December 22, 2006

内戦激化で輸血に消極的なパレスチナ庶民

ガザの病院ではこれまで通り戦いでけがをしたパレスチナ人たちが運び込まれてくる。彼等がイスラエルと戦っているあいだは地元庶民は積極的に血液の提供に応じてくれたと病院の医師たちはいう。だが、ファタとハマスの内戦が始まっていらい、病院側の嘆願も空しく提供者は激減しているという。さもあらん、パレスチナ人同士で殺しあいをしているのに自分の血液を提供してやろうなどという気にならないのは当たり前だ。元気になったらまた仲間を殺しにいくのか、という気持ちだろう。

ガザでは何百人というパレスチナ市民が町にくり出して、殺しあいをやめるようにデモ行進を行ったが、市民の願いも空しく、二度目の停戦は停戦合意の二日目の金曜日早朝、激しい撃ち合いでファタ側二人、ハマス側一人が殺され、ハマスメンバーがひとり拉致されるなど、全く守られているとはいえない。ファタのリーダー、アッバス首相は停戦を守るようにと呼びかけている。アッバス首相はまだ統一政府設立の夢を捨てていないが、側近の話では交渉の用意は全くできていないという。

前回の停戦合意は一日で崩れてしまったし、今回はたったの二日。

ま、イスラエルとの停戦条約を一度も守ったことのないパレスチナ人だが、まだその場合は異教徒との約束ごとは意味がないという言い訳もできただろうが、同じイスラム教徒同士、同じ場所にすむ同じ民族の間での約束ごとすらお互い守ることができないパレスチナ人たち。パレスチナ庶民が気の毒だと思わなくもないが、ハマスを選挙で選んだのは誰あろうパレスチナ市民。外部から見ていればテロリスト軍団のハマスが政権を握ればどういうことになるか火を見るよりも明らかだった。それが見通せなかったパレスチナ人の愚かさは本当に哀れだ。

もっと悲劇なのは、パレスチナ人たちがそう望めばパレスチナはいますぐにでも平和で豊かな独立国家となれるのに、彼等はみすみすその機会を逃してしまっているということだ。パレスチナ市民が早期選挙を実現させハマスを政権から追い出し、アッバス首相の提案どおりイスラエルの存続を承認しイスラエルとの和平交渉に取り組みさえすればいいのである。彼等がお互いを殺しあうこともイスラエル人を殺すこともあきらめて今後平和に暮らしたいと決心さえすればすべてが本当になるのである。

それなのにせせこましい勢力争いに明け暮れて彼等は自分達の民族の未来などこれっぽっちも興味がない。

ところで興味深いのはことパレスチナ・イスラエル紛争については一方的にパレスチナ人の味方をし、パレスチナの非戦闘員を対象にしたテロ攻撃や病院や学校といった場所への攻撃も、圧倒的武力を持つイスラエルに対するささやかな抵抗だといっていた人々は、同じ手口でお互いを殺しあうパレスチナ人に対して完全な沈黙を守っている。

上記の記事を提供してくれた某掲示板の投稿者アドベンさん(adventureoftheultraworld)はこう語る。

これまで、自爆・子供動員・民間人への無差別攻撃と「何でもあり」の戦闘スタイルを対イスラエルで展開していたときに、外部のパレスチナ信者が誰も批判しなかったのがいけなかったのではないでしょう。誰からも批判されなかったから「戦闘というのはこういうものだ」と思っているのではないでしょうか? そのスタイルをパレスチナ同士の戦いにも持ち込んだと。

「戦力に大きな較差があるからしょうがない」「大義のため」などと言って弁護していた人たちに責任はあると思いますよ。少なくともそういう人たちに「パレスチナの味方」を名乗る資格はない。

私はアドベンさんほど寛大な人間ではないので、パレスチナ人のこうした行動が外部からの批判を得なかったからだという言い訳さえ受け入れる気になれない。パレスチナ人にそこまで理解を見せてやる必要はない。私はこれがアラブ人が何世紀にも渡ってやってきた戦争のやり方なのだとあえていわせてもらう。

イスラム社会には、いや古代アラブ民族の社会には、我々西洋的な価値観(日本も含む)が大事にしている道義心というものがない。我々は常に戦闘員と非戦闘員を区別してきた。日本の古い戦でも男たちの命は容赦なく断つ敵も女子供は見逃すという慈悲はあった。むろんこれは大将の人格にもより、この規則が常に守られたわけではないが原則的に非戦闘員である女子供は殺さないという暗黙の了解がある。だから硫黄島の戦いで日本兵が大量に殺されたことには腹をたてない日本人も民間人が対象になった東京大空襲などでは怒りを感じるわけだ。

西側には戦争中でも赤十字のついたビルには爆弾を落とさない、救急車は攻撃しないという規則がある。だが、パレスチナのテロリストたちはこの西洋的な道義心をあざ笑って病院に武器弾薬を隠したり救急車をつかってテロリストを運んだりしていた。イラクでもアルカエダの連中が全く同じことをしていた。彼等には戦闘員とか非戦闘員などといった区別はない。同族は同族と運命をともにする。それは女子供であってもおなじことだ。彼等が何かと女子供の悲惨な姿を西側諸国に見せつけるのは、彼等には理解できない感情だが、なぜか西側諸国は女子供の犠牲者には心を痛めると知っているからである。彼等にとってはたいして価値のない女子供の命を西側の連中が貴重に思うなら悪用してやれといったところだろう。

だからお互いの殺しあいでも彼等は全く同じことをするのだ。不思議でもなんでもない。これを彼等の悪行を容認してきた外部のせいにするのは彼等を甘やかし過ぎていると思う。むろんこれまでパレスチナがかわいそうだといって、彼等の卑怯な手段を容認してきた親パレスチナの連中に全く責任がないとは思わない。いや、むしろ大いに責任はあると思う。

もし国連がイスラエル批難の条例を出すかわりに、パレスチナのテロ行為を批難する条例をだしていたならば、パレスチナ側も自分らには理解できないがなぜか国際社会は自分らの行為を嫌っているという意識ぐらいはもてたはずだ。そしてそのような行為を繰り返す限り、パレスチナに未来はないと早くに悟ったかもしれない。であるからアドベンさんもおっしゃるとおり、このような戦いを容認していた人々はパレスチナに同情しているなどと今さらいう資格はない。

パレスチナの未来はパレスチナ人たちが握っている。早くそれに彼等が気が付いてくれればそれだけ早くことは解決する。パレスチナ人よ目を覚ませ! 未来は君たちの手中にあるのだ!

December 22, 2006, 現時間 1:11 PM

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