June 13, 2017

懐かしさとジャズに心を奪われた「坂道のアポロン」

2012年にアニメシリーズとして報道された「坂道のアポロン」の全12作を観て感激してしまった。アニメシリーズは古いのだが、2018年には実写版の映画になるということなので、ちょっと中途半端な時期かもしれないが感想を述べさせてもらおう。

このアニメを見た時すぐに気が付くべきだったことがある。すばらしいジャズミュージックが全編に散らばめられているということよりも、高校生男女の純愛やBLをまったく感じさせない男同士の友情に感銘することよりも先に、なぜカカシがこのアニメに懐かしい思いを感じるのか、もっと早く気が付くべきだった。このアニメには現代の若者たちの間で失われてしまった何かがあるのような気がした。いったいそれは何なんだろう?

先ずはあらすじ、

主人公の薫は16歳の高校一年生。最近九州の佐世保に引っ越してきた。両親は薫が赤ん坊の時に離婚。父親に引き取られたとはいえ、船乗りの父親の仕事のせいであっちこっちの学校に転校を繰り返し、家でも一人でいることが多かった。そんな薫を案じて父親は自分の兄夫婦の安定した家庭に薫を預ける。これによって薫は生まれて初めて同じ学校に長期在籍することが可能となった。しかし、母親に捨てられたという気持ちや同年代の子供たちとの出会いと別れを繰り返してきたことによる傷つきやすい気持ちはそう簡単には癒されない。かえって多くの人に囲まれると吐き気がするという癖まで身に付けてしまっていた。

そんな薫だが学級委員で世話好きな律子の親切に心をほだされ、彼女に淡い恋心も抱く。律子の幼馴染でちょっと不良で乱暴者の仙太郎ともジャズミュージックを通じて友達になる。多くの兄弟姉妹に囲まれて幸せそうな仙太郎だが、彼にも出生を巡るつらい過去があった。

律子の父勉の営むレコードショップの地下で、薫のピアノ、仙太郎のドラム、勉のベース、そして東京の大学から時々帰省する仙太郎の先輩淳一のトランペットという構成でジャズセッションを何度か繰り返し、薫は青春を謳歌するようになる。

先ず変だなと気が付くのは律子の父親がレコードショップを経営しているということ。今時レコードショップなんて誰がやってる?ま、楽器やCDやDVDと一緒にビニールのレコード盤を売ってる店はあるが、レコード専門店なんて時代おくれも甚だしいだろう。これだけでも明らかなはず。そして1990年以降に作られたアニメでは必ず登場人物の手に握られているあの四角い物体が全く描写されていない、ということも大きなヒントだったはず。

そうなんだ、このアニメの舞台は過去なんだ、ずっと昔ではないがちょっと昔の日本。薫の同級生の星二が今やロックの時代だとか言ってビートルズだのスパイダースの歌を歌ってることから察して、まあ1960年代半ばの1965年くらいかな、と想像していたところ、ミスター苺が「学生運動に淳一が巻き込まれるところから考えて、1966年以降のはず」という。それでウィキで調べたらなんと大当たり、物語は1966年の初夏からはじまるのだ。

関係ないが、ここで私がものすごく好きなアニメの傑作「となりのトトロ」を思い出した。あのアニメの舞台は1950年代半ば頃の雰囲気がある。主役の五月は6歳くらい。彼女が1950年生まれだったとしたら、1966年にはちょうど薫と同じ高校生だなあと考えてしまったのだ。どうも私はこの頃の日本が懐かしく思われるのだ。

私は薫より多分10歳くらい年下だ。だが、私が育った頃にも、まだまだこんな雰囲気はかなり漂っていたように思う。まだ携帯もネットもない時代。地球温暖化とか少子化問題なんて誰も考えてなかった時代。

さて、本題に戻ると、このアニメの最大の魅力はなんといっても全編を通して聞こえてくるジャズミュージック。それが単にBGMとして起用されているのではなく、登場人物たちが演奏する一曲一曲がきちんと最初から最後まで演奏されるということ。なんかガーシュインの音楽満載のミュージカル「パリのアメリカ人」を思い出させる。

地下室でのジャズセッションもだが、佐世保という土地柄アメリカ人セイラーにも人気のジャズ喫茶での「バットノットフォミー」でみせる淳一の歌唱力や、高校の文化祭での薫と仙太郎のジャズメドレー。特に文化祭のシーンはものすごい感動する。これはユーチューブでもすぐ見つかるから是非おすすめ。だが私が一番好きなシーンは薫と律子と仙太郎が高校最後の文化祭を目指して(My favorite things 私の一番好きなもの)「マイフェイバレットシング」を練習する場面。ここに三人の友情が結晶化されるからだ。私が一番好きなことは今こうしてこうやっていること、という律子の言葉が心に残る。

この映画のサウンドトラックは英語版だと「キッズオンザスロープ」(坂道の子供たち)として売られている。英語版吹替もあるが、私は九州弁のアニメの方がずっと好きだな。それにアメリカの声優は日本の声優より失がかなり落ちる。ま、需要が少ないからしょうがないといえばしょうがないのだが。

登場人物の複雑にからむ純愛物語がエログロなしに描かれているので、どの年代の子供が観ても大丈夫。最近のアニメはものすごいどぎついものが多いなか、こういう純愛は新鮮だ。ちょっとメロドラマチックなところはあるにはある。薫と律子の駅でのシーンはちょっとありきたりすぎって感じ。

ただ私が残念に思ったのは最終回。あ、これからはネタバレありなので要注意。

最初から12作で完結する予定だったのか、まだ2シーズン目もあると思って油断していたのかわからないのだが、最終回が端折りすぎ。仙太郎は文化祭の後に家出して行方不明になったまま。薫と律子は高校を卒業して薫が東京の大学に、律子は地元の大学に進学。最後に二人が言葉を交わした時に気まずい別れ方をしたまま。駅に見送りに来た律子との別れのシーンで二人はなんとかこれからも付き合えそうという余韻はあるが、はっきりしない。

そしてそのまま8年後と場面が変わる。ここで残り時間はもう10分を切る。東京で医者のインターンとして忙しく働く薫は、高校時代に淳一と駆け落ちした一年上の百合香と偶然再会。彼女の持っていた一枚の写真から仙太郎の行方を突き止めて再会。そこに律子も現れてめでたしめでたし。

てな感じなのだがなんかしっくりこない。

この8年間、薫と律子はどういうふうに付き合っていたのだろうか? お互い手紙のやり取りをしていたとか、薫は休みには時々帰省していたとか、律子が時々は上京していたとか、そういうことが全然知らされない。

15年ぶりに再会した薫と母親はその後どうなったのか。あれからも母親とは時々会っていたのか、それともせいぜい年賀状や暑中見舞い程度の関係だったのか?

原作の漫画は薫と律子の卒業後も連載が続いたので、色々これらの説明がされるらしい。だが、アニメを観ている人には、やはりアニメだけで納得できる完結編を作るべきだったと思う。

ただ私はラストシーンで薫が今は神父見習いとなった仙太郎の教会へたどり着き、教会のパイプオルガンで薫が仙太郎に最初に紹介されたジャズ「モーニン」を弾き始め、それを聞いた仙太郎が外からかけこんできてドラムを演奏し出すというくだりは好きだ。大昔にジャネット・マクドナルドとネルソン・エディが"When I'm calling you.. woooo"をデュエットするシーンを思い出させる。(わからない人は検索してよね。)

さあて、それではここでカカシ風エンディングを二つ提案。

手紙編:8年後のシーンから始まって、現在の薫の状況を表す映像に薫の声でナレーションが入る。

「りっちゃん、お元気ですか。最近なかなか手紙を書けなくてごめんなさい。研修生になってからというもの忙しくて目が回りそうです。寝る時間もないほど働いています。母さんの店にも最近行ってません。母さんは心配して時々電話をくれますが、忙しいのはわかっているので許してくれていると思います。僕も時々は母さんの店にいって、何年か前にふと現れた淳一兄さんとやったように、またジャズセッションをやりたいです。

あ、そういえば、この間星二君をテレビで観ました。彼もポップスターになる夢がかなったようですね。

りっちゃん。今年の春は佐世保に帰ろうと思います。その頃には休暇が取れるはずですから。僕は今度りっちぁんに合う時に、どうしても言いたいことがあります。僕の研修期間はまだ続きますが、そろそろ僕たち二人の将来を語り合う時だとは思いませんか?

そうそう、この間、誰にあったと思います?百合香さんが病院に来ました、、、、」

これで百合香が病院に来たシーンに続く。こうしておけば二人がずっと付き合っていたことや、最後に律子が仙太郎の居る教会に突然姿を現した理由がはっきりする。

続編シリーズを期待した編

後半を薫が大学に向かう駅での見送りシーンから始めるのはそのまま。伯母と勉に挨拶を済ませた薫が電車に乗った時、ドアが閉まる直前、見送りに来ないと思っていた律子が走ってくる。「薫さん、薫さん、よかった間に合った。」「りっちゃん」「薫さん、私、決めた。大学卒業したら東京に行くから。薫さんのところに行くから、待っとって、、薫さんとこにお嫁さんに行くから、、それまで待っとって、、」「りっちゃん」そして電車の扉が閉まる。電車の後ろに走ってプラットホームに走る律子に向かって薫は叫ぶ。「必ず来いよ、待ってるから、待ってるから!」

次のシーン。ダフルバッグを肩に抱えた大きな男が九州離島の田舎道を歩いている。離島の先端にある教会の前まで来ると男は外に出てきた神父に挨拶をする。神父、「お~お前か、新しい見習いというのは、、よお着たの。まあおはいり。」どこからともなく小さい子供たちが集まってくる。教会が面倒を見ているみなしごたちだ。「お兄ちゃん、神父さんになるの?」子供たちを抱き上げて笑顔をみせるのは誰あろう仙太郎。

そして最後は薫、仙太郎、勉、淳一の地下室でのジャズセッションの回想シーンでモーニンを演奏して終わり。

これだと希望を持ったまま終われるし、続編があっても辻褄があう。

June 13, 2017, 現時間 12:59 AM

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