August 15, 2007

イラク従軍記者便り: 生まれ変わるハイファ通り

今日私は非常に興味深いリポートを読んだ。従軍記者としてバグダッドにいるウェスリー・モーガン記者が(Wesley Morgan at the Fourth Rail)がジェフェリー・ピーターソン中佐の隊に付いてあの悪名高いハイファ通りのパトロールに参加した。今日から四百万人が集まるといわれるシーア派の巡礼行進が始まるため、その前に警備体制を整える準備のためだ。隊は目的地まではストライカー三台を連ねていったが、時々中佐はストライカーから降りて地元の人々と話はじめた。モーガン記者が驚いたことは地元の人々が中佐の隊を歓迎しているように見えたことだ。ハイファ通りといえばちょっと前までアルカエダが幅を効かしていたところで、2004年に選挙委員会の職員が渋滞する車の行列の前で真っ昼間にテロリストに処刑された場所でもある。モーガン記者は2004年に比べてこの通りがずいぶん様変わりした様子を語っている。

ピーターソン中佐が歩道を歩いていくと、人々は彼を歓迎しているかに見えた。店の店主が挨拶したり、住民がサラームアレイカムと言ったりする、こうした様子に私は非常に驚いた。

白髪の歯の抜けた痩せた男が座っていた席から中佐の心地よい「こんにちは」に笑って答えた。中年の男もまた同じように答えた。黒いローブから顔だけだした女性たちが我々の挨拶に笑顔で答えた。若い男たちはもっと元気がよかった。中佐とその部下たちを知っているらしく中には熱意を込めて英語で挨拶をするものもあった。ただ中には全く無表情で冷たい顔つきで完全に我々を無視するものもいた。子供たちは幼い子から大きな子まで男の子も女の子も我々の周りにまつわりつき、「はろ〜、みすた〜!」とか「ちょこれ〜と頂戴!」と笑いながらねだった。多くの子供が手を延ばしてはハイファイブしたり、拳骨ごっこをしたり、握手を求めたりした。

この様子はマット・サンチェズが同時期にサドル・シティで子供たちから「待ち伏せされた」 と言って提示したビデオに赤裸々に映っている。カメラを持って取材するマットの周りを十数人の子供たちが囲み、それぞれカメラに向かって自分を映してもらおうと躍起になっている。マットが自分の名前を「僕はマシューだよ。」と言うと、こどもたちは口々に自分たちの名前を叫びはじめた。マットが子供の名前を変な発音で呼ぶとこどもたちはケラケラ笑っている。ひとりの男の子がサッカーのボールをかかげて何かいっている。「フットボールしよう」といってるように聞こえるがどうなんだろう? 近くで女性の兵士が子供たちにチューインガムを配りはじめると子供たちの注目は一斉にそっちへ移る。「ちょうだい!ちょうだい!」と多分言っているのだろう。

この様子をみていて太平洋戦争直後に進駐軍のジープの後を「ビブミーチョコレート!」と変な英語を叫んで追いかけまわしたという母の兄の話を思い出した。母はまだ幼児だったためそんなことはできなかったが、伯父は結構ちょっとした「英語」を覚えてGIにおねだりをしてはお菓子をもらっていたという。戦争中はアメリカ兵は頭に角が生えた鬼だと聞かされていた子供たちだが、実際には飢えた子供たちをかわいそうだと思って自分のポケットからお菓子を投げてくれるような優しい男たちだった。今も昔も米兵は親切だなとつくづく思う。ついこの間まで自分に銃を向けていた市民の子供たちなのに、いや、今でも状況がかわれば路肩爆弾でふっとばすこともなんとも思わない人々の子供たちにここまで親切にできるというのは何故だろう。アメリカ人てのはつくづくお人好しだと思う。

とはいうものの、マットのビデオに映っているあどけない子供たちの顔をみていると、チョコレートの一つもあげたくなるのが人情かもしれない。

このような様子を見て、イラクの治安は良くなっているとか、米兵は歓迎されているとか結論付けるのはあさはかなのかもしれない。子供たちは米兵が好きというより、単にチョコレートが欲しいだけなのだといえばそれはそうかもしれない。

しかし、そうだとしても子供たちが安心して米兵に近付いてくるのはいい徴候なのである。以前に私がイラク帰還兵から聞いた話だが、パトロールしている地域で子供たちが米軍兵の周りに集まってそれを大人たちが止めようともしない場所なら、先ず安心だということだ。だが反対に兵士の顔を見て子供たちが慌てて隠れるようならそこはかなり危険な場所で、なにか恐ろしいことが起きる可能性が高いのだという。

モーガン記者が気が付いたもう一つのことは、サドルシティにイランの飼い豚サドルのポスターがあまり張られていないということだ。しかも町は意外なほどゴミが少ないという。どこにいてもどぶ臭く、未処理の汚物が流れるイラクの市街地ではこれは非常に珍しい状況だ。

町がきれいだというのはどうでもいいようで実は非常に大事なことである。ジェームス・Q・ウィルソン著の「壊れた窓」現象がイラクでもあてはまるからだ。サドルシティのような貧困な町で、市民が自分の住む界隈のゴミを掃除するということは、彼等がここは自分の町だと誇りを持っている証拠である。自分が社会の一員であると考える人々はその社会を破壊するような暴力行為にはおよばない。

モーガン記者のリポートは決してすべてがバラ色ではない。イラク警備隊はやる気は満々だが四百万人もの群衆を警備できるような武器も装備も整っていない。

しかしそれでも、このリポートはいいニュースといえる。我々はイラクの町をひと区域づつ平和にしていかなければならない。 ハイファ通りはそんじょそこらの通りとは違う。暗く邪悪な過去を持つ通りだ。しかし我々はここも、ほかの通りと同じように平和にしていかなければならない、ひと区域づつ、ゆっくりと。

August 15, 2007, 現時間 12:59 AM

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