August 2, 2017

What's in a name? 呼称に関する日米文化の違い

本日のエントリーを始める前にはっきり言っておく。私はネットおともだちのリリーさんについて、彼女の政治的なご意見にはほぼ賛同している。彼女のイスラエルや欧州に関する姿勢にも同調している。ダニセル・パイプス氏やダグラス・マレー氏らの著書翻訳に関しても非常な尊敬心を持っている。これからも彼女のブログやプロフェッショナルな著者は愛読させていただくつもりだ。

しかし今回彼女が自分のブログで書いたカカシに対する批判は理不尽だと思うので説明させてもらいたい。

ことの起こりはカカシがリリーさんのフェイスブックで彼女が好まない呼称を使ったことに発する。リリーさんは自分のフェイスブックに本名を提示しているが、普段はニックネームであるリリーという呼称を好んでいるようだ。実はリリーさんと最初にネット上で知り合ったときに彼女がいくつかの名前を使い分けていたので、どの名前で呼べばいいのだろうかと聞いたことがある。恥かしながらカカシは他人の名前を覚えるのが不得意なのでその時言われた名前を忘れてしまった。で、彼女がフェイスブックやツイッターで使っているリリーというハンドルネームでいいのだろうと思って今まで使ってきた。しかしながら、先日彼女のFBにコメントした際に、間違って彼女がFBで提示している本名を使ってしまったことで彼女の怒りに触れたようだ。

確かに彼女の好む呼称を忘れたのは私の落ち度なのだが、だったら「○○ではなくて××と呼んでください。」と言えば済むことなのに、彼女は個人的にそういうメッセージを送るのではなく、自分のブログで不特定多数の読者に向かってカカシの不作法を発表して批判するという手段に出た。

私は今までリリーさんに対して意図的に失礼なことを言ったことはない。気が付かずに失礼な行為に出てしまったのなら謝りもするが、単なる失態に対していくらなんでもリリーさんのこれはやりすぎだ。彼女がそこまでするのであれば、私も手袋を脱がせてもらう。

私は彼女とのやり取りが始まった当初、彼女が私を「カカシ夫人」と呼ぶことに抵抗を覚えた。呼ばないでくれと頼んだがそれは不適切だと拒絶された。日本ではわからないが、相手が呼び捨てで呼んでくれと言っているのにをれを拒む行為はアメリカでは非常な失礼になる。しかし彼女はアメリカ人ではないので、私は彼女の失礼を無視した。そんなことで言い争っても意味がないと思ったからだ。

しかし今回呼び名の話が出たついてに、私は彼女のことを彼女が好むリリーさんと呼ぶから、私のこともカカシさんと呼んでくださいとお願いしたところ、こういう答えが返ってきた(直接ではなく彼女のブログで)

相手をどのように呼称するかは、最初から最後まで一貫していなければおかしい。(略)

だが、インターネット上の公開情報の場合、わざわざハンドルネームを出しているなら、何か理由があってのことであろうと察し、最初から最後までそれで呼称するのが、作法ではないだろうか。

この「不思議な」と訳した人は(カカシ注:これはカカシのこと)、私宛の呼称を少なくとも三度、コロコロ変えた。意識的か無意識的かは判別し難いが、それは、私に対する印象や態度が、文脈によってコロコロ変わっていることの証左であるか、所詮、他人のことだからと、いい加減に軽く扱っているのだろう。または、ご自身の内面の動揺が露呈されているのかもしれない。

その上、唐突に交換条件として、それなら自分をこのように呼ぶように、と指示が出された。

これこそが、論旨の乱れ、もっと言えば、日本語を使っていても、文化の暗黙の了解、約束事が全く読み取れていないことの証拠だと、私は考える。(強調はカカシ)

カカシはアメリカ人で日本人の繊細な神経を理解できない。それで本名と共にハンドルネームが明示されているのは親しくもない人間に本名を呼ばれたくないという意味だなどというリリーさんのお気持ちは全く理解できなかった。

リリーさんが言う通りアメリカ人の私には、「暗黙の了解」や「約束事」は全く読み取れなかった。

それにしてもリリーさん自身が理解できない外国の文化を単なる田舎者だと侮蔑する行為は日本的な礼儀に反しないのだろうか、若干19年間日本人をやった人間としてそれはそうとは思えないのだが。

アメリカの西海岸は日系を含めたアジア系移民が多いので、それでもコミュニケーションが成り立ってきたのかもしれないが、私は西海岸に行ったことはないし、多分、行くことはないだろう。だとすれば、日本語である以上、言語コミュニケーションのルールは守っていただきたい。

カカシ個人を批判するのはいいとしても、カカシがアメリカ西海岸に住んでいるからといってアメリカ西海岸に住むアメリカ人全体をこのように侮辱する行為は如何なものなのだろうか?言語コミュニケーションのルールとやらはりりーさんが勝手に作り出したものであって、国際的な規則ではない。最初からきちんと提示されていないものを外国人が理解できるはずだと思い込むのはどうかと思う。

私は何故リリーさんにここまでひどく罵倒されなければならないのかが理解できなかった。しかし彼女の他のエントリーで明らかにカカシに向けた批判を読んで納得した。

二十歳前後で、日本から国籍を変えて他国に永久移住することに関して、私ならあまりメリットを感じない。

仕事や留学など、契約して数年程度の目的滞在型ならともかく、全面移住するとなれば、言葉のハンディや文化読み取り能力には、並々ならぬ努力を要するはずだからだ。

例えば、いくら英語が良くできたとしても、ネイティブでなければ、必ず100%よりは劣る。劣るということは、その100%ではない中途半端な言語能力で自分自身が図られ、それに応じて、本来の実力以下に仕事が当てがわれるということになる。

日本にいて充分に暮らしていけるのに、こんな屈辱的選択を、なぜみすみす選ばなければならないのだろうか。

他人が外国に移住する気持ちが解らないからといって、その選択が間違っているという言い方はおかしいだろう。リリーさんが母国を愛する気持ちは立派だし、日本が世界で一番素敵な国だと誇りを持つのも素晴らしいことだ。そういう人にはぜひ日本の文化保持に貢献していただきたい。しかしながら自分には理解できない人間の価値観というものもある。何故私がアメリカ移住を決心したのか、それは一言では説明は不可能なので省くが、それはそれなりの理由があるのだ。

移民社会とは、個々人の歴史的なルーツの共通項がないので、生活の便宜ばかりが優先され、実力主義とばかりに、誰もが個人プレーでしのぎを削り、後先や周囲の状況をあまり考えずに、先を争って自己主張をする。従って、新米か古参かの区別さえなく、単純に右翼か左翼か等の表面的なレッテル付けで人を罵倒し合って、とにかく五月蝿い。その結果、いちいち能率は下がるし、ミスはあちこちで連発するし、人間関係は簡単に壊れるし、細やかな微細さもなく、よろず大雑把。文化的な繊細さや洗練には程遠い。

従って、誰もが感情的にもささくれ立ち、精神衛生上、誠によろしくない。

インターネットは公開情報ではあるが、基本的な礼節や常識は、国を超えて守られるべきものである。

移民社会には伝統がないというのは偏見だ。

私が何故アメリカは偉大な国だと思うのか、それについてはこれからも説明していくつもりだ。私がブログを書き始めた理由というのも、このようにアメリカ社会について無知な人がアメリカを完全に誤解して批判するのを少しでも是正したいと思ったからなのだから。

August 2, 2017, 現時間 8:17 PM

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コメント

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下記投稿者名: 苺畑カカシ

これはリリーさんのツイッターからのコピー。多分私宛に書いたものだと思うのだが、特に私のツイートについていた返事ではないので、私の勝手な思い違いかもしれない。一応リンクはこちら

ご本人と一緒に過ごし、握手され、三回も言葉を交わした昨秋の8日間の責任感から、この話題を再度取り上げると、ダグラスさんの本の題名に関して「不思議な」は、改めて不適切です。うちの主人は「東海岸留学経験」組ですが、「奇妙な」だと断定しました。発言と著述を読めば、文脈から明らかです。

誰が見ているかわからない公開情報で、こういう変な話を繰り返されると、日本の国益低下につながるということが、なぜわからない?また、面識もないのに、せっかくの貴重な人間関係まで自己本位で壊していく....原著者にとって大変に迷惑ではないか?日本には米軍基地の情報将校もいるだろうに。

はっきり言って原作者は全く興味ないと思うね。こんなくだらない意見の違いなんて。

ツイッターでも別の人が自分は「奇妙」だと思うが他の人が「不思議」だと言っていたと書いているように、これは奇妙でも不思議でも翻訳者の好みの違いだと私は思ってる。どっちが正しくてどっちが間違っていると決めつけることは出来ないと思う。

リリーさんが「奇妙」だと思うならそれで通せばいいし、もしダグラス・マレー氏の著書の翻訳の依頼が来たら、彼女のやり方で訳せばいい。私は単に自分の感覚からして「不思議」の方があってると思っただけ。

どうしてこの程度のことにこんなにこだわって大げさにツイッターとかブログで繰り返すんだろう。こんなことで人間関係を破壊しているのは自分なのに。

私はリリーさんとはおともだちでいたかったのに、とっても残念。ま、これからもファンとして一読者として彼女の書いたものは読ませてもらうけど、FBにもツイッターにも返事は書かないのでどうぞご安心を。

ではごきげんよう。リリーさん。

上記投稿者名: 苺畑カカシ Author Profile Page 日付 August 5, 2017 1:02 AM

下記投稿者名: momo

lilyさんのブログは面白いですが、日本語が読みづらい。ダニエル・パイプスの日本語訳文も読みづらい。英語で読んだほうがわかりやすいです。ブログも英語版の方が、文が凝っていなくて読みやすいです。正確に翻訳しようとしすぎて、日本語がぎこちなくなっている感じですね。strangeは「奇妙」という訳が正しいのでしょうが、「不思議な」という訳の方が本が売れそうな気がします。

上記投稿者名: momo Author Profile Page 日付 August 5, 2017 11:47 PM

下記投稿者名: 苺畑カカシ

momoさん、

翻訳というのは常に何かが犠牲になりますから、正確さを取るか読みやすさを取るかという選択を常に翻訳者はさせられる。このへんのバランスが非常に難しいのだと思います。

ところで「不思議」とした方が売れるかもしれないという発想は面白いですね。確かにいくら立派な本でも売れなきゃ意味がない。出版社としては正確さもですが、やはり読者にどれだけアピールできるかを求めるでしょう。

そういうことを考慮すると、やっぱ翻訳というのは芸術ですよ。

上記投稿者名: 苺畑カカシ Author Profile Page 日付 August 6, 2017 7:08 AM

下記投稿者名: 苺畑カカシ

momoさんの言う売れる題名というのは非常に大切な点だ。

本や映画の題名は必ずしも原題がそのまま翻訳されるとは限らない。なぜなら言語では興味を引く言葉遣いでも、そのまま訳すと全く意味を解さない場合が多くあるからだ。

例えばJRRトールキンの「指輪物語」。原題は"The Lord of the rings"で直訳すると「指輪の主」となってしまい、lordの持つ意味合いが失われてしまう。

面白い例として、ハリーポッターの第一巻のイギリス版の題名は”The philosopher's stone”(哲学者の石)だったのに、アメリカ版では”the Sorcerer's Stone”(魔法使いの石)と「翻訳」された。

”The philosopher's stone”はラテン語で”lapis philosophorum”と呼ばれ、どんな鉄でも金に変えてしまう成分のことを指す。アメリカの出版社がアメリカの子供にはこの意味が理解できないだろうと「魔法使い」という言葉に変えたという逸話がある。

上記投稿者名: 苺畑カカシ Author Profile Page 日付 August 6, 2017 9:14 AM

下記投稿者名: 苺畑カカシ

別にいいんだけどさああ、リリーさんからツイッターブロックされた(笑)。未だにわかんないんだよね、ここまで嫌われる理由。

そんなに反対意見が受け入れられないとは、、な~んか失望した。

上記投稿者名: 苺畑カカシ Author Profile Page 日付 August 6, 2017 9:57 AM

下記投稿者名: momo

リリーさんは優越感と劣等感のはざまで揺れている、難しい人だと思います。自分が正しい理由としても、「作者と8日間過ごして3回も言葉を交わした」とか、「東海岸留学経験組の夫が断言した」とか、論理的とは言えない反駁をして、かなり感情的というか。アメリカでたくましく過ごしているカカシさんに、劣等感を感じているのではないでしょうか。若い頃に親戚に言われたさりげない一言も、ずっと根に持っているようですし。気にすることはないと思います。

上記投稿者名: momo Author Profile Page 日付 August 10, 2017 7:41 AM

下記投稿者名: 苺畑カカシ

momoさんどうもです。

おっしゃる通り、気にせず我が道を行くで通します。これからもよろしく。

上記投稿者名: 苺畑カカシ Author Profile Page 日付 August 12, 2017 12:54 AM

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