March 16, 2008

言論の自由とは何か?

私が使った「私生児」という言葉が差別用語なので使わないようにと「警告」するコメントを読んでいて、言論弾圧とはこのようにして始まるのだなと今さらながら実感した。

私はコメントのなかで、『たとえ、この言葉を私が悪意によって他人の気持ちを傷つけるために使ったのだとしても、私にはこの言葉を使う権利があります。それが言論の自由というものです。』と書いたが、これは言論の自由を語るにあたり非常に大切なことなのでもう一度明確にしておこう。

言論の自由とは特定の政府が市民に与える権利ではなく、我々個人が元来持っている権利である。言論の自由とは自分がいいたいことをいう権利と、自分が聞きたいことを聞く権利とがある。そこで問題となるのは政府がその個人の権利をどこまで守り保証するのかということだ。

ここで区別しなければならないのは、政府が公に保証する権利と、民間企業や個人が保証する権利は全く別物だということである。例えば個人の家で母親が子供に向かって「そういう汚い言葉をこの家ではつかってはいけません!」とやるのは彼女の自由だし、民間の企業が従業員に特定の政治的見解や宗教的表現を禁じたとしても、それは企業主の勝手であるべきだ。裸足で道を歩く行為は違法ではないが、レストランが裸足のお客はお断りという方針を持つのが許されるべきなのと同じ理屈である。

言論の自由という権利は個人が元来持っているものではあるが、他人の言動によって自分の気持ちが傷つけられない権利などというものは存在しない。であるから仮にそのような言動が悪意に満ちたものであったとしても、その言動によって傷付かない権利など政府が守る義務がないどころか、政府はそのようなことに口出しすべきではないのだ。なぜならそのような権利を守ろうとしたら、それは必ず言論弾圧に結びつくからである。

以前にカナダの人権擁護審議会で質問を受けていたレバント氏の話をしたことがあるが、彼が審査員から「あなたがモハメッドの漫画を掲載した意図はなんだったのか」と質問された時、彼が自分の意図は出版の自由という自分の権利を施行することであり、たとえそれによってイスラム教徒らの気持ちが逆なでされようと自分にはそうする権利があるのだと語っていた。

言論の自由とは自分が気に入った言論だけを許可するというものではない。悪意に満ちた発言で自分ではとうてい賛成できないような発言でも保証されなければ、いやそういう発言こそ保証されなければ真に言論の自由があるとはいえないのである。

「悪意のある発言は禁止する」などという法律が実際に通ったら、それこそこれは思想コントロールである。同じ言葉を使うにしても善意で使う分にはかまわないが、悪意で使った場合は法律違反などということになったら、我々一般市民は恐くて何もいえなくなる。いったい悪意だの善意だの誰が判断するのだ?政府か?人権擁護審議会か?

自分の住む町でイスラム系マフィアが幅をきかせて麻薬だの売春だのをおおっぴらにおこなって市民の安全を脅かしていたとしよう。それを地元のブロガーが告発したとしたら、彼の行為はイスラム教徒の気持ちを傷つけることになるからこのブロガーは悪意ある発言をしたとして逮捕されるべきなのか?(まさにそれがイギリスではおきたわけだが)

市民が政治家の政策を批判したら、それは政治家の気持ちを傷つけることになるだろう。だからこのような悪意ある批判的な発言は違法だとして市民は罰っせられてもいいのか?

無論言論の自由とは自分勝手なことをいって誰からも批判されない権利という意味ではない。私が他人の気持ちを傷つけるような言動をとった場合、社会の人々から私のそのような発言を批判されたとしても文句はいえない。たとえば私がラジオのDJで、特定の少数民族を侮辱するような発言をしたとしよう。このことによって私は警察に逮捕されるべきではない。しかし、腹をたてたリスナーの人たちから苦情が殺到して、ラジオ局が私を解雇したとしても、リスナーには苦情を述べる権利があるし、ラジオ局には私を解雇する権利があるのだ。

また、私の言動が行き過ぎて、他人の気持ちだけでなく、金銭的もしくは物理的損害を他人に与えた場合には名誉毀損で訴えられても仕方ない。ただし、名誉毀損が法廷で認められるためには、かなり厳しい条件を満たす必要がある。コメンターのalaalaさんは誤解しているが、名誉毀損とは単に他人の気持ちを傷つけるという行為ではない。

例えば私がある人物について「あいつは強姦魔だ」と言って、その人物による『犯罪行為』を公の場で発表したとしよう。実際にそのような事実がなかったにも関わらず、強姦魔であるという汚名を着せられたためにこの人物の評判が落ちて職場からも解雇され奥さんにも離婚された、などという損害が起きた場合、根拠もなく犯罪者の汚名を着せた私をこの人物が名誉毀損で訴える基盤は存在する。しかし私がこの人物に「あんたは変態だ」と言ってその人物の気持ちを傷付けたというだけでは名誉毀損にはならない。

私は個人の生活になるべく政府が口出ししないでくれたほうが社会はうまくいくという考えを持っている。であるから人種差別にしろ男女差別にしろ政府が規制するのではなく、自由市場にその解決を任せるべきだと考える。

合法であるということと道徳的に正しいということとは違う。私は未婚の女性が子供を生むことも人工中絶も道徳的には正しい行為だとは思わないが、法律によって罰せられるべきだとは考えない。若い女性に子供を生ませて責任をとらない不心得者が社会的尊敬を失ったり、遊びまくって未婚の母となった女性が世間から軽蔑の目でみられるといったように、不道徳な行為は社会が制裁すればいいのである。そして人々はこのような行為を容認するような学校教育には断固反対し抗議すべきであり、その抗議をする権利は言論の自由によって保証されなければならないのである。

人権擁護法の恐ろしい点は、このような道徳的な意見の違いを「差別意識である」とか「少数派の人権を迫害するものである」などといって思想の自由を弾圧することにある。一見弱者を守るように見えるこの法律は、必ずや思想の自由、宗教の自由、言論の自由を迫害するものとなるのである。

であるから、自由社会においては「悪意によって他人の気持ちを傷つける権利」も保証されなければならないのだ。それができなければ本当の自由社会とは言えないのである。

March 16, 2008, 現時間 2:24 AM

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トラックバック日付け January 11, 2015 11:01 AM

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トラックバック日付け December 17, 2016 10:44 AM

コメント

前のコメント

下記投稿者名: alaala

カカシさん、またまたおもしろいご発言ですね。

言論の自由を
『たとえ、この言葉を私が悪意によって他人の気持ちを傷つけるために使ったのだとしても、
私にはこの言葉を使う権利があります。それが言論の自由というものです。』
というのは、あまりにも苦しいですよ。

言論の自由の名のもとに、
「悪意によって人の気持ちを傷つける」行為が
許容されている社会に住みたい人はごく少数ではないでしょうか?

「悪意によって人の気持ちを傷つける」ことを
言論の自由だとして行使する人と
友人になりたい人も少ないでしょうね。

人権擁護法が成立すれば、言論の自由が犯されるから、
人権擁護法に反対だと言う人の、
その言論の自由の中身が
「悪意によって他人の気持ちを傷つける自由」だというのなら、
さっさっと人権擁護法を成立させて、
「人の気持ちを傷つける」ことをやめさせたほうがいいと
考える人が増えそうですね。

このような権利を行使すると、
現行刑法においても、要件を満たせば訴追される可能性があると言っております。

>民間の企業が従業員に特定の政治的見解や宗教的表現を禁じたとしても、
>それは企業主の勝手であるべきだ。

従業員の政治的見解や宗教的表現は、言論の自由として認めなくていいのですか?
カカシさんは、企業主にのみ権利があると考えているのですか?
従業員が言論の自由を司法に訴えれは、どうなるでしょうか?
言論の自由を弾圧したとして、なんらかの賠償などが命じられる可能性は相当に高いでしょう。

>他人の言動によって自分の気持ちが傷つけられない権利などというものは存在しない。

カカシさんは、
他人の言動によって精神的苦痛を被ったとする損害賠償請求が
認められていることをご存じないのでしょうか。

>彼(レバント氏)が自分の意図は出版の自由という自分の権利を施行することであり、
>たとえそれによってイスラム教徒らの気持ちが逆なでされようと
>自分にはそうする権利があるのだと語っていた。

レバント氏の発言の意図は、
出版の自由を行使した結果として、
イスラム教徒らの気持ちが逆なでされてもやむを得ないというものです。
「悪意によってイスラム教徒らの気持ちを逆なでするための出版を出版の自由として認めよ。」
というものではありません。

>コメンターのalaalaさんは誤解しているが、
>名誉毀損とは単に他人の気持ちを傷つけるという行為ではない。
>「あいつは強姦魔だ」と言って、その人物による『犯罪行為』を公の場で発表したとしよう。
>実際にそのような事実がなかったにも関わらず、
>強姦魔であるという汚名を着せられたためにこの人物の評判が落ちて
>職場からも解雇され奥さんにも離婚された、などという損害

カカシさん、あなたが誤解しているのです。
事実の有無は関係ありません。(故人は除く)
職場からも解雇され奥さんにも離婚されたというような、
「金銭的もしくは物理的損害を他人に与え」なくとも、名誉毀損は成立します。

>私がこの人物に「あんたは変態だ」と言ってその人物の気持ちを傷付けたというだけでは
>名誉毀損にはならない。

侮辱罪に問われる可能性があります。

ネット上の発言で、名誉毀損罪に問われて
実刑判決がでた例もあります。
お気をつけください。

>市民が政治家の政策を批判したら、それは政治家の気持ちを傷つけることになるだろう。
>だからこのような悪意ある批判的な発言は違法だとして市民は罰っせられてもいいのか?

政治家の政策を批判することは、
その政治家の名誉を毀損したり、侮辱することであると
解されることはありません。
「悪意によって他人の気持ちを傷つける」権利を認めておかないと
政治家の政策を批判すれば罰せられるようになると考えているのですか?
こんな思い込みをどこで仕入れたのですか?

>不道徳な行為は社会が制裁すればいいのである。

カカシさんのいう
「悪意によって他人の気持ちを傷つける権利」すら保証されているような自由社会なら、
当然にもカカシさんの道徳観に従わない自由があるはずです。
で、従わなかった人を社会が制裁してもいいというのは、
論理矛盾ではないのですか?

上記投稿者名: alaala Author Profile Page 日付 March 17, 2008 4:27 AM

下記投稿者名: scarecrowstrawberryfield

alaalaさん、

あなたは私がはなしている「自由な国」が既存の特定の国であると考えているようですね。私は自由な国のあるべき姿を語っているのであり、それがいまの日本だとは言ってません。

名誉毀損や侮辱罪の規定は国によって大幅に異なります。

しかしあなたは日本の話をしているようなので、単に気持ちが傷つけられたというだけで成立した名誉毀損の訴訟例を具体的に訴訟名をあげて、いくつか提示してみてください。

本当にあなたのいうようなくだらない内容で訴訟がおきているとしたらそれこそ日本は由々しき事態に陥っているといわざる終えません。

カカシ

上記投稿者名: scarecrowstrawberryfield Author Profile Page 日付 March 17, 2008 10:29 AM

下記投稿者名: alaala

これも勘違いですよ、カカシさん。

>同じ言葉を使うにしても善意で使う分にはかまわないが、
>悪意で使った場合は法律違反などということになったら、
>我々一般市民は恐くて何もいえなくなる。
>いったい悪意だの善意だの誰が判断するのだ?政府か?人権擁護審議会か?

名誉毀損については、
善意か悪意かは問われません。
判断については、
名誉毀損も侮辱罪も判例の積み重ねがあります。

ところで、カカシさん、
道徳についての判断はいったい誰がするのですか?
しかもそれによって、社会的制裁が肯定されるのなら、
我々一般市民は恐くて何もできなくなるのではないですか。

裁判なら、争うことができますが、
道徳による社会的制裁に争うことは難しいでしょう。

カカシさんのいう自由社会とは、
あなたの道徳観による専制社会ということになりかねません。

上記投稿者名: alaala Author Profile Page 日付 March 17, 2008 1:23 PM

下記投稿者名: scarecrowstrawberryfield

alaalaさん、

あなたは「悪意によって他人の気持ちを傷つける」行為を政府が違法として取り締まるべきだというお考えなのに、一般市民や民営の企業が個々の判断でそれらの行為は許容しないとする行為は許されないと言っています。

あなたの考えは、思想や言論の規制はすべて政府が行うべきであり、個人の判断に任せてはならないという恐ろしく社会主義的な考えであることに気が付いていますか?

さて、それでは、日本において、他人の気持ちを傷つけたというだけで名誉毀損罪が立証した事例をの提示はまだですか?

カカシ

上記投稿者名: scarecrowstrawberryfield Author Profile Page 日付 March 17, 2008 2:19 PM

下記投稿者名: アミーゴ

こんにちわ。
PCの調子が悪いのでまた改めて来ます
メモっておいた長文が開けなくなっています

上記投稿者名: アミーゴ Author Profile Page 日付 March 18, 2008 7:10 PM

下記投稿者名: アミーゴ

書き忘れましたが内容は人権擁護法案の問題点です

上記投稿者名: アミーゴ Author Profile Page 日付 March 18, 2008 7:12 PM

下記投稿者名: scarecrowstrawberryfield

アミーゴさん、

もしコメント欄への記入が困難な場合はメールを送ってください。メールのアドレスは自己紹介のエントリーに記述してあります。

カカシ

上記投稿者名: scarecrowstrawberryfield Author Profile Page 日付 March 19, 2008 2:07 AM

下記投稿者名: alaala

カカシさん、文章をきちんと読みましょうね。

>「悪意によって他人の気持ちを傷つける」行為を政府が違法として取り締まるべきだというお考えなのに、

「悪意によって他人の気持ちを傷つける」行為は司法によって裁かれる可能性があると言っています。

>一般市民や民営の企業が個々の判断でそれらの行為は許容しないとする行為は許されないと言っています

カカシさん、あなたは道徳に反する行為に対して社会的制裁を加えることを肯定しています。
個々の判断で制裁を加えることは、私刑(リンチ)につながりかねません。

>あなたの考えは、思想や言論の規制はすべて政府が行うべきであり、
>個人の判断に任せてはならないという恐ろしく社会主義的な考えであることに気が付いていますか?

私のどの文を「思想や言論の規制はすべて政府が行うべきであり、
個人の判断に任せてはならない」
と解したのか、具体的に示してください。

>単に気持ちが傷つけられたというだけで成立した名誉毀損

「精神的苦痛を被ったとする損害賠償請求が認められていること」があると言っていますが、
「単に気持ちが傷つけられたというだけで名誉毀損」が成立するとは言っていません。

>本当にあなたのいうようなくだらない内容で訴訟がおきているとしたら

くだらないかどうかは、カカシさんが判断してくださいね。
…………………………………………………………………………
20代女性に「デブ」と市議、刑務所に…辞職勧告も拒否

・スナックで居合わせた女性客に対する侮辱罪で拘留29日の刑が確定していた山梨県
 大月市の男性市議(56)が30日午後、甲府刑務所に収監された。

 市議は「侮辱発言はしていない」と無罪を主張したが、一審都留簡裁が1月、求刑通り
 拘留29日を言い渡し、控訴、上告ともに棄却された。

 判決によると、市議は2004年9月30日深夜、大月市内のスナックで初対面の20代の
 女性客に対し「デブ」と言って侮辱した。
 大月市議会は今年9月、賛成多数で辞職勧告を決議したが、本人は「辞めるつもりはない」
 と拒み、在職中の収監となった。
……………………………………………………………………………………

>私は自由な国のあるべき姿を語っているのであり

カカシさん、あなたはこう言っています。
「民間の企業が従業員に特定の政治的見解や宗教的表現を禁じたとしても、
それは企業主の勝手であるべきだ。」

カカシさんの理想の自由な国では、
企業主は従業員の思想統制をすることが許されるのですか?

上記投稿者名: alaala Author Profile Page 日付 March 20, 2008 7:43 AM

下記投稿者名: alaala

カカシさん、あなたはなにか根本的に理解力が欠けているのですか?

>私が使った「私生児」という言葉が差別用語なので使わないようにと
>「警告」するコメントを読んでいて、
>言論弾圧とはこのようにして始まるのだなと今さらながら実感した。

差別用語だから使わないようにとは言っていません。

カカシさん自身が
「その子供が差別を受けるべきではないと思います。」
と、賛意を示しています。
そうであれば、蔑称は使わないようにふるまうべきだと指摘しています。 
 
>遊びまくって未婚の母となった女性

未婚の母となるのは、「遊びまくった」からですか?
そういう女性は、もっと遊びたいなら中絶を選ぶのではないでしょうか。

結婚式を挙げて、新婚旅行後に婚姻届を提出する予定だった。
新郎が事故死して、その後ハネムーンベビーを授かったことを知り、
忘れ形見として生み育てている場合も、未婚の母ですよ。

事情は千差万別です。
未婚での出産を、「遊びまくった」と決めつけるのは
よほどカカシさんの社会経験が浅いのでしょうね。

事情によって、制裁したり、しなかったりするのですか。
事情をみんなで詮索したりするのですか。
みんなが、道徳的かどうかを相互に監視し合うのですか?

そんな社会を自由社会と言うのですか?


上記投稿者名: alaala Author Profile Page 日付 March 20, 2008 8:16 PM

下記投稿者名: scarecrowstrawberryfield

alaalaさん、

あなたは私が言わんとすることをわざと理解していないふりをしているのですか?私の主題は人権擁護は個人の判断に任せるべきであり、政府が口出しすればそれは人権擁護ではなく人権迫害になるのだということです。

私のどの文を「思想や言論の規制はすべて政府が行うべきであり、個人の判断に任せてはならない」 と解したのか、具体的に示してください。

あなたが民間の企業による個人的な判断を許すべきではないとこのコメントで書いているにもかかわらず、デブといっただけで刑務所送りになるのはかまわないといってることがまさにその具体例ですよ。個人が経営する企業が「でぶ」という言葉使いを禁止する行為は言論の自由の迫害だといっておきながら、裁判所が「でぶ」という言葉使いを禁止する行為は肯定する。この矛盾にあなたは気が付いていないのか、わざとごまかしているのかどちらかでしょう。

あなたは個人による道徳的判断は全く信用していないし、許すことが出来ない。それなのに政府による法律はなんの異論もなく受け入れている。

何度も言いますが私は私生児という言葉は別称だとは認識していません。その理由はすでに述べたとおり。あなたの指図はうけません。

人権擁護法が通ったら、あなたがここで上げたような例でどれだけの人々の言論が弾圧されるかわかりません。そんな恐ろしい国に住みたいならどうぞ人権擁護法を支持してください。

私は断じてお断りです!

ところで、このブログは私個人の判断で言論弾圧をしますので、あしからず。

カカシ

上記投稿者名: scarecrowstrawberryfield Author Profile Page 日付 March 20, 2008 10:53 PM

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