずだ。きっと、この泥沼から脱出できる日が来ると信じたい。もしかしたら、この徹底した日本の軟弱さが、その鍵を握っているのではと、私はよく考える。

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