ヒズボラの情報操作作戦! ロイターのやらせ写真を斬る

アップデートアンドバンプ 下記参照:
百聞は一見にしかりとはいうものの、写真というものは得てして信用ならないものである。特に合成技術が発達している今日この頃、写真に手を加えるなどということは朝飯前だ。今回の戦争において、イスラエルの空爆による被害の写真が毎日毎日発表されるが、そのなかでアメリカのワイヤーサービスでも指折りのロイター社が、レバノン市民提供のやらせ写真やねつ造写真を発表しており、920枚の写真を取り下げたことがあきらかになった。
パワーラインのA Bridge Too Weirdにおいてやらせ写真の分析が詳細に行われているのでそこからちょっと紹介したい。
下記の4枚に渡る一連の写真はフリーの記者アドナン·ハッジ氏がロイターに提供したものである。これは7月12日の朝7時付けの記事から始まるのだが、最初の写真の説明は「南レバノン、イスラエルの戦闘機によって空爆直後のタイヤー地域にあるカサミヤ橋付近にて、走っているレバノン市民」この写真が空爆のどのくらい後に撮れれたものなのか、またなぜ市民が走っているのかは不明だ。 ハッジの役者以外には人気(ひとけ)はない。

July 12, 7:00AM

7月12日午前7時付け


次の写真は同日午前11時10分付けだが、背後にある木や右側にある建物、そして停まっている車に注目されたし。最初の写真で市民と呼ばれた男性はここで突然「民間警備役員」と変ぼうする。この男性はなぜか今度は反対側に向かって走っている。説明は「イスラエル戦闘機による空爆直後、走るレバノンの民間警備役員、南レバノンのタイヤー地域カサミヤ橋付近にて」とある。この写真の左側に写っている逆さまにひっくりかえっている車に注目されたし。

July 12, 11:10AM

7月12日午前11時10分付け


12日午前8時43分付けの記事ではなんと前出の同じ車が全く別の場所で登場する。この写真の説明は「南レバノン、タイヤー地域にて、イスラエル戦闘機によって爆破され崩壊したカサミヤ橋付近にて、レバノン市民」とある。しかしこの写真の場所は先のカサミヤ橋付近とはまったく景色が違っている。共通しているのは逆さに転がってる乗用車だけだ。

July 12, 8:43AM

7月12日午前8時43分付け


そして最後のこの写真。ここでもやはり崩壊されたの橋が写されているが、その説明が前の写真と同じ「南レバノン、タイヤー地域にて、イスラエル戦闘機によって爆破され崩壊したカサミヤ橋付近にて、レバノン市民」なのである。いったいどっちが本当のカサミヤ橋なのだ????

July 13, 12:44AM

7月13日午前零時4分付け


ロイターが先日リコールした合成写真に加え、同じ現地記者によるこのあきらかなやらせ写真。これでは現地から送られてくるヒズボラの被害だのレバノンの損害だのどこまでが本当なのか全く疑問だ。ロイターといえば泣く子も黙る由緒あるワイヤーサービス。多くのメディアがロイターの記事を本当のニュースとして再掲載し、世界中にそのイメージや記事が広まるのである。そのようなメディアがヒズボラのプロパガンダを平気で流しているとしたら、これは由々しき問題なのではないだろうか?
ま、なんでもかんでもヒズボラの肩をもつ主流メディアに今さらカカシは驚かないけどね。ところがアメリカのメディアはイスラエルが情報操作をしてると主張するんだからおかしい。
アップデート:
コメンターのマイク·ロスさんが、ヒズボラによるやらせ写真がほかにもたくさんあると紹介してくれたので、ここにそのひとつミッシェル·モルキンのサイトのリンクを貼っておく。ここではなんと連続の写真でピンピンしている救助員のひとりが、別の写真でがれきの下敷きになった死体として登場。ひどいもんだわ。


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イランが攻める時、8月22日の意味するもの

冷戦の頃、東側の共産圏と西側の自由主義圏が互いに核兵器を保持していながら核戦争をしなかった理由は、互いの核兵器が互いの抑止力として働いていたからだ。どちらかが核兵器を使用すれば相手からの報復は免れない。そうなればお互いの国家が滅びることを双方が承知していたのである。パキスタンとインドの核兵器が互いの抑止力として働いているのも同じ理屈だ。文明社会は戦争をやってもその結果として生き残りたいという欲望がある。その存続への願望が核戦争による自滅をこれまで防いできたのである。
ところがイランにはそのような抑止力は全く効果がない。なぜならばイラン政府が代表するイスラマジハーディストにとって死ぬことは単なる昇進であり、殉教者として天国での地位を保証される名誉なのである。だからイスラム過激派が同胞の犠牲を顧みずに我々文明人からすれば野蛮で卑劣な非戦闘員を巻き添えにする攻撃を奨励するのは、イスラム教徒がインファデル(非信仰者)を殺す過程で殉職することはイスラム教徒にとって誇り高い運命であると本気で考えるからなのである。
イランのリーダーたちは、その最高地位にあたるアヤトラ·アリ·コメーニから統治者のムラーたち、そしてアクマデイネジャド大統領にいたるまで、善対悪の天地を分ける最終戦争が必ず来ると信じている。ここでいう善とは無論イスラムジハーディストであり、悪とはアメリカやイスラエルが代表するインファデル=非信仰者のことである。この戦争によってジハーディストたちはインファデルに追いつめられるが、その存続が危うくなったその時こそアラーの神が世界から隠してきた、12番目のイマムがこの世についにその姿をあらわし、このモハメッド·アル·マフディが自ら軍を率いて非信仰者を滅ぼす。そしてこの世はイスラム教徒だけのパラダイスとなると信じているのだ。
このような黙示禄論は別に他の宗教のそれと比べて特にばかばかしいものでもない。だがひとつだけ違うのはこの黙示禄信者たちには陸軍があり、空軍がり、ミサイルがあり、核兵器すらも持とうとしている点である。そして我々にとって心配なのはイランの統治者たちがこの最終戦争が差しせまっていると考えていることなのである。
イスラム教の研究学者として世界で一番知識のあるとされるバーナード·ルイス教授がウォールストリートジャーナルにおいて、その運命の日は来る8月22日であると書いている。(カカシ注:WSJの記事や有料なので、ここでは一部を抜粋して訳すことにする。)

8月22日にどのような特別な意味があるのだろうか? 今年の8月22日はイスラムカレンダーにおいて1427年、ラジャブの月は27日にあたる。この日は予言者モハメッドが羽のついた馬バラクに乗って「いちばい遠くのモスク」というイスラエルにあるとする聖廟へ飛び、そこから天国へいってかえってきたとされる日で、多くにイスラム教徒が伝統的に記念日として祝う。
この日がイスラエルの終わり、必要ならば世界の終わりを告げる最終戦争の期日として適切であると判断されるかもしれない。アクマヂネジャド氏がそのような大変動を起こす事件を8月22日ぴったりに計画しているのかは不明だが、この可能性を考慮にいれておくことは懸命である…
この文脈において冷戦時代に機能した相互破壊の論は意味がない。どっちにしても最終的には全面的破壊は避けられない。大事なのは死後におけるインファデルには地獄、信者には天国という最終到着地だけなのだ。このような信仰を持つ人々にとって相互破壊は抑止力になるどころか促進力となるのだ。

ではいったい8月22日に、イランはなにをするつもりなのだろうか? イランが核兵器開発に力をいれていることは確かだが、まだイランに核兵器があると考えるひとはいない。だがイランには性能の高い長距離ミサイルは存在するわけで、弾頭につめこめる武器は核兵器だけとは限らない。だとしたら、イランは8月22日にイスラエルへの攻撃をはじめるつもりであろうか? もしイランがイスラエルを攻めたら、アメリカはどうするのだろう? 世界はどうするのだろう?
黙示禄は本当になるのだろうか? そうならないことを神に祈ろう、信者の死を奨励する神ではなく生を重んじる神に。


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ツアーデフランス、優勝したランディスのドーピング疑惑

アメリカの選手、フロイド·ランディスがこの間のツアーデフランスで優勝した直後、彼にはドーピングの嫌疑がかけられた。やっぱりフランスはなんとかしてアメリカ選手から勝利を奪い取りたいようだ。二度に渡る尿検査で陽性と判断されたランディス。二度めの検査が最初の結果を確認したため、ランディスはツアーの優勝者の座をおわれる可能性が高まった。またランディスは所属していたフォナックチームからも解雇された。ランディス選手は今後チームの一員としてレースに出場することができないだけでなく、サイン会などのイベントにも出場できなくなる。

UCIルールに則れば、ランディスのタイトルは剥奪されることになり、ツール・ド・フランスの総合優勝はオスカル・ペレイロ(スペイン、ケスデパーニュ)の手に渡る。さらに2年間のレース出場禁止と、その後の2年間のプロツアー出場禁止も免れない。

本人は当初、前夜にアルコールを飲んだことや、常用している甲状腺の薬の影響ではないかとはなしていたが、いまではこの説明は苦し紛れの当てずっぽうだったとし、原因は自分にもわからないと語っている。
私はどうもこの事件はうさん臭いと思う。フランスのサイクリング協会はずっとアメリカ選手の優勝を快くおもっていない。7回連続優勝をしたアームストロングについても、ずいぶんドーピングの疑惑をかけて彼の栄光を汚そうとしたし、今回も優勝候補だったヨーロッパ選手数人をほとんど根拠といえないようなドーピング疑惑で失格にした前科もある。
そして今度の優勝者ランディスのドーピング疑惑。検査をしている研究所がどれだけ尿サンプルの管理をきちんとしていたのかどうかさえ疑わしい。ランディス自身はサンプルに薬が注入されたのではないかという陰謀説を唱えるつもりはないとしているが、これだけドーピングでやっきになっているツアーデフランスで、検査してすぐわかるような男性ホルモンを接種するほどランディスが間抜けだとはどうしても信じられない。
それに発見された男性ホルモンは常用していないと効果がないものなのだという。以下サイクリングタイムスより:

ランディスは今大会で合計4回の検査を受けている。もし本人の主張通りもともとT/E値が高いのだとしたら、第17ステージ以外の3回の検査でも高い数値が出ていなければならない。人のT/E値は大きくは変化しないからだ。
また、仮にランディスが筋力増強効果を狙ってテストステロンを摂取したのだとすれば、数週間にわたって摂取していたはずで、やはり3回の検査で異常値が出るはずである。
では、ランディスはテストステロンを常用しておらず、第17ステージの起死回生の大挽回のために、その時だけテストステロンを摂取したのだろうか?。これはスポーツ医学的にはナンセンスである。テストステロンに持久力を増強する効果があるという医学的知見は今のところ皆無だからだ。
仮にランディスがドーピングを故意にかつ計画的に実行したのだとしたら、これではどうもお粗末であるとしか言いようがない。果たして、自身の破滅につながるかもしれない危険な賭けに踏み出すときに、そのようなずさんな行動を取るものであろうか。
「あの日はタイム差を挽回することが目的でなく、ステージ優勝するつもりだった」と語るランディス。優勝すればレース後にドーピング検査を受けなければならないことは分かりきったことだった。

尿のサンプルが汚染されていないとしても、ランディスの食事に薬が加えられた可能性も考えるべきなのではないだろうか。どうもしっくりいかない事件である。


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ヒズボラの勝利条件

私は以前に停戦は誰がするのかにおいてイスラエルの勝利条件を下記のように提示した。

1)ヒズボラがレバノン各地の民家に隠した一万二千のミサイル、および他の武器弾薬を摘発破壊もしくは中和する。
2)何万からいるヒズボラ戦闘員を殺すか、シリアへ追い出すかして、レバノンからヒズボラを完全駆除する。
3)南レバノンを再び占拠する。

だから、この間アメリカとフランスが国連安保理に提案した停戦条件が通り、実際に履行されるならイスラエルはこのラウンドでは一応勝ったといえるだろう。

一、安保理はレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの攻撃と、イスラエル軍の攻撃的軍事作戦の即時中止に基づく「戦闘の全面中止」を要求(イスラエルの自衛的作戦による反撃は容認)。国連レバノン暫定軍に戦闘中止の履行監視を要求。
 一、イスラエルとレバノンに対し、以下の原則や事項に基づく恒久停戦や長期的解決に同意するよう要求。
   ▽国連が設定した両国の境界線「ブルーライン」の尊重
   ▽係争地「シェバ農場」一帯を含む国境画定
   ▽ブルーラインとリタニ川の間のレバノン南部にレバノン軍と国際部隊だけが活動する緩衝地帯を設置
   ▽ヒズボラの武装解除などを求めた2004年の安保理決議1559の完全履行—など。
 一、イスラエルとレバノンがこれらに原則合意した後、別の決議案で国連憲章7章に基づく国際部隊の展開を承認。
 一、採択から1週間以内に決議の履行状況を安保理に報告するようアナン事務総長に要求。

ヒズボラもそしてレバノンもこの停戦条件を飲むとは思えない。といえばおのずと出てくる疑問はヒズボラにとっての勝利条件とはなんなのだろうかということだ。
ヒズボラだけではないが、アラブ諸国においては西洋社会へ立ち向かうという行為そのものがすでに勝利という観念がある。例え国のインフラが破壊され経済的に圧迫され軍隊の大半が破壊され同胞が大量に殺されても、自分と自分の政権/勢力が生き残りさえすれば、それは彼等にとって十分に勝利なのである。
だから湾岸戦争において、先代のブッシュ大統領が軍事的には勝利をおさめながら、バグダッドまで乗り込まずフセインを殺しもせず、フセイン政権をたおさなかったことは非常な失態であったといえる。アメリカを相手取ってたった一国で立ち向かい生き延びたフセイン政権はアラブ諸国では英雄としてたたえられた。情報操作など簡単にできる軍事独裁政権下では、湾岸戦争の終戦記念日は勝利の日として祭日とまでなったという話だ。フセインが国民に課された国連による経済制裁など屁とも思っていなかったのは言うまでもない。食料のための石油交換を悪用していくらでも裏取り引きで二枚舌のフランスやロシアを通じてフセインの私利私欲を肥やすことができたからである。
そういう背景があるので、パレスチナのハマスが兵法としては全く意味がない自爆テロや民家へのロケット弾発砲をいつまでも続けても、イスラエルに対して抵抗しているという行為そのものがすでに勝っているとして讃えられるわけだ。戦闘としては特に領土を増やすわけでもなく、戦況が有利になるというわけでもないのに、イラクでアルカイダが訳の分からない血みどろの攻撃を執拗に続けているのも、まさに同じ理屈なのである。
明らかにテロリストたちが考える勝利とは伝統的な国と国との戦争で勝ち得るものとは全く別ものなのだ。
今回の戦争においてもヒズボラの勝利条件とは非常に簡単だ。単に7月12日の状態に戻りさえすればいいのである。イスラエルがレバノンから完全に撤退し、再びヒズボラが南レバノンを占拠する。この場合、国連の連合軍やレバノン軍がこのあたりの警備にあたるという形でもかまわない。イスラエル軍さえ撤退してしまえば、ヒズボラは国連軍やレバノン軍を簡単に味方につけることができる。そうすればこれまで通り、イスラエルにロケット弾を打ち込んだりイスラエル市民を拉致したりすることが続けられる。
国連が無条件の停戦をイスラエルに飲ませ、イスラエルが撤退したら、ヒズボラは大勝利宣言をする。アラブのメディアは反イスラエルだから必然的にヒズボラには同情的な報道がされる。事実はどうあれヒズボラはイスラエルの暴虐からレバノンをすくった英雄として讃えらえるというわけだ。実際にレバノンが受けた被害や損害などどうでもいいのである。
ヒズボラのようなテロ軍団は停戦を単なる再編成としか考えていない。だから、自分らの組織の再編成が整ったところで再びイスラエルへの攻撃をはじめ、怒ったイスラエルが反撃したら、イスラエルが停戦をやぶったと国際社会に訴え、反イスラエル意識のつよい国連にイスラエルの自制を求めさせるという、いつものパターンがくりかえされる。めでたし、めでたし、なのである。
だからアメリカのライス官房長官がこの前の中東訪問の時にいったように現状維持の状態での停戦をイスラエルはうけいれることは絶対にできないわけだ。今度限りはいつもどおりのイスラエルだけが攻撃を停止しテロリストが再編成するという停戦はおき得ない。
となるとこの戦争の拡大はもはや避けられないのかもしれない。


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真夜中まで20分、、、18分30秒のギャップ

イラク戦争前夜、反戦派はイラクの大量破壊兵器開発がどれほど進んでいるのか疑問であるから、確かなことが分かるまでは戦争を控えるべきだと主張していた。もっと査察に時間をかけ、イラクの武力を正しく把握してからでも遅くはないというのである。つまり反戦派は真夜中2分前まで待つべきだと主張したのだ。
実際に戦争をしてみてわかったことは、イラクに大量破壊兵器開発計画があったことは事実だが、我々が当初想像していたところまでは進んでいなかったということだ。*イラクでは大量破壊兵器が発見されなかった*という当初のCIA視察団の発表を振り回し、反戦派は「それみたことか、イラクはそれほど危険な国ではなかったのだ。戦争などする必要はなかったのだ。」と鼻高々であった。
たしかにイラクは我々が思っていたより危険な国にはまだなっていなかった。我々はイラクを真夜中の危機2分前に攻撃するかわりに20分前、いや20分30秒前に攻撃してしまったのである。
それで良かったのだ、と私はいいたい!
我々、文明社会の撲滅を願う敵が我々が相手にできないほど強敵になるまで待っている必要がどこにあったのだ? ウィンストン·チャーチルではないが、敵が弱い時に戦う勇気がないのなら、敵が強くなってからどうやって戦うというのか?
この18分30秒のギャップは、イスラエルによるレバノン攻撃にもあてはまる。
私を含めほとんどの人々が、いったんイスラエルがヒズボラに全面攻撃を仕掛ければ、ヒズボラなどひとたまりもない、この戦いは迅速に圧倒的な決着を生むであろうと考えていた。ところがヒズボラはおもったよりも手強い。イスラエルはかなり苦戦をしている模様である。イスラエルが2000年にレバノンから完全撤退してからヒズボラは組織的にも腕を磨き、性能の高い武器をイランからシリアを通じてずいぶん取り入れ、かなりの武装強化をしていたようだ。
この状態をみて、アメリカ民主党はまたまた勝ち誇った顔でいう。「だからいわないことではないのだ。やたらにヒズボラなどに手をだすからこういうことになる。放っておけば良かったものを」だが、ここで疑問が生まれる。もしイスラエルがヒズボラによる戦闘行為を無視し、ヒズボラをこのまま放っておいたら、長い目でみてイスラエルにとって良い結果を生んだのであろうか?
その答えは否である。この戦争は必要だった。イスラエルはヒズボラを今の時点で攻めておいてよかったのである。
ヒズボラを放っておくべきだったと語ることの裏には、この戦争が交渉によって避けることができるものだという前提がなければならない。イスラエルがテロリストによる市民の拉致やミサイル攻撃を我慢し続けていれば、いずれはテロリストもイスラエルの自制心に感服して攻撃をやめるという前提が必要なのだ。だが、これまでのヒズボラやハマスのやり方をみていると、イスラエルが自制し国際社会の圧力に負けて折れれば折れるほど、テロリストたちの攻撃はごう慢になっている。
ヒズボラ、そしてその背後にいるイランの最終目的はイスラエルの撲滅である。彼等はイスラエルが完全に滅びるまでイスラエルとの戦いをあきらめる意志は全くない。それが証拠にイランの大統領はことあるごとにイスラエル滅亡を唱えているではないか。 国際社会がイランを説得してイランの打倒イスラエルの野心を崩せるなどとは誰も考えないだろう。国連はイランの核兵器開発すら遅らせることができないではないか。イランが核兵器開発に成功した暁にはイランがイスラエルを攻めるのは必定である。これは避けられない運命だ。
では、イランの手先であるヒズボラをイスラエルが今たたくことになんの問題があるというのか? 今たたかなければ何時たたくのだ? 何時なら国際社会はイスラエルの攻撃が正当であると認めるのか? 戦いは必ずくるのである。真夜中は避けられない時刻なのだ。それならば何故イスラエルは勝利がより難かしくなる真夜中2分前まで待っていなければならないのか。なぜ20分30秒前ではいけないのか。
ヒズボラによるイスラエル攻撃は2000年のイスラエル軍レバノン撤退よりちゃくちゃくと増えてきていた。このまま放っておいてヒズボラの攻撃がいずれ止むと考える根拠は全くない。それどころか時を経るに従って攻撃はその規模を増すと考えるべきである。
この戦争は避けることのできない戦争なのだ。もしイスラエルが今攻めなかったなら、いずれ強化したヒズボラが彼等の都合のよい時と場所とやり方で攻めてきたことだろう。イスラエルが反戦派のいうとおり真夜中2分前まで待っていたなら、今の苦戦など比べ物ならないほどひどいことになっていただろう。
18分30秒のギャップ。これがイスラエルの生死を左右することになるのだ。


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バッファロー空港でブログ

今さっき、我々の計画ミスでニューヨークはラグアディア行きの飛行機に乗り遅れ3時間の待機となったので、バッファロー空港からブログ中。
さて、ナイアガラの観光を終わらせて今朝はゆっくり食事をしてからニューヨークへ戻る予定だった。昨日バッファローからカナダ側にあるホテルに向かう時は道もすいていたし、税関もそれほど手間どらなかったので、今日は道が込んでいることも見越してその倍の一時間をみて出発することにした。
朝食にはいったドイツ風レストランでは、両親は例によってメニューが読めないので、私が朝食のセットをすすめた。みなさんも多分ご存じだろうが、アメリカのレストランは朝食といえば普通ソーセージかハム、卵、ハッシュブラウン、それにトーストとセットになっていることが多い。無論トーストやハムだけをサイドオーダーとして注文することはできる。叔母は朝からあまり食べたくないというので、トーストとコーヒーのみ。父もセットは多すぎるのでハムとトーストだけでいいという。ミスター苺も朝はあまり食べないのでオートミール。私はドイツ名物アップルパンケーキ。
母も叔母と同じようにトーストだけでいいといいはっているが、母の「食欲ない」という言葉ほどあてにならないものはない。昨晩もとまったホテルの上階でナイアガラの滝が見下ろせるレストランで夕飯を食べたが、食欲がないといっていた母は、自分の注文した料理のほかにも私が注文したスープやら前菜やらを「ちょっと頂戴」といってかなり試食してしまったので隣にいたミスター苺が、「君の食べる分がなくなっちゃうよ。」と心配したほどだった。
昔からそうなのだが、私が母をレストランにつれていくと母は私が薦める品は絶対にいやだと言い張って、全く別のものを頼む。だが実際にその品がでてくると私の皿をみて「そっちのほうがおいしそうね、ちょっと頂戴」と言って私の皿からほとんど食べてしまい、私が母の注文した料理を食べるはめになる。今回の旅行でもこのパターンが何度も繰り返された。
幸運なことにこの朝食では私が注文する前に母はすでに隣のテーブルに出てきた卵やハムに食欲をそそられたようで、自分もちょっとだけ欲しいといいだした。むろん「セットはいらないわよ、多すぎるんだから。」と注意付き。しかし一品づつ注文するとかえって高くつくし、食べられなければ残してもいいのだからといってセットを注文。母が出てきたカナダサイズの大量の朝食セットをすべてたいらげたのはいうまでもない。
叔母は「食欲ないって騒いでたお姉ちゃんが一番食べたわね。」と私にささやいた。
食事の後時間が迫っていたので、ミスター苺はちょっと焦りはじめた。しかしシニアシティズンを含め5人もいるとそう簡単には行動できない。ミスター苺はすぐに出発したかったのだが、父は変わった形のレストランの前で集団写真をとりたがるし、叔母や母も、代わる代わるに「あ、カカシちゃんもはいって」「あ、苺さんもはいって、」とやるので、ミスター苺はもうイライラ。せかすミスター苺に母は、「自分が30分も寝坊したくせに、いまになってせかすなんて身勝手だ」と文句をいう。確かに食事をはじめたのが30分遅れたのはミスター苺のせいなので、これには彼も返す言葉はない。しかし誰のせいで遅れても今のんびりしていては飛行機に乗り遅れてしまう。
なんだかんだやっていながら、一応予定の時間にホテルを出ることができたので、まあいいかと思っていたら、このあたりの道は一方通行がおおく、来た道をそのまま通ってかえるということができない。すぐそばにある国境の橋へなぜかいきつけず、どんどんどんどん反対方向へ走ってしまった。ぐるぐると滝の前の道を遠回りしてやっと行き着いた関税の前ではものすごい長い列。カナダからアメリカへの入国はアメリカからカナダより厳しいらしい。
アメリカ側にはいっても、途中のハイウェイがものすごいのろのろ運転。道が混んでるわけでもないのにどうしたんだろうと思ったら、なんと葬式のためにつらなった何十台もの車の列の後ろに並んでしまったのである。
空港についたときは出発30分前で、普通なら間に合う時間だが、荷物が多かったため45分前までにこなければチェックインは無理だといわれた。次の便は三時間後だという。
「ミスター苺がのんびりしてるから悪いのよ。もっと早くでればよかったのに。」と母はミスター苺を責める。「お母さんたちがぐずぐず写真なんか撮ってるからだ」とミスター苺。
しかし実際には誰が悪いという訳ではない。行きの時間の2倍もみて出発し、出発の一時間前には空港に入れる予定だったのが、途中の道が予測より3倍もかかったことが原因なのである。知らない土地での旅は不測の事態が起きるのは常識。ましてやカナダといえば我々にとっても外国だしこの程度のことはあっても不思議ではない。
私はまえにこれだけ多く出張していながら、飛行機に乗り遅れたことは一度もないといったが、それは私ひとりで行動していたからである。5人といえど団体行動だし、そのうち二人は70過ぎの老齢である。若いひとたちのように遅れたからといって、荷物を持って走れるわけではないし、そういうことを我々は十分に考慮にいれるべきだったのである。
ま、とはいえっても待ち時間が三時間くらいならどうということはない。飛行機がキャンセルになったり、秘書の手違いで予約がはいってなかったりなどで、クリスマスイブの空港で夜を明かしたこともあるカカシ。ビールでも飲みながらのんびりブログでもしよう。
しかし母とミスター苺の間に生じたこの亀裂、この先が思いやられる。
ちょっと余談ですが、、
ロサンゼルスからニュージャージーのニューアーク空港へ向かうために乗った飛行機。 ゲートで待っているとき、ミスター苺が「お父さん達には黙ってるように、、」とこの便の最終目的地を表示する電光掲示板を指さした。 なんと最終目的地はテルアビブ! そういえば待ってる乗客の多くの男性がヤマカをかぶっていたり、ヘブライ語ではなしている乗客がいやに多いなとは思ったのだが。情勢が情勢だけにちょっと汗をかいてしまった。


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ナイアガラの水しぶき

苺畑一家はただいまカナダにあるナイアガラの滝を訪問中。  昨日ロサンゼルスからニュージャージーのニューアーク空港へとび、ニューヨークで一泊してから、ニューヨークのラグアディア空港からバッファロー空港へ。そしてそこからレンタルカーを30マイルほど走ってアメリカとカナダをつなぐ国境の橋、レインボーブリッジを渡ってカナダへ入国。
昔はアメリカとカナダの国境はそれほど厳しい取締りは無かったのだが、2000年直前にカナダから爆弾抱えたテロリストがアメリカへ入国しようとして国境の税関の役員に取り押さえられたのがきっかけで、国境の警備は非常に厳しい。 高速道路の料金所のブースのようなところから顔をだした可愛い顔の金髪男性の税関係員はその笑顔に似合わぬ防弾チョッキを着ていた。
ナイアガラへ行く計画を立てていたとき、ホテルがカナダ側にあるので、パスポートをもっていくか悩んだのだが、やっぱり持ってきてよかった。日本から来ている叔母と両親だけでなく、アメリカからの苺畑夫婦のパスポートもしっかり調べられた。
ナイアガラの滝は昔の映画、スーパーマンでも出てきたが、映画やテレビの画像ではとても現せることのできるような代物ではない。我々は最初ホテルまでの道のりで滝の脇を通ったがその壮絶な水の壁に後ろ座席で両親と叔母が「すごいね~、みてみて~」とやってるので、運転している私までがうっとりしてしまった。おかげでホテルに曲がる道を通り越してとんでもないほうまで行ってしまったのだが、これも観光だと言い訳してなんとかホテルへたどり着いた。
ナイアガラ市にある我々の泊まったホテルは結構よくて、私がいつも出張で泊まってメンバーになっているホテルの姉妹店だっただけのことはあり、部屋に泡がたつジャクージと呼ばれるお風呂がついていた。 両親の部屋もなかなかで、私の顔が利いたとちょっと鼻が高かった。多い出張も多少の利益はあったようだ。
本日の予定はとにかく滝のすぐそばまで行く観光船に乗ることだった。 ミスター苺はまず食事をしてからといっていたのだが、なにしろはるばる日本から滝を観に来た両親と叔母は食事どころではない。 すぐさま船に乗ろうといきり立っていた。 それでおなかがすいてるミスター苺を説得して、先ずとにかく船に乗ろうということになった。 (常に腹具合と相談するミスター苺にとってはちょっときつかったのだが)
ところが、ホテルから船着場へ行くまでに、その壮大な姿にすっかり感服した母たちは、ちょっと歩くと「写真、写真」といって立ち止まるので、せいぜい300メートルの道が全然進まない。 「船に乗りたくて待ちきれなかったんじゃないの?」と苛立つミスター苺を傍目に母も叔母もキャーキャー子供のように騒いで写真を撮っていた。「ほら、苺さんもはいって、はいって」と嫌がるミスター苺を無理やり写真に押し込める。 さすが日本人だ。
やっとの思いでたどりついた「霧の乙女号」。 カナダのナイアガラ地方としてはかなり暑い摂氏30度という気温なのに、水よけにともらったビニールの河童をきるともう蒸し暑いのなんのって。しかし船が滝に近づくともう豪雨のごときみずしぶき。それでもアメリカ側の滝はそうでもなかったが、カナダ側のひずめ型の滝のほうでは3方を滝に囲まれびしょぬれになった。母はあれほど見たいといっていた滝を見ず、河童で顔を隠して怖がっていた。おばが大声で「船が立ち止まっている」と叫ぶ。どうやらサービスらしい。私は水しぶきなどなんのそのと滝を見上げたが、周り中水しぶきで真っ白だった。月並みだが自然の力は偉大だと感激したカカシであった。
船の観光が終わった後、カカシ夫婦と叔母は滝の裏側を見る一時間のツアーに参加したかったのだが、両親は70才を越す熟年夫婦なので、ちょっとこれはきつい。またここから徒歩でホテルに戻るのもちょっとたいへんだ。それでタクシーを呼んで両親だけ先にホテルに返し、我々三人だけで滝の裏側を観ようと思ったのだが、強気の母はタクシーなどいらない、もったいない、と駄々をこねた。実は行きがけにサングラスをなくしたから帰り道で探したいのだという。叔母が帰り際に探してあげるからと無理やり両親をタクシーに押し込めると、「タクシー代は払わないからね!」と捨て台詞。ミスター苺がうんちゃんに料金より余計に払って、両親を送り出し、我々は滝の裏側へ向かった。
ちょっと余談ですが、、、
ところで滝の裏側ツアーまでの待ち時間に寄ったレストランのバーで、ミスター苺がポートワインを注文したのだが、3オンス入った大きめのグラスに入れてくれといったら、カナダでは一時間に1オンス以上飲んではいけないという法律があるといわれてびっくり。カリフォルニアでも飲み屋でさえ煙草がすえないという窮屈な世の中になったが、カナダでは一時間に飲む酒の量まで規制されているとは、さすが社会主義傾向のある国である。


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